Your Name.

Satoshi Tsuruta 2016.12.30


あなたはだれ?


90年代に2000万部以上を売り上げ
世界的ベストセラーとなった
「ソフィーの世界」の冒頭で
主人公の女の子・ソフィーは
このシンプルな一文だけが書かれた
一通の手紙を受け取ります。



いや、あなたはだれ?って…。


名前は◯◯××。
歳は△△才。
A県のB市に生まれて…。

え…っと、だれだっけ?



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いよいよ2016年も終わりです。
先日、僕も遅ればせながら
今年の日本映画最大のヒット作
「君の名は。」を観に行きました。



この映画
田舎暮らしの女子高生と東京暮らしの男子高校生とが
ある時突然、心と体が入れ替わってしまうという話。


もしも身体と心が他人と入れ替わってしまった場合
あなたはだれ?


心の方?身体の方?


ちょっとSF過ぎる感じになってきたので少し話を戻すとして…。


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(あなたはだれ?)

僕は鶴田啓。
熊本県に生まれ大学入学を期に1996年に東京へ。
2000年からビームスで働いている。


(ビームスって?)

ファッションを中心とした
ライフスタイル全般を販売する会社。


(ファッションって?)

流行。


(流行って?)

流行っているモノ、コト。


(みんながそんな格好しているの?)

みんな…ではないかな…。
街行く人の殆どがパッチワークデニムとか
サルトリア仕様のスーツとか
オーバーサイズのMA-1とか
着ているわけじゃないし。
映画「君の名は。」は日本人の8人に一人が
観たというし、これには遠く及ばないな。
流行る、ってどれくらい以上のことを言うんだろう…。


そもそも…ファッションってナンだ?!



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人はみな
毎日の生活のなかで大なり小なり
このような「問い」を繰り返しながら
生きています。


たとえば
「90年代とは何だったのか」的な総括は
90年代が終わったからこそ
ある程度(後付けで)言い切ることができるわけで。


いま目の前にあるコトに対しては
正解か不正解か分からないままに
(無理矢理にでも)自分の中で答えを出して
先に進むしかないのが現実です。


今日のランチはうどんじゃなくてパスタにする、
といった具合に。
(なぜならパスタは昨日食べたから)



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ファッションにおいては
よく「名前」が問題になります。
クリスチャン・ディオール氏が亡くなった後も
イヴ・サンローランやエディ・スリマンが手がける
Diorという名前が続くわけです。


僕にも色々な名前があります。
◯◯ちゃんのパパ。
ビームスのショップスタッフ。
×××の長男。
長くややこしいブログを書く人(笑)。


名前というものは呼んでくれる人がいて
初めて成立するものであって
世界にたった一人きりになったとき
名前はその意味を失います。



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当店で取り扱う洋服にも
名前があります。



現代最高峰の素材やテクニックを
ふんだんに用いながらも、
クリエイションの新たな可能性を
追求することで
創始者ヴァレンチノ・ガラバーニが求めた
究極の美を表現する
2010年代最高のトレンドセッター
VALENTINO。



ジャマイカ系イギリス人という
自身のアイデンティティに根ざした
ミックスカルチャーを礎に置きながら
英国独自のクラフト感覚溢れるモノ作りを
パンクマインドで研ぎ澄ます
若きルーディー
NICHOLAS DALEY。



その重厚かつ唯一無二の存在感は
英国靴やイタリア靴が持つ
花形スター的なエレガンスの対極に位置し
創業100年を越える老舗ならではの
タイムレスな佇まいは
時代だけでなくスタイルすらも超越する、
まさにプダペストクラシック
HEINRICH DINKELACKER。




パリ・ヴァンドーム広場の地下に
突如現れたレジデンス。
そこから発信されるフランス的スノビズムに満ちた
彼らの知的クリエイションは
「ストリート」というトレンドのキーワードを
もて遊ぶほどに
成熟していると言わざるを得ない。
恐るべきニューカマー
NIUKU。



少年のような遊び心と大人に向けたクオリティ。
この悪ふざけとも大真面目とも見える
二面性の間に潜む反抗心を
ボードレールの詩情に乗せて編み立てる
ニットファクトリーブランド
MAISON FLANEUR。



ジェンダーレスという言葉を
何十万回唱えてみたところで
彼のすべてを形容するには足りないのではないか、
と思わせてくれるほどの圧倒的な才能。
まさに現代ファッション界の貴公子、
J.W ANDERSON。



などなど。

これらは今、
僕が彼らを呼ぶために
つけた(前置きの長い)名前であり
それは他人に彼らのことを説明する為にのみ
機能するのです。


で、結局何が言いたいのかというと
自分の名前(アイデンティティ)なんてものは
他人の存在なしに成立することがない、ということ。


急に心と体が入れ替わってしまったら
さっきまで田舎の女子高生だった自分も
「瀧くん」と呼ばれた瞬間から
東京の男子高校生になってしまうくらい
不確かなものなのかもしれません。



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たまに考えることがあります。
「なぜファッションが好きなのか」と。


それはおそらく
「他人を通じて自分自身を知る」ため。
20年近く洋服屋をやってきて近ごろ思うのは、
そんなことです。




ことさら
デザイナーが生み出すクリエイションや
老舗メーカーのクラシックアイテムは
恐らく作り手の分身とも言えるような
(例えば口噛み酒のような)
密度を持っているはずで。

そういった他者(あるいは分身)と向き合うことが
自分を客観的に認識するための
手がかりに
なるのではないかと思うわけです。


「服に負けてるな、おれ」
「これを履くと脚が長く見える」
「ベージュがよく似合うと誉められた」




無人島でひとり裸で暮らしているぶんには
必要のない「名前」。
そしてファッション。


でも。


ずっと探していたのは
名前を呼んでくれる人。


もしかしたら自分にとっての「その人」は現世におらず
ちょっと隣のパラレルワールドで
待っているだけかもしれません。


そんな
ファンタジックな夢想に連れ出してくれるものに
もし、名前をつけるならば「ファッション」。


とても良い響きだと思いませんか?


洋服屋でアルバイトを始めた19年前。
僕に名前をつけてくれたのもまた
「ファッション」であったような気がします。
また、ある人にとってはそれが「音楽」であり
「ダンス」であり「スケボー」であるのでしょう。




「ファッションとは何か?」

この問いに答えることは
僕にはまだまだ当分できそうにもありませんが、
この問いが問いのままであるからこそ
自分の意思で洋服を着る、
ということを
続けていられるような気もします。


2017年が
皆さまにとって素晴らしい年になりますように。




Tsuruta