錬金術からニューエイジへ––––ゴードン・マッタ=クラーク展(中篇)

2018.08.16

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 ゴードン・マッタ=クラーク展の公式図録で、平野千枝子は「ゴードン・マッタ=クラーク 空間のなかの変容」の中の「1 住まい」において「錬金術 空と大地をつなぐ樹木」という見出しを立ててマッタ=クラークと錬金術との関連をコンパクトにまとめている。マッタ=クラークの初期の素描および《ツリー・ダンス》(1971)にみられる植物、樹木、あるいは上昇と下降のモティーフといった例を挙げたうえで、「マッタ=クラークの蔵書は錬金術に関する書物を多く含み、特にカール・ユングの『心理学と錬金術』には熱心な読書の形跡が見られる」(公式図録 P. 245)と記している。また、2012年から2016年に行った「ゴードン・マッタ=クラークの作品と1970年代の自然観」と題した研究の成果報告書(2017)の中では「彼は、土壌から水や鉱物成分を吸い上げ、上に向かって伸び、環境に影響を及ぼし、また、環境によっては枯れてゆく樹木を、エネルギーの循環のモデルと見なしていた可能性が高い」とも考察している。植物や上昇と下降、そして循環は錬金術において重要なキーワードである。以下、できるだけ簡潔に錬金術について触れていこう。


 錬金術の起源をたどってゆくと「錬金術は自然現象と大宇宙についてこしらえ上げた最古の諸観念と理論にまで切れ目なく遡ることができる」(R・ベルヌーリ『錬金術 タロットと愚者の旅』所収「錬金術の基本要素」)。具体的にはヘレニズム期のアレクサンドリアが発祥とされ、それがイスラム世界に広まり、12世紀に入るとアラビア語で書かれた文献がラテン語に翻訳され、ヨーロッパにも錬金術思想が本格的に伝播することとなって、13世紀と16世紀すなわちルネサンスにあたる時期に最盛期を迎えた。こうしたヨーロッパ系統だけでなく、紀元前のインドにも錬金術に関する記述のある文献が存在したり、中国に「練丹術」があったりするなど、早くから文明が開けたところには錬金術の存在が認められる。


 錬金術という言葉に胡散臭いイメージを持たれる方も多いかもしれないが、錬金術は贋の黄金作りのHow toではない。もちろん、そういった技術的な側面に注目した人々がいなかったわけではないし、実際、錬金術は単なる思索でなく「作業(opus)」が欠くべからざるものであったのだが、本質的な部分でいえば哲学であり、不完全なものから完全なるものを生み出すとは、人間の精神を低いレベルから高次へと引き上げるということにほかならない。「錬金術の奥義をきわめた最高の道士たちは、むしろ実利に走りやすい化学実験や冶金作業を『へぼ料理』として蛇蝎視していた。錬金術師にとって最大の眼目は、金属を黄金に変える技術そのものではなく、ましてやこの技術を実社会に通用する金銭に替えることではなかった。なによりも低次の金属を高次の金属に変えるという物質変容の過程に、獣性をもって生まれてきた人間が霊性にめざめていく魂の精鍛、錬磨の比喩を見てとっていたのである」(種村季弘『黒い錬金術』所収「錬金術とは何か」)。物質はいわば象徴であって、錬金術の様々な局面を指し示す言葉は、多分に人間の精神的な局面と照応していると考えても差し支えないだろう。錬金術を考えるうえでは、このような精神面と物質面の二重性を見逃してはならない。


 では、実際のところの「作業(opus)」はどういったものであったか。「『作業』は三つの石、もしくは三つの個別作業、もしくは三段階の完成から成っている。第一の作業は、対象が(反復される蒸留と定着によって)完全に浄化されて、純粋なメルクリウス的物質(引用者註:メルクリウスとは水銀のこと)に変容したときに終わる。完成の第二の段階は、同じこの対象が煮沸され、消化(分解)されて、不燃性の硫黄として定着されたときに到達される。この対象が発酵と増殖を通じて『至高の完成』に達し、堅固な、不変の、赤みを帯びたチンキ剤に、すなわち賢者の石に変容すると『第三の石』が出現してくる」(スタニスラス・クロソウスキ・ド・ローラ『錬金術 精神変容の秘術』所収「大いなる作業」)。引用箇所を読んでもなんだかよくわからない(むしろわからなくて当然)と思うが、作業の最初に必要なのは「第一原質(マテリア・プリマ)」(引用中では「対象」と記されている)––––錬金術師によって様々な金属が挙げられていて物質的に特定することが不可能なほどだ––––である。「だが、第一原質が実際には何であれ、錬金術のプロセスではこの未知の原質は当初つねに黒(nigredo)の状態にあると考えられていた」(種村季弘『黒い錬金術』所収「黒い錬金術」)。黒であるところの第一原質が、白化を経て赤化して「賢者の石」となる。黄金の生成が目的であれば、黄化まで作業は続く。こうした作業を行った末に黄金が得られたかどうかは定かではないが、錬金術師たちによるこれらの作業の過程の副産物として、アルコールの蒸留や白磁の製法、白金や火薬の発見がもたらされたという。


