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錬金術からニューエイジへ––––ゴードン・マッタ=クラーク展(中篇)

(前篇はこちら

 ゴードン・マッタ=クラーク展の公式図録で、平野千枝子は「ゴードン・マッタ=クラーク 空間のなかの変容」の中の「1 住まい」において「錬金術 空と大地をつなぐ樹木」という見出しを立ててマッタ=クラークと錬金術との関連をコンパクトにまとめている。マッタ=クラークの初期の素描および《ツリー・ダンス》(1971)にみられる植物、樹木、あるいは上昇と下降のモティーフといった例を挙げたうえで、「マッタ=クラークの蔵書は錬金術に関する書物を多く含み、特にカール・ユングの『心理学と錬金術』には熱心な読書の形跡が見られる」(公式図録 P. 245)と記している。また、2012年から2016年に行った「ゴードン・マッタ=クラークの作品と1970年代の自然観」と題した研究の成果報告書(2017)の中では「彼は、土壌から水や鉱物成分を吸い上げ、上に向かって伸び、環境に影響を及ぼし、また、環境によっては枯れてゆく樹木を、エネルギーの循環のモデルと見なしていた可能性が高い」とも考察している。植物や上昇と下降、そして循環は錬金術において重要なキーワードである。以下、できるだけ簡潔に錬金術について触れていこう。


 錬金術の起源をたどってゆくと「錬金術は自然現象と大宇宙についてこしらえ上げた最古の諸観念と理論にまで切れ目なく遡ることができる」(R・ベルヌーリ『錬金術 タロットと愚者の旅』所収「錬金術の基本要素」)。具体的にはヘレニズム期のアレクサンドリアが発祥とされ、それがイスラム世界に広まり、12世紀に入るとアラビア語で書かれた文献がラテン語に翻訳され、ヨーロッパにも錬金術思想が本格的に伝播することとなって、13世紀と16世紀すなわちルネサンスにあたる時期に最盛期を迎えた。こうしたヨーロッパ系統だけでなく、紀元前のインドにも錬金術に関する記述のある文献が存在したり、中国に「練丹術」があったりするなど、早くから文明が開けたところには錬金術の存在が認められる。


 錬金術という言葉に胡散臭いイメージを持たれる方も多いかもしれないが、錬金術は贋の黄金作りのHow toではない。もちろん、そういった技術的な側面に注目した人々がいなかったわけではないし、実際、錬金術は単なる思索でなく「作業(opus)」が欠くべからざるものであったのだが、本質的な部分でいえば哲学であり、不完全なものから完全なるものを生み出すとは、人間の精神を低いレベルから高次へと引き上げるということにほかならない。「錬金術の奥義をきわめた最高の道士たちは、むしろ実利に走りやすい化学実験や冶金作業を『へぼ料理』として蛇蝎視していた。錬金術師にとって最大の眼目は、金属を黄金に変える技術そのものではなく、ましてやこの技術を実社会に通用する金銭に替えることではなかった。なによりも低次の金属を高次の金属に変えるという物質変容の過程に、獣性をもって生まれてきた人間が霊性にめざめていく魂の精鍛、錬磨の比喩を見てとっていたのである」(種村季弘『黒い錬金術』所収「錬金術とは何か」)。物質はいわば象徴であって、錬金術の様々な局面を指し示す言葉は、多分に人間の精神的な局面と照応していると考えても差し支えないだろう。錬金術を考えるうえでは、このような精神面と物質面の二重性を見逃してはならない。


 では、実際のところの「作業(opus)」はどういったものであったか。「『作業』は三つの石、もしくは三つの個別作業、もしくは三段階の完成から成っている。第一の作業は、対象が(反復される蒸留と定着によって)完全に浄化されて、純粋なメルクリウス的物質(引用者註:メルクリウスとは水銀のこと)に変容したときに終わる。完成の第二の段階は、同じこの対象が煮沸され、消化(分解)されて、不燃性の硫黄として定着されたときに到達される。この対象が発酵と増殖を通じて『至高の完成』に達し、堅固な、不変の、赤みを帯びたチンキ剤に、すなわち賢者の石に変容すると『第三の石』が出現してくる」(スタニスラス・クロソウスキ・ド・ローラ『錬金術 精神変容の秘術』所収「大いなる作業」)。引用箇所を読んでもなんだかよくわからない(むしろわからなくて当然)と思うが、作業の最初に必要なのは「第一原質(マテリア・プリマ)」(引用中では「対象」と記されている)––––錬金術師によって様々な金属が挙げられていて物質的に特定することが不可能なほどだ––––である。「だが、第一原質が実際には何であれ、錬金術のプロセスではこの未知の原質は当初つねに黒(nigredo)の状態にあると考えられていた」(種村季弘『黒い錬金術』所収「黒い錬金術」)。黒であるところの第一原質が、白化を経て赤化して「賢者の石」となる。黄金の生成が目的であれば、黄化まで作業は続く。こうした作業を行った末に黄金が得られたかどうかは定かではないが、錬金術師たちによるこれらの作業の過程の副産物として、アルコールの蒸留や白磁の製法、白金や火薬の発見がもたらされたという。


