キャンプ趣味

2018.05.29

 昔から、1930年代から40年代にかけて流行したスウィング・ジャズ(ビッグバンド・ジャズ)を聴くと、実際のところはそれとはまったく無縁なエキゾティシズム、オリエンタリズムのイメージが湧き上がってくる。こうした感覚は、一体何に起因するのだろうかと改めて考えてみたら、『上海バンスキング』にたどり着いた。『上海バンスキング』は、昭和初期の上海を舞台にした斎藤憐の戯曲で、第24回岸田國士戯曲賞を受賞した作品。「オンシアター自由劇場」のロングラン公演作品となり、また1984年と88年の二度にわたって映画化された。


 この物語の主人公の一人、波多野はクラリネット奏者で、妻のまどかとともに日本を離れて上海に向かう(まどかはパリに行くと騙されるのだが)。戦争の足音が忍び寄る日本では演奏することができなくなりつつあったジャズを演るためだ。この頃(設定では1936年)の上海には「上海租界」と呼ばれる外国人居留地が存在していた。「英国、フランスの租界(19世紀後半から解放前まで中国にあった外国人居留地。主権は中国にあったが、警察権・行政権は外国人にあった)があり、バンドといわれる海岸通りには西欧の近代建築が並び、モダンな風俗が輸入されていた。そして日本を含む各国の陰謀が渦巻き、魔都といわれたほどの地下社会が発達し」、また「ジャズ、映画、バレエといったモダンな文化は上海から日本にもたらされた」(ともに海野弘『百貨店の博物史』所収「モダン上海の百貨店」)。引用中に「英国とフランスの租界」とあるが、英国租界は1848年にエリアを拡大し、同年、アメリカも上海に居留地を獲得。1863年にはこれらが合併し「共同租界」となった。この共同租界内で日本人が多く住んでいたエリアは「日本租界」と呼ばれることもあり、詩人の金子光晴、上海で書店を開いた内山完造(神田神保町で中国・アジア関連の書籍を扱う「内山書店」は、内山完造の弟・嘉吉が開業した店)などが居住し、武者小路実篤、芥川龍之介、林芙美子、谷崎潤一郎らが訪れたことでも知られている。


 この『上海バンスキング』、舞台の初演は1979年で、映画化は先に述べた通り1984年、88年と、概ね80年代のことだ(舞台の方は以後繰り返し上演され、2010年にも再演されている)。本作において欠くべからざる要素であるジャズ(作中のジャズはスウィング・ジャズ)は、80年代には「ジャズ」の呼称を後方に追いやったフュージョンが、テクノロジーの発達という追風も受けてメインストリームとなっていた。『上海バンスキング』に見られるようなスウィング・ジャズは、いうなれば時代遅れも甚だしいものだったわけだが、意外にもこうしたスウィング・ジャズはリバイバルしたのである。


 「現在のものはわれわれにとって身近にすぎ、またわれわれ自身の日常生活の幻想に似ていすぎて、そのもののもつ幻想性がわれわれには見えないことがある。だが時がたてば、いまは肩を怒らしていたり幻想を欠いていたりするようにしか見えないものも、もっと高級なものに見えてくるかもしれない。ある幻想がわれわれ自身のものではない場合のほうが、われわれはそれを幻想として楽しみやすいのである」と、スーザン・ソンタグは「《キャンプ》についてのノート」で述べている(『反解釈』所収。以下、引用はすべて「《キャンプ》についてのノート」より)。この「《キャンプ》についてのノート」は、キャンプと称される「感覚」についてソンタグが書き記した、タイトル通りノートのようなテキストである。前段と原註を除き、1から58まで番号が振られており、それぞれはキャンプについてあらゆる角度から考察した内容となっている。上に引いたのはそのうちの30のほぼ全文だ。


 唐突に《キャンプ》という言葉が文中に登場したので困惑される方もおられるかもしれない。簡潔にキャンプについてソンタグのノートからの引用を交えて述べておくと、「キャンプとは一種の審美主義である。それは世界を芸術現象として見るひとつのやり方である。このやり方、つまりキャンプの見方の基準は、美ではなく、人工ないし様式化の度合」であり、「キャンプの本質は、不自然なものを愛好するところに––––人工と誇張を好むところに––––ある」。つまり、あるがままの自然状態ではなく、大げさなまでに不自然で人工的な物事を愛でる感覚といえるだろう。そして内面、内容よりも様式、形式、スタイルを重んじ、一切の政治色は排除されている。また、ソンタグはキャンプ的スタイルの典型としてアール・ヌーヴォーを挙げ、「よくあることだが、アール・ヌーヴォーの作品はあるものを別のものに変えてしまう。たとえば、照明装置が顕花植物の形をしているとか、居間が実は岩屋であるとかいったふうである。著しい例はエクトル・ギマールが1890年代末にデザインしたパリの地下鉄の入口で、それは鋳鉄製で蘭の茎の形をしていた」と述べている。あるものからあるものへ、という交換可能性は両性具有的であり、キャンプのそもそもの意味––––形容詞としてのキャンプは「女性のような男性、同性愛者のような」といった意味である––––と通じているのである。


