介入が光をもたらす––––ゴードン・マッタ=クラーク展(前篇)

2018.07.05

 「今日の芸術は新しい道具なのだ。––––すなわち、意識を改変し、感性の新しい様式を組み立てるための道具なのだ。そのうえ、芸術を実践する手段は根本的に拡がっている。実を言えば、芸術家自身も、この新しい機能(それは明確に表わされるよりも漠然と感じられる場合が多い)に応じて、自意識にかられた美学者となり、たえずおのれの手段や素材や方法に挑戦せざるをえなくなった。『非芸術』の世界––––たとえば、工業技術、商業的な方法やイメージ、純粋に私的で主観的な空想や夢など––––から得られた新しい素材や方法を、ものにしたり開発したりすることが、多くの芸術家の主な狙いのように感じられる場合が、少しも珍しくなくなっている。」


 スーザン・ソンタグは、当時取り沙汰されていた「文学的・芸術的文化」と「科学的文化」についての問題に思いを巡らせた1965年のエッセイ「一つの文化と新しい感性」(ちくま学芸文庫『反解釈』所収)の中でこう書いているが、産業革命以降の芸術を考えるうえで、「科学的文化」やテクノロジーの進歩とそこから派生するさまざまな現象、事象を無視することは到底できないのは改めて申すまでもないだろう。このエッセイを要約するならば、「文学的・芸術的文化」と「科学的文化」との間に溝があると考える人々は少なくないが、実際のところ、これら「二つの文化」は、冒頭に引いた通り芸術が科学的文化を「感性の新しい様式を組み立てるための道具」として活用し、それらは一つの文化として展開しつつある––––主にアメリカの文学作品の多くを除いては––––といったところである。そして、こうした新しい感性を持った「文化的勢力には、ある種の画家、彫刻家、建築家、社会計画家、映画作家、テレビ技術者、神経科医、音楽家、電子工学者、舞踊家、哲学者、社会学者が含まれる。(少数の詩人や散文作家も含めてよい。)」と、ソンタグは述べている。


 現在、東京国立近代美術館でアジア初となる回顧展が開催されているゴードン・マッタ=クラーク(1943-78)は、まさしくソンタグが指し示すところの「新しい文化的勢力」を代表するアーティストのひとりといえるだろう。チリ出身でシュルレアリストとして知られる画家のロベルト・マッタを父に、画家でデザイナーのアン・クラークを母に持つマッタ=クラークはニューヨーク生まれ。1968年、ニューヨーク州イサカのコーネル大学建築学部を卒業したのちもイサカに住み、大学や建設局でパートタイムとして働いた。翌年、コーネル大学で開催された、招待作家が自然溢れる学内で作品制作を行う「アース・アート」展にアシスタントとして参加。同年、ニューヨーク市ソーホーに転居し、芸術家コミュニティへと身を投じて作家活動を本格的に開始することとなった。本展覧会は、1978年にすい臓癌で亡くなるまでのマッタ=クラークの芸術家としての足跡を追ったものである。会場は「住まい Dwellings」「ストリート Street」「港 Port」「市場 Market」「ミュージアム Museum」の5つのカテゴリーに分けられているが、これはマッタ=クラークの作品を考えるうえで重要な「場所」に準じたものだという。なぜ場所が重要か。それはマッタ=クラークの作品の多くが、建造物、土地、空間、隙間、ひいてはそれらを内包する地域や都市と紐付いているからである。以下、展示に関していくつかの事柄を述べていこう。


 まず私たちを出迎えるのは、美術館の前に置かれた《ごみの壁》のリプロダクションだ。これは、マッタ=クラークが街中で集めてきたごみをタールや石膏、セメントで固め積層した1970年の作品《ごみの壁》を、本展のために再制作したもの。マッタ=クラークの死後、《ごみの壁》は展覧会などの機会に合わせ、それぞれの土地のごみを採集して何度か再制作されているそうで、本展バージョンの制作には早稲田大学建築学科の学生たちが携わっている。


 展示スペースに入って、まず目を引くのは段ボールで作られた建築模型だ。これは、マッタ=クラークにとって初の美術館による委嘱作品(シカゴ現代美術館の依頼により制作)である《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》(1978)の1/8スケールの模型で、早稲田大学建築学科小林恵吾研究室が制作した(小林恵吾は本展の会場構成を担当した建築家で早稲田大学准教授)。《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》は、シカゴ現代美術館が増加する所蔵品のために購入した、美術館に隣接するタウンハウスを別館として改修する際に、マッタ=クラークにプロジェクトを依頼して実現のはこびとなったものだ。「建物の20フィート(約6メートル)の幅いっぱいの直径を持つ三つの円が床を貫いたが、切り抜く幅はそれぞれに異なり、部屋の区切りによっても変化した」(公式図録 P.186)。建物を切り取っているのである。それもちょっとやそっとの切り取り方ではない。この手法は、《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》以前にも行われているが、本プロジェクトが生前最後の建物の切断となってしまった。会場には模型のほか、《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》を撮影した写真や事前プランなども展示されている。