 上記の作業で重要なのは、第一原質が何らかの作用を受けて「変容」する、すなわち第一原質の中には次の状態そして最終の状態があらかじめ内包されているという点である。錬金術の象徴として、黒く小さなひと粒にその後のすべてが含まれている植物の種子が用いられるのはまさにこのことにおいてなのだ。「全は一なり、一は全なり」は錬金術の基本的な考え方なのである。


分離、解体、そして結合


 もうひとつ、錬金術の原理で忘れてはならないのは「万物照応」だろう。先に引いたR・ベルヌーリによれば、「地上には天上に対応物をもたぬなにごとも生起せず、その逆も真である」(「錬金術の基本要素」)。より具体的には、以下の通りである。「たとえば、大宇宙の七つの惑星は七つの主要な金属に対応してるが、のみならず人間の肉体という小宇宙のなかの七つの臓器とも対応している」(種村季弘『黒い錬金術』所収「錬金術の変貌」)。天上界がモデルとなり、地上のあらゆる物事が形作られているという発想は、古代中国やバビロニアの頃からあったものだが、錬金術はこれを双方向の運動として捉えた。すなわち「錬金術師たちの考えの独自性は、この運動を可逆的なものと見なして、下から上へ、卑しいもの、病的なもの、不完全なものを手掛かりにして天上的なソフィアに到達しうると考えたことにあった」(「錬金術の変貌」)のである。当然のことながら、地上界の「卑しいもの、病的なもの、不完全なもの」には、完全なるものの種子が含まれていると考えられるがゆえ、運動は可逆的なものとなりえる。そして、完全なる至高の存在の種子たる「卑しいもの、病的なもの、不完全なもの」は、未分化の混沌状態であって、錬金術は大いなる作業を通じてそれらを「分離」「解体」し、「結合」させるのである。


 さて、ここまで錬金術についての概要を記してきたわけだが、これを踏まえたうえで改めてマッタ=クラークの作品を見てみると、錬金術的な考えが随所に盛り込まれているように感じる。120点以上存在するという《木の素描》(1969-)や、大木に縄梯子やハンモック的な布を配した《ツリー・ダンス》には、木=建築物=都市という照応関係を見てとれるだろうし、循環や「全は一なり、一は全なり」の象徴である樹木、植物への関心に錬金術的な視点を見ることも可能であろう。あるいは、ゼラチン状のてんぐさに食物、飲料、菌などを混ぜ込み物質が変容(解体と結合といってもいいだろう)してゆく様子を展示した《ミュージアム》(1970)、冥府下りよろしく都市の地下を探求した《サブストレイト(地下の日報)》(1976)と《パリの土の下(パリの地下)》(1977)および、それと対照的に天空を目指した《ヤコブの梯子》(1977)では、地と天をつなぐ中間的存在としての人の営み––––「錬金術師たちは人間の魂を物質(獣性)と霊との中間存在としてとらえ」た(種村季弘「錬金術とは何か」)––––を作品として提示している。さらに「壊しながら造る」「造りながら壊す」を実践した一連の〈ビルディング・カット〉は、「壊す」と「造る」という相反する物事の結合である。


