さようなら高田朋佳、そして世界へ

2019.07.08

こんにちは、安武です。



同志である高田朋佳がBEAMSを退社する。



(7年ほど前、TV取材の際にフジテレビの竹内友佳アナからの直筆メッセージを持つ高田)


彼と出会ったのは遡ること13年前だったか。

銀座店に中途社員として入社してきた時、彼は23歳、僕は21歳(だったと思う)。


スーツはKITON(キートン)、靴はEDWARD GREEN(エドワード グリーン)。タイは柔らかなセッテピエゲのネイビーソリッドを締めていたのが印象的で、既に20代前半にしてドレススタイルを自分のものにしているのが、同世代として尊敬しつつ、何より悔しかった。



彼は洋服の専門学校を卒業後、EVIS JEANSに入社。(意外でしょ!?)

その後渡英し、ほどなくして「ビームス ハウス 丸の内」にアルバイトとして入社。
銀座店にそれからすぐ後に入社した僕。たしか丸の内店と銀座店で何度か電話で話した事があったような無かったような。


少しすると、彼は更なる刺激を求めて転職した。

「ストラスブルゴ」などを展開するリデアへ。

若くしてKITONの六本木店で高級仕立て服などの経験を積んだ。

そして身銭を切って自ら試す日々。きっと今の高田があるのは、ここでの経験が大きかったであろう。



...

「やっぱりBEAMSで働きたい。」


20代前半で様々な高級品を見て、触って、着て。大口のお客様にも恵まれていた高田が出した答えが、改めてBEAMSで働くということ。


丸の内店で勤務していた時、当時の先輩からとても可愛がられていた高田。

特に可愛がっていたのは、現在も「ビームス ハウス 丸の内」で働き、BEAMS内でも数名しかいない"サービスマスター"の称号を手にしている齋藤浩樹だ。


齋藤とはプライベートでも食事をする仲であり、とことん"接客論"を叩き込まれていた。

(左から二番目が齋藤)

.....


BEAMSの中途採用は当時、年に一度しかなかった。

そのタイミングを見計らって応募し、見事合格。

アルバイトから社員になるのにも数年かかるスタッフが多かった頃、一発合格というのはとても珍しい。


配属は丸の内店ではなく、銀座店。

当時の銀座店は、現在「ビームス 六本木ヒルズ」でショップマネージャーを務める藤田や、「ビームス ハウス 丸の内」でサービスマスターを務める三浦といった売上トップのスタッフが抜けるタイミングで、まさにイチからお店を作り直すを時期だった。


若手主体のお店作りを任されたのは、現在カジュアル部門の統括ディレクターを務める田辺だ。

銀座店歴10年以上、"ミスターギンザ"の異名は田辺が発祥。

(後に"ミスターギンザ"の呼称は高田へと引き継がれる)

(2010年頃の銀座店スタッフ)


当時の若手と言えば...

高田をはじめ、現在「ビームス ハウス 六本木」次長の川口、「ビームス ハウス 神戸」ショップマネージャーの掛橋、BEAMS LIGHTSバイヤーの上川路、BEAMS JAPAN MDの浅見などなど個性派メンバーが揃っていた。


昼は田辺政権のもと、真面目に。

(本当、田辺さん厳しかったな〜笑)

そして夜はとことん遊ぶ。

若手を中心に夜の銀座の街へよく繰り出していたものだ。

その中心にいたのが、高田だった。


若手中堅含め、当時は彼女が居ないメンバーが揃っていたので、よく近隣のアパレルショップの女性と飲み会をしていた。

そういった飲み会でも、恵まれた容姿と明るい性格で、やはり高田はモテていた。


...


BEAMSでは半年に一度、人事異動がある。

僕は5年半在籍した銀座店を離れ、新宿店へ異動。その1年半後にプレスへ。


高田はその後も数年間、"ミスターギンザ"として君臨していた。


その期間に、運命的な出会いを果たす。

河村浩三さんとの出会いだ。


テーラードはもちろん、ビスポークの知識まで。サーフィンやヨガといったアクティブスポーツをライフワークとし、BEAMSのドレス部門でも異彩を放っていた河村さん。

社内でも信奉者が多く、ドレス部門のみならずカジュアル部門のスタッフも慕うほどだ。

そんな河村さんと高田、そして当時の銀座店メンバーである現「ビームス プラス 有楽町」ショップマネージャーの鈴木や、現「ビームス 六本木ヒルズ」の間瀬らと共に毎晩のように飲み明かした。

高田は河村さんの影響を受け、湘南へ引っ越しをしたほどだ。

その後すぐに、河村さんはシンガポールでお店を開くと言い、BEAMSを退社した。

(河村浩三さん。THE RAKEより引用)


.....