 上記の作業で重要なのは、第一原質が何らかの作用を受けて「変容」する、すなわち第一原質の中には次の状態そして最終の状態があらかじめ内包されているという点である。錬金術の象徴として、黒く小さなひと粒にその後のすべてが含まれている植物の種子が用いられるのはまさにこのことにおいてなのだ。「全は一なり、一は全なり」は錬金術の基本的な考え方なのである。


分離、解体、そして結合


 もうひとつ、錬金術の原理で忘れてはならないのは「万物照応」だろう。先に引いたR・ベルヌーリによれば、「地上には天上に対応物をもたぬなにごとも生起せず、その逆も真である」(「錬金術の基本要素」)。より具体的には、以下の通りである。「たとえば、大宇宙の七つの惑星は七つの主要な金属に対応してるが、のみならず人間の肉体という小宇宙のなかの七つの臓器とも対応している」(種村季弘『黒い錬金術』所収「錬金術の変貌」)。天上界がモデルとなり、地上のあらゆる物事が形作られているという発想は、古代中国やバビロニアの頃からあったものだが、錬金術はこれを双方向の運動として捉えた。すなわち「錬金術師たちの考えの独自性は、この運動を可逆的なものと見なして、下から上へ、卑しいもの、病的なもの、不完全なものを手掛かりにして天上的なソフィアに到達しうると考えたことにあった」(「錬金術の変貌」)のである。当然のことながら、地上界の「卑しいもの、病的なもの、不完全なもの」には、完全なるものの種子が含まれていると考えられるがゆえ、運動は可逆的なものとなりえる。そして、完全なる至高の存在の種子たる「卑しいもの、病的なもの、不完全なもの」は、未分化の混沌状態であって、錬金術は大いなる作業を通じてそれらを「分離」「解体」し、「結合」させるのである。


 さて、ここまで錬金術についての概要を記してきたわけだが、これを踏まえたうえで改めてマッタ=クラークの作品を見てみると、錬金術的な考えが随所に盛り込まれているように感じる。120点以上存在するという《木の素描》(1969-)や、大木に縄梯子やハンモック的な布を配した《ツリー・ダンス》には、木=建築物=都市という照応関係を見てとれるだろうし、循環や「全は一なり、一は全なり」の象徴である樹木、植物への関心に錬金術的な視点を見ることも可能であろう。あるいは、ゼラチン状のてんぐさに食物、飲料、菌などを混ぜ込み物質が変容(解体と結合といってもいいだろう)してゆく様子を展示した《ミュージアム》(1970)、冥府下りよろしく都市の地下を探求した《サブストレイト(地下の日報)》(1976)と《パリの土の下(パリの地下)》(1977)および、それと対照的に天空を目指した《ヤコブの梯子》(1977)では、地と天をつなぐ中間的存在としての人の営み––––「錬金術師たちは人間の魂を物質(獣性)と霊との中間存在としてとらえ」た(種村季弘「錬金術とは何か」)––––を作品として提示している。さらに「壊しながら造る」「造りながら壊す」を実践した一連の〈ビルディング・カット〉は、「壊す」と「造る」という相反する物事の結合である。


 錬金術的には、完全を目指す途中段階で必ず黒化すなわち「死」「腐敗」が現れるのだが、これまで見てきた通り、マッタ=クラークの作品の多くにはこうした性質が備わっている。では、なぜルネサンス期に興隆を極めた錬金術が、マッタ=クラークが作品を制作した1960~70年代に参照されたのだろう? それを考えるには、6~70年代の思想的なトレンドを検討する必要がある。具体的にいえば、ニューエイジ思想とオカルト・ブームである。宗教史家のミルチア・エリアーデは、この時代のオカルトへの関心の高まりについて、「キリスト教的伝統を拒否して、個人的ならびに集団的更新を達成する、いっそう広範でいっそう有効と考えられた方法に従うことである。たとえこれらの思想が素朴で稚拙に表現された場合でさえ、そこにはつねにひとつの暗黙の確信がある。すなわち、現代社会の混沌と無意味から脱出する出口が存在し、この出口は、古い尊ぶべき秘法への秘儀伝授を、それ故にその啓示を意味するものである、という確信である」と述べている(『オカルティズム・魔術・文化流行』第四章「オカルトと現代世界」所収「『更新』への希望」)。ヒッピー・ムーブメント~カウンター・カルチャーに端を発するニューエイジについては、後篇にて背景や考え方を追ってみようと思うが、キリスト教と違って包括的な枠組みがあるわけでもなく、団体やグループによって活動内容や信条が多岐にわたるため、概論的な内容にとどまざるを得ない。ひとつ言えるのは、ニューエイジの流行、浸透によって、かつての錬金術が再び脚光を浴びたこと、そしてその大きな要因のひとつが、マッタ=クラークも愛読していた『心理学と錬金術』などのユングの著作であったことである。




*BEAMSは「ゴードン・マッタ=クラーク展」と連動し、コラボレーションアイテムを発売中。アイテムなどの詳細はこちら

*本展のサテライト企画として、トークイベント「料理というクリエーションと食におけるストリートカルチャー」を「PADDLERS COFFEE」(東京・幡ヶ谷)にて開催。詳細はこちら

*「料理というクリエーションと食におけるストリートカルチャー」の模様はYouTubeチャンネル「GMC FOOD BEAMS」にて配信。開催後はアーカイヴとして公開中