超新星として輝く建造物


 建物の切断ということでいうと、マッタ=クラークの作品の中でもつとに有名なのは《スプリッティング》(1974)ではないだろうか。ニュージャージー州イングルウッドの一軒家に1インチ(約2.5センチ)間を空けた線を引き、電動ノコギリでそれをなぞって切って、間の構造物を取り除き、家をまっぷたつにしたうえで、土台ブロックの一部を抜いてジャッキで支え、切断した家の片方の後ろ側を下に降ろした。そののち、家の上部の四隅を切断し、それらは《スプリッティング:四つの角》(1974)として美術館などでも展示された。本展でもこの《スプリッティング:四つの角》の現物を見ることができる。ちなみにこの建物はこの地域の再開発計画に則り、同年8月に予定通り取り壊されたそうだ。


 この《スプリッティング》のほか、《ブロンクス・フロアーズ》(1972-73)、《日の終わり》(1975)、《円錐の交差》(同)、《オフィス・バロック》(1977)、そして先に触れた《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》など、建物を切断あるいは切り取る一連の作品は〈ビルディング・カット〉シリーズと称されるが、こうした取り組みは、1950年代あたりから発生し、時代が下るにつれて顕在化していったニューヨークにおける都市問題––––郊外化とそれに伴うコミュニティの消失、機械化進行による余剰農民の都市流入、都市に取り残される貧困層など––––が背景にある。ニューヨーク出身でニューヨークで作家活動を行っていたマッタ=クラークにとっては、これらは非常に身近な問題であり、「収益を上げるための暴力的な土地利用の転換や、そのために都合の良い住宅への収容に、疑問を呈していた」(公式図録所収、平野千枝子「ゴードン・マッタ=クラーク 空間のなかの変容」)。〈ビルディング・カット〉は、取り壊されるもの「への」視点だけでなく「からの」視点も変容させるところに醍醐味があり、それを鑑賞あるいは体験(作品の一部は、建物の中へ入ることができた)する人々は、取り壊し待ちの無用だったはずのものに感情を揺さぶられ、各々の記憶にその痕跡を残す。ここでのマッタ=クラークの介入の方向性は「開示する」ものであるがゆえ、不思議と風通しよく感じるのも面白いところだ。いずれにせよ、なくなってしまう前の一刹那、マッタ=クラークが介入し建物や空間を変容させることで、壊される運命の建築物は超新星のごとく最後の輝きをみせ、その光は時空を超えて(この展示のように)私たちのもとへと届くのである。


 〈ビルディング・カット〉以外にも、都市と人の痕跡としてのグラフィティや、マッタ=クラークが友人らと共同運営にあたっていたレストランで、郊外化の弊害としてのコミュニティ崩壊への楽しげで緩やかな批判ともとれる《フード》(1971)など、現代と照らし合わせても古びた印象のないマッタ=クラークの問題意識を見て取ることができる本展だが、私が興味を惹かれたのは、おおむね以下の2つの点についてだ。ひとつは、これまで何度か述べてきた「ゴミ」「無用なもの」を変容させ作品化する、すなわち低次のものから高次のものを生み出す錬金術的アプローチである。これはマッタ=クラーク作品の通奏低音になっていると考えられる。もうひとつは、彼の作品の多くが持つシアトリカルな性格。基本的に万人に開かれた場所である都市や郊外を舞台に展開された、ある種サイトスペシフィックな作品たちは、それらがやがて壊されてなくなってしまう運命にあろうとも、そこにあるうちは鑑賞可能なケースが多かったはずである。つまり誰でも見られることが、彼の作品にとっては重要であったはずで(それはホワイトキューブという限定的な空間で展示することへの問いかけにも通じる)、だからこそ作品とその製作過程––––むしろこの過程こそが作品的ともいえそうだ––––の多くを、マッタ=クラークはビデオに収めたのではなかっただろうか。(後篇に続く)




*BEAMSは「ゴードン・マッタ=クラーク展」と連動し、コラボレーションアイテムを発売中。アイテムなどの詳細はこちら

*本展のサテライト企画として、トークイベント「料理というクリエーションと食におけるストリートカルチャー」を「PADDLERS COFFEE」(東京・幡ヶ谷)にて開催。詳細はこちら

*「料理というクリエーションと食におけるストリートカルチャー」の模様はYouTubeチャンネル「GMC FOOD BEAMS」にて配信。開催後はアーカイヴとして公開中