『天使の入江』に寄せて––––追悼・ジャンヌ・モロー

2017.08.14

 ジャンヌ・モローの訃報が飛び込んできた日、『天使の入江』の資料とサンプルDVDが手元に届いた。正確にいうと、資料とサンプルDVDが先に届き、そののちに訃報を知った、というのが時系列に沿った流れである。実はこの資料、本来なら5月下旬に受け取るはずのものだったのだが、ちょっとした手違いで2ヶ月以上遅れての到着となった。現在、シアターイメージフォーラムにて「ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語」という特集上映が行われているが(ジャック・ドゥミの『ローラ』、『天使の入江』、アニエス・ヴァルダの『5時から7時までのクレオ』、『幸福(しあわせ)』、『ジャック・ドゥミの少年期』。8/18まで)、『天使の入江』は劇場初公開作品で、配給会社の担当の方がロードショー前に観られるようにとサンプルDVDを送ってくださっていたのだ。特集上映のことは前から聞いており、会期中になんとしても時間を作って観にいこうと思いつついまだ果たせていない、というタイミングで届いたDVDを素直に喜んでいた矢先の訃報であった。その日の夜、すぐさま『天使の入江』のDVDを観たのはいうまでもない。


 『天使の入江』は1962年の作品で、ジャック・ドゥミのキャリアの中でも初期のものにあたる(監督デビューが1955年、初の長編作『ローラ』が1961年作品)。主演はジャンヌ・モローとクロード・マン。冒頭にジャンヌ・モローのことを書いたのはこのためである。パリの銀行に勤めるジャン(クロード・マン)はギャンブル好きの友人に連れられてアンガンのカジノに行き、ビギナーズラックかルーレットで大当たり。大金を手にして帰宅すると、時計職人である父にその金がギャンブルで得たものだと知れ、ジャンは勘当されてしまう。パリを離れ、ニースに着いたジャンは、通称「天使の入江」にあるカジノに通うようになり、そこでジャンヌ・モロー扮するジャッキーという名の女性に出会う。二人は意気投合し、ギャンブルのパートナーとしてルーレットに賭け続けた。


 ギャンブルなので勝つときもあれば大負けする日もある。すべては運次第。負けてすっからかんになったジャッキーは、ギャンブル断ちをして新たな人生を始めようと駅に向かうが、ルーレットの誘惑に抗えず、踵を返してカジノへ。ジャンもそれに付き合い、見事に大勝した。ふたたび大金を手にした二人は、その金でクルマやドレス、タキシードを買い、モンテカルロで優雅な生活をおくるようになるのだが––––というのが本作の途中までのあらすじである。


 全篇を通して、ある種の躁状態、興奮状態、スピード感がついてまわる。それを端的に現しているのが本作のオープニング・シークェンスだ。「天使の入江」(ニースに実在する湾である)沿いにのびる「英国人の散歩道」を歩いているジャッキーの姿を正面から捉えているカメラは、猛スピードでジャッキーから遠ざかり、「英国人の散歩道」の両側の景色を後方に追いやりながら進んでゆく。添えられたミシェル・ルグランの手になる曲が躁状態に拍車をかける(この曲はルーレットの音を表現するべく作られている)、大変素晴らしいオープニングである。そしてこのオープニングはエンディングと対をなすものなので、ぜひスクリーンにてご確認いただければと思う。


 それにしてもジャッキーは「私にとって賭けは宗教も同然よ」と宣うわりには自分だけだとさっぱり勝てない。勝つのはジャンといるときだけだ。運がないのである。その意味でオープニング・シークェンスを思い返すと、ジャッキーを離れてゆくカメラは運あるいは神的な視点なのかもしれない。そんな運のないジャッキーだが、不思議と悲壮感はなく、ルーレットのカラカラとした音のように乾いた印象がある。生活のため、単に金を稼ぐために賭けるのではなく、あくまでも賭けるという行為そのものを真剣に執り行っているからであろうか(それが最も厄介なところでもあるのだが)。劇中の身なりも品格と艶っぽさがあり(ジャンヌ・モローの衣装はピエール・カルダンが担当)、ブロンドヘアとも相まって明るいイメージを形づくっている。

 

 ジャンヌ・モローの出演作で印象深いものはいくつもある。『死刑台のエレベーター』(1958)、『突然炎のごとく』(1962)、『鬼火』(1963)。『バルスーズ』(1974)は音楽家の友人宅でこのところ毎年元旦の夜に行われている新年会(呑みながらの映画鑑賞会ともいえる)で2年前に観た。そうそう、『女は女である』(1961)にもチラッと出ていて、気の利いたセリフを吐いていたんだった。と、枚挙にいとまがないけれど、凄みという点でいえば『黒衣の花嫁』(1968)が圧倒的である。結婚式の最中に夫を殺害されたジュリー(ジャンヌ・モロー)が、その犯人5人をひとりずつ殺してゆく復讐劇だが、深い憎しみをモノトーンの服に包んで表に現さない冷徹な仕事ぶりが、かえって悲しさを観る者に感じさせる。そういう意味で『黒衣の花嫁』は「陰」の極致で、『天使の入江』の躁状態、「陽」の状態とは対照的である。


 さて、ふたたび『天使の入江』に戻ると、作中、賭けに関しての会話の中でジャッキーは「もし数字が神の思し召しだとしたら…」と語っている。そんなことをいいながら、ギャンブルの神には完全に見放されているのが面白いところなのだが、その一方で、実に奇妙なタイミングで私のところに届いたこのサンプルDVDこそ映画の神様の思し召しかもしれないと、観終わって思った。



(メディア向けメールニュース「BEAMS NEWS」Vol.385掲載のコラムに加筆)