いしいしんじ その場小説「花」①

藤木 洋介 2017.04.09

4月2日(日)に開催された、
佐藤理 展覧会「ALL THINGS MUST BE EQUAL」』のイベント
<Vol.1 エレクトロその場小説・ライブ>は、大盛況に終わりました。
ご来場いただいたみなさま、ゲストでお越しくださった、いしいしんじさん、
ありがとうございました。



本イベントで発表した、いしいしんじさんによる、その場小説『花』を、
本イベント参加できなかったお客様のために、4回に分けて公開いたします。

どうぞお楽しみください。


【公開スケジュール】
①4月9日(日) / ②4月13日(木) / ③4月16日(日) / ④4月20日(木)




----------
 
『花』     著者:いしいしんじ



その黒人のブルースマンは、桜の花をみたことがなかった。桜どころか、花自体、
いっさいみたおぼえがなかった。なぜなら盲目だったからである。
「雷が、目にはいってね」
仲間には、笑いながらそう話した。
生後すぐのとき、山の上で空がごろごろ、うなり声をあげるのをきいた。なんと
はなしに目をむけた瞬間、そら全体に稲光がかがやいた。それ以来、いっさいの
物象を、彼の目がとらえたことはない。
畑仕事や荷車ひきは、無理だった。働き手として、まったく役にたたない彼は、
村のやっかいものだった。ギターを手に、うたうことしかできなかった。そのう
ち、村を出て、田舎、町中、港に都会と、放浪しながら演奏する毎日にはいって
いった。

男の声は、まるでケモノがうたっているようだった。いつのまにか男は「おおか
み」というあだ名で呼ばれるようになった。おおかみのギターは、空の上で鳴る
雷鳴にそっくりだ、というものもいた。
「あたりまえじゃないか」おおかみはサングラスのむこうで笑う。「うまれつき、
雷とは、兄弟みたいな仲なんだぜ」

ライブハウスからライブハウスへ。酒場から酒場へ。おおかみの演奏する音楽は、
ひとの気持ちを陽気にするものではなかった。が、かといって、薄暗い気分に駆
られるわけでもなかった。
ギターの弦が揺れ、空間に弦の音とケモノの声がこだまする。穴蔵のような部屋
の空気は、だんだんと青黒く染まっていく。酒瓶が光り、グラスの縁がにぶく輝
く。男たち、女たちは、青白い目をひらいたまま、おおかみの歌声をからだのな
かに注ぎいれる。
おおかみの意見では、どんなところでも、人間がそこにいれば、きっとブルース
が必要なんだ。水のあるところ、目に見えない塵やプランクトンがうごめいてい
るように、人間の吐く息、吸う息のなかには、かならず、ブルースのかけらが浮
かんだり沈んだりしている。
「寒いところにいったよ。吐いた唾やしょんべんが、空中でこおっちまうくらい。
暑いところにもいったさ。そこらじゅうで木の枝が勝手にもえあがっちまうくら
い。どんなところであろうが、夜はくるだろう。ブルースも、それと同じこった」

酒場で演奏が終わり、くつろいだ気分でウイスキーをすすると、おおかみはジャ
ケットのポケットから、ぼろぼろになった写真をいちまいとりだす。そして、と
なりにすわった誰かに、
「なあ、なにがうつってる? あんたには、どんなものがみえるね。さあ、いっ
てみてくれ」
 語りかけながら見せる。
 大きな麦わら帽子。オレンジ色のバンダナ。ぶかぶかの帽子の下には、顔じゅ
うで笑う少女の姿がある。どこか、青い空の下の木陰。風が吹いているのか、少
女は両手で、麦わら帽子のつばをおさえつけている。
 目にみえた、写真のままの様子を、おおかみに語るひとがもちろん多い。けれ
ども、
「まっくろい、ヘビがみえるね。とぐろをまいて、目をぎょろつかせて」
 なんてことをいうやからもいる。
「やせっぽちで、うすぎたないこどもがひとり、うつってるな。はらぺこで、し
んじまうんじゃないかな」
 どんなことをいわれても、おおかみは微笑みながら大きくうなずき、写真をジ
ャケットのうちポケットにもどす。そして、
「ありがとうよ」
 そうささやき、ウイスキーを一杯、その相手におごる。
「もうずいぶん、遠くまで来たもんだ」 おおかみはバーテンダーに話しかける。
「おれには、地図も、駅の名前もよめないし、町並みってものも、気にしたため
しがないから、実感はないんだが、『遠さ』の感覚だけはあるんだよ。なにしろ、
うまれてこのかた、さわれるかどうかだけを頼りに、息をつないできたんだから」
 調子がよいときには、「ブルースにさわれる」とおおかみはいう。「ほんとう
だぜ。目がみえると、わからないかもしれないが、ふっとしたとき、目の前の空
気に手をつっこんでみな。そこで、ブルースが、びんびんふるえてるから」 



つづく.....

----------

【現在開催中の展覧会】

   4月1日(土) 〜 23日(日) 11:00-20:00 <会期中無休>