 なぜ、キャンプについて記してきたかといえば、80年代のスウィング・ジャズのリバイバルは、このキャンプ的感覚が影響しているのではないかと考えたからだ。『上海バンスキング』を例にとると、この作品の舞台が上海であることは再三述べてきたが、上海の租界は英米仏日が「人工的に」作り出した街並みを有する。そんな芝居のセットめいた租界で、アメリカ産のジャズを日本人がアメリカ式のスタイルに則って演奏するのである。ある種の捩れを伴うこの設定は実にキャンプ的ではなかろうか。そうした不自然で様式化したスウィング・ジャズを、当時の我々は新鮮なものという感覚で受け止めていたばかりか、不思議なエキゾティシズムを感じるまでに至ったのだ。そこには当然、時間的距離も重要なファクターとして作用している。再びソンタグの言葉を借りれば「現在のものはわれわれにとって身近にすぎ」るからである。流行という観点から見たら時代遅れのスウィング・ジャズは、時代遅れだからこそ面白がる対象となり得るのだ。加えていうなら、ここに《キッチュ》の存在を見ることも可能であろう。キッチュとは「まがいもの」とか「通俗的なもの」とか「どぎついもの」といった意味で使われる言葉だが、80年代にあっては、上海租界(正確にいうと上海租界から立ち上るイメージ)がキッチュと目されることも少なからずあった。キッチュだからいい、キッチュだから面白い、ということである。


 『上海バンスキング』を一例に挙げたが、これ以外にもアメリカで70年代後半にスウィング・ジャズと南洋的なイメージ、それにディスコ・サウンドを重ねた、ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドや、そのサヴァンナ・バンドの中心人物だったオーガスト・ダーネル(のちにキッド・クレオール&ザ・ココナッツを結成する)がプロデュースを手がけた、サヴァンナ・バンドをよりディスコ・コンシャスにしたようなエルボウ・ボーンズ&ザ・ラケッティアーズは、スウィング・ジャズの「スタイル」やそれが持つ空気感、イメージだけを掬い取って人気を博した。面白いのは、このようなキャンプ的感覚の音楽を「新鮮なもの」として受け止めて、自作や提供曲にまんま取り入れた日本の音楽家がたくさんいたことである。70年代終盤から80年代後半にかけての歌謡曲の分野でもこの傾向は顕著で、それらは現在「サヴァンナ・バンド歌謡」「サヴァンナ歌謡」などと称されて人気なのだ。


 キャンプという感覚も、キッチュも相対的なものであって、時代や地域が変われば評価は変わってくる。先に引いたソンタグのノートの30には、引用箇所に先立って以下が記されている。すなわち「もちろん、キャンプの標準は変わりうる。これには、時の経過が大いに関係がある」。そして、こうした感覚が起こりうるのは、芸術でも何でも参照可能な要素––––過去の膨大な事象の蓄積––––が十二分に存在していることが前提であり、換言すれば文化的成熟が必須なのだ。ソンタグが「《キャンプ》についてのノート」を執筆した1964年以上に、キャンプ的な感覚で捉えることができる事象が潤沢にあった80年代。思えば80年代はキャンプとキッチュに溢れた時代だった。


 ところで、この3月に発表された<COMME des GARÇONS>の2018-19年秋冬コレクションは、ソンタグの「《キャンプ》についてのノート」に想を得たものだった。人工的で誇張された、芝居がかった事象を愛でるキャンプは、その起源を辿るとマニエリスムに行き着くのはソンタグも明記しているところだが、グスタフ・ルネ・ホッケは著書『迷宮としての世界』の中で、マニエリスムは1520年頃から1650年頃のヨーロッパに顕著な、固有の美術様式であるのみならず、危機の時代に繰り返し立ち現れる精神であると述べている。このことと、キャンプとマニエリスムとの相似性を考えると、<COMME des GARÇONS>が、不寛容なこの時代にキャンプを題材にしたのは非常に興味深いところである。キャンプはトレンドに振り回されることのない感覚であるが、また同時に、「キャンプ趣味とは一種の愛情––––人間性に対する愛情––––であ」り、「キャンプとはやさしい感情」で、何より「キャンプは寛容」なのだ。


*画像は1981年にリリースされた『上海バンスキング 吉田日出子・ファースト』のレコードジャケット(部分)。オンシアター自由劇場版では、吉田日出子がまどか役を演じ、劇中の音楽は劇団員が生演奏していたが、本録音はそのオリジナルキャストが演奏し吉田日出子が歌唱を担当している。余談だが「バンスキング」の「バンス」は「前借り」=「アドバンス」の意。


(メディア向けメールニュース「BEAMS NEWS」Vol.423掲載のコラムに加筆)