映画の中のビスポーク

2018.03.16

 「NHKの新日曜美術館で女性アナウンサーのかたわらで、自信なさそうな不安顔で助手役を務める男の俳優が、どうやら三島役らしいのだが、この映画を見ないでも駄目だということが想像できるのは、三島の着用するおそらく英国製の上等な純毛の生地で作られた軍服(ミリタリー・ルックとミニが流行した時代のフランス人デザイナー、クーレージュを思い出させる、どことなく女性的というか中性的なスタイル)には醜い皺一つないのに、姿勢も悪い若い男の俳優の着ている楯の会のデザインを模した服は見るからにスフ入りの生地で、仕立ての悪さが醜悪耐え難い無数の皺になって現れているのを見ればわかることだ」(『澁澤龍彦 ドラコニアの地平』所収、金井美恵子『声の彼方の記憶』)。


 映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(3月30日公開)は、チャーチルを演じたゲイリー・オールドマンが第90回アカデミー賞主演男優賞を受賞した作品だ。ゲイリー・オールドマンはチャーチルのでっぷりとした体型には程遠いのだが、それを辻一弘が特殊メイクでチャーチルに仕立てた。日本では、辻が同賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したことが大きく報道されたので、それを通じてこの映画を知ったという方も多いのではないだろうか。


 時は1940年5月。ナチス・ドイツはすでに東欧と北欧諸国を制圧し、ベルギー国境まで迫っていて、その脅威はフランスとイギリスにいつふりかかってきてもおかしくなかった。イギリスでは、自国の防衛の強化を怠ったと当時の内閣に不信任決議が出され、チェンバレン首相は引責して辞任を決意。後釜を決めるにあたっては、外相のハリファックスが最右翼として意見の一致をみるのだが、本人がこれを固辞するという中で、「野党が認めるのは一人しかいない」と白羽の矢が立ったのが、海軍大臣のチャーチルだった。チャーチルは国民には人気があったものの、度重なる失策により「政界一の嫌われ者」呼ばわりされていたので、チェンバレン以下の内閣の面々にとってはこの後継者選びは「最悪の選択」であったが、最終的にチャーチルはこの動乱の時代に首相に就任することとなった。


 映画は前述(5月9日のことだ)から、一ヶ月にも満たない期間の出来事を描いているのだが、ここでのチャーチルの決断––––ドイツと戦わずに交渉するという宥和政策をとらず、徹底抗戦する––––がナチス・ドイツの侵攻を食い止めることとなる、歴史的に見ても重要な日々に焦点を当て、そこでのチャーチルをはじめとする人々の迷い、決心を丁寧に表現している。辻が尽力して作り上げた(開発と試作に半年、現場でのヘアメイクは3時間半を費やした)見た目だけでなく、話し方や立ち振る舞いに至るまで、チャーチルを完璧に自分のものとしたゲイリー・オールドマンの演技の素晴らしさがこの映画を特別なものにしてるのはいうまでもないが、本作で私が着目したのは衣装であった。


 ウェル・ドレッサーとしても名高いチャーチルのイメージをまったく損なわないその衣装は、実際にチャーチルが着ていたものを徹底的にリサーチし、用意されたという。スーツは<HENRY POOLE & CO>のビスポーク、ハットは<LOCK & CO. HATTERS>の特注品。シガーや懐中時計などもぬかりなく選ばれている。唯一、シューズだけは当時チャーチルが誂えていたシューメーカーがなくなってしまっていたので、同じものは叶わなかったということだ。ちなみにベン・メンデルソーン扮する国王ジョージ6世の衣装も<HENRY POOLE & CO>で誂えている。いずれも胸回りのドレープや肩周辺から、英国テーラリングの持つエレガンスが匂いたっていて、実に見事な仕上がりだ。


 ここで話は冒頭の引用に戻る。『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』を観て、芸術の一ジャンルたる映画における衣装=服の役割の大きさに唸ったと同時に、私の脳裏に浮かんだのが冒頭の金井美恵子の文章だったのだ。引用箇所で金井美恵子が触れている映画は、若松孝二監督の『11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2012)である。この作品で見られる「楯の会のデザインを模した服」は、ペラペラで重みがまるで感じられない(金井美恵子述べるところの「見るからにスフ入りの生地」は、スフ=ステイプル・ファイバー=レーヨンの混紡生地のこと)。たとえていうなら、手間暇をかけ、上質な生地を存分に使ったモードの服と、そのデザインだけをコピーしたファストファッションぐらいの違いがあるのだ。衣装がこうだと、俳優陣がどれだけいい演技をしたところで、観客はシラけてしまう。表層的なデザインだけでは如何ともしがたいのである。


 映画の中のビスポークについてもうひとついえば、5月に公開されるポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』で、カリスマ的な人気と実力を誇るドレス・メーカー役を演じるダニエル・デイ=ルイスは、<ANDERSON & SHEPPHARD>で誂えたスーツ、ジャケット、コートを作中でまとっている。シューズは弊社でもおなじみ<George Cleverley>だ。そういえば、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』で、その当時のチャーチルのシューズを誂えていたシューメーカーが現存しないということは先に記したが、それはおそらく<Tuczek>ではなかろうか。チャーチルは<Tuczek>から独立したジョージ・クレバリーが自分の名前を冠して1958年に始めた店、つまり<George Cleverley>の顧客となっているからだ。




(メディア向けメールニュース「BEAMS NEWS」Vol.413掲載のコラムに加筆)