順風満帆な銀座店生活に転機が訪れたのは、勤務して7年ほど経った頃。

Brilla per il gusto(ブリッラ ペル イル グスト)ディレクターの無藤は、徐々に拡大していたレーベルを更にパワーアップさせる為、アシスタントバイヤーを探していた。

元々銀座店が長かった無藤は、バイヤーになってからもよく銀座の街に顔を出していた。

そこで銀座の街を、ジャケットにTシャツ姿で闊歩する高田の姿を目にする。


当時、ジャケットにTシャツを合わせるスタイルはBEAMSでは珍しく、なおかつ難しいとされていた。

ましてや、本人に色気がないと出来ない。

それをあたかも自分のスタイルとして着こなしている高田を目にし、


「次の時代のBrillaを作るのは、コイツしかいない。」


そう思った。


だがクリエイティブディレクターの中村は最初、高田の起用を反対していたという。

中村の耳に届いていた高田の情報は、"酒好き"ということ。

無藤も無類の酒好き。2人が悪い相乗効果で酒へと溺れることを懸念したためだ。


だが無藤の想いは強く、また中村も高田のファッションセンスに期待してアシスタントバイヤーへと招き入れたのが2013年のことだ。

(いつぞやの高田と無藤。ギリギリアウトな写真 笑)

.....


ここからの活躍は、皆さんご存知の通りだろう。

バイヤーとして若い感性を存分に発揮し、今まで仕入れてこなかったDEUS EX MACHINA(デウス エクス マキナ)などのカジュアルブランドを大ヒットさせ、

プリーツパンツなどもいち早く紹介。

昨今ではオリジナルスーツをサルトリア仕様にするなど、ものづくりの一端も担っている。


そしてBEAMS F(ビームスF)ディレクターの西口と共に二枚看板として、BEAMSドレス部門の世界的認知向上を果たす。

Instagramを始めたのはむしろ僕の方が早く初めのうちは相談に乗っていたのだが、

すぐさま追い抜かれ、今ではフォロワー7万9000人。

PITTIの会場で高田を知らない業界人は居ないくらい、アジアを代表するファッショニスタへと駆け上がった。


.....


「安武さん、BEAMSを辞めることにしたんです。」


昨年末、プレス内覧会のコーディネートを組むために休日出勤していた時の一言。

昼ごはんを食べる為、神宮前の名店「山之内」へ行き、名物のネギそばを食べている時だった。


...さして驚きは無かった。

20代前半の頃からチャレンジすることに対してすごく前向きだったし、

すでにBEAMSという枠に収まらない人間になっていると感じていた。

というか、今だから言えるが、個人的に相談もされていた。


....


高田と僕の関係は、とても曖昧だ。

年齢は高田の方が上、

社歴は僕の方が上(アルバイト歴を含めると高田の方が上)。

普段はお互いを

「高田さん」

「安武さん」

と呼び合い、酔っ払うとタメ口に。

(だいたい高田はその頃、記憶が無いのだが笑)


昨年の3月、高田と僕は先述した河村さんが立ち上げたシンガポールのお店「COLONY CLOTHING(コロニークロージング)」の4周年パーティに出席すべく、シンガポールへ飛んだ。

(かくいう僕も河村さんの信奉者で、新宿店時代に誘われて同じアシュタンガヨガのスタジオに通っていた)



お互い初めてのシンガポール。

2人ともお金を節約するために、河村さんの家に泊まらせてもらった。


この旅で、「COLONY CLOTHING」を取り巻く環境を見せつけられた。

知り合いが居ないシンガポールの地に、しかも一年中亜熱帯で洋服も夏服しか要らないような地に、4年でこの洋服屋を根付かせていた。

それは先見の明もあるが、河村さんの人柄あってのものだと思う。


高田はこの旅で感化された。


BEAMSに居る自分に対し、何度も問いただしたのだと思う。

このままで良いのかと。チャレンジするなら今しかないと。



シンガポールから日本への帰路で、今後について様々な話をした。


.....


BEAMS→COLONY CLOTHINGへ。


本人の決断は早かったと思うが、家族や会社のタイミングもある。


家族は高田の決断に、Noとは言わなかった。もちろん海外での生活は不安しかないだろう。だが、家族は高田を信じた。


会社に関しては、すぐに辞める事も容易に出来ただろうが、後任の指導をする為この夏まで退社を引っ張った。


.....


これが高田朋佳のBEAMS人生の軌跡である。


.....


なーんて、偉そうに語っちゃいましたが、

13年間一緒に居た、しかもかなり近い位置に居て、お互いの苦楽を見てきた同志との別れ。

なんだったら、一緒にBEAMSの未来を背負っていきたいと勝手ながら思っていたわけで。だからとても寂しいわけで。



転職、そして見知らぬ土地へ。


大きな決断をした同志を、心から応援しようと思います。


正直、同志が揺れているタイミングで、僕も色々と考えました。

きっと周りの人間も同じように考えたと思う。

だけど僕は、僕たちは、残りました、BEAMSに。


お互いの決断が正しかったと10年後に言えるようになれば良いと心から思っています。


どちらが最良の選択をしたか比較するのではなく、どちらも良い選択をしたと言いたい。



とにかく、このブログの読者は引き続き高田朋佳のことを応援、なにとぞ宜しくお願い致します。

(安武が高田に負けていないかも、しっかりチェックしていてくださいね。)



安武