 錬金術的には、完全を目指す途中段階で必ず黒化すなわち「死」「腐敗」が現れるのだが、これまで見てきた通り、マッタ=クラークの作品の多くにはこうした性質が備わっている。では、なぜルネサンス期に興隆を極めた錬金術が、マッタ=クラークが作品を制作した1960~70年代に参照されたのだろう? それを考えるには、6~70年代の思想的なトレンドを検討する必要がある。具体的にいえば、ニューエイジ思想とオカルト・ブームである。宗教史家のミルチア・エリアーデは、この時代のオカルトへの関心の高まりについて、「キリスト教的伝統を拒否して、個人的ならびに集団的更新を達成する、いっそう広範でいっそう有効と考えられた方法に従うことである。たとえこれらの思想が素朴で稚拙に表現された場合でさえ、そこにはつねにひとつの暗黙の確信がある。すなわち、現代社会の混沌と無意味から脱出する出口が存在し、この出口は、古い尊ぶべき秘法への秘儀伝授を、それ故にその啓示を意味するものである、という確信である」と述べている(『オカルティズム・魔術・文化流行』第四章「オカルトと現代世界」所収「『更新』への希望」)。ヒッピー・ムーブメント~カウンター・カルチャーに端を発するニューエイジについては、後篇にて背景や考え方を追ってみようと思うが、キリスト教と違って包括的な枠組みがあるわけでもなく、団体やグループによって活動内容や信条が多岐にわたるため、概論的な内容にとどまざるを得ない。ひとつ言えるのは、ニューエイジの流行、浸透によって、かつての錬金術が再び脚光を浴びたこと、そしてその大きな要因のひとつが、マッタ=クラークも愛読していた『心理学と錬金術』などのユングの著作であったことである。




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介入が光をもたらす––––ゴードン・マッタ=クラーク展(前篇)

 「今日の芸術は新しい道具なのだ。––––すなわち、意識を改変し、感性の新しい様式を組み立てるための道具なのだ。そのうえ、芸術を実践する手段は根本的に拡がっている。実を言えば、芸術家自身も、この新しい機能(それは明確に表わされるよりも漠然と感じられる場合が多い)に応じて、自意識にかられた美学者となり、たえずおのれの手段や素材や方法に挑戦せざるをえなくなった。『非芸術』の世界––––たとえば、工業技術、商業的な方法やイメージ、純粋に私的で主観的な空想や夢など––––から得られた新しい素材や方法を、ものにしたり開発したりすることが、多くの芸術家の主な狙いのように感じられる場合が、少しも珍しくなくなっている。」


 スーザン・ソンタグは、当時取り沙汰されていた「文学的・芸術的文化」と「科学的文化」についての問題に思いを巡らせた1965年のエッセイ「一つの文化と新しい感性」(ちくま学芸文庫『反解釈』所収)の中でこう書いているが、産業革命以降の芸術を考えるうえで、「科学的文化」やテクノロジーの進歩とそこから派生するさまざまな現象、事象を無視することは到底できないのは改めて申すまでもないだろう。このエッセイを要約するならば、「文学的・芸術的文化」と「科学的文化」との間に溝があると考える人々は少なくないが、実際のところ、これら「二つの文化」は、冒頭に引いた通り芸術が科学的文化を「感性の新しい様式を組み立てるための道具」として活用し、それらは一つの文化として展開しつつある––––主にアメリカの文学作品の多くを除いては––––といったところである。そして、こうした新しい感性を持った「文化的勢力には、ある種の画家、彫刻家、建築家、社会計画家、映画作家、テレビ技術者、神経科医、音楽家、電子工学者、舞踊家、哲学者、社会学者が含まれる。(少数の詩人や散文作家も含めてよい。)」と、ソンタグは述べている。


 現在、東京国立近代美術館でアジア初となる回顧展が開催されているゴードン・マッタ=クラーク(1943-78)は、まさしくソンタグが指し示すところの「新しい文化的勢力」を代表するアーティストのひとりといえるだろう。チリ出身でシュルレアリストとして知られる画家のロベルト・マッタを父に、画家でデザイナーのアン・クラークを母に持つマッタ=クラークはニューヨーク生まれ。1968年、ニューヨーク州イサカのコーネル大学建築学部を卒業したのちもイサカに住み、大学や建設局でパートタイムとして働いた。翌年、コーネル大学で開催された、招待作家が自然溢れる学内で作品制作を行う「アース・アート」展にアシスタントとして参加。同年、ニューヨーク市ソーホーに転居し、芸術家コミュニティへと身を投じて作家活動を本格的に開始することとなった。本展覧会は、1978年にすい臓癌で亡くなるまでのマッタ=クラークの芸術家としての足跡を追ったものである。会場は「住まい Dwellings」「ストリート Street」「港 Port」「市場 Market」「ミュージアム Museum」の5つのカテゴリーに分けられているが、これはマッタ=クラークの作品を考えるうえで重要な「場所」に準じたものだという。なぜ場所が重要か。それはマッタ=クラークの作品の多くが、建造物、土地、空間、隙間、ひいてはそれらを内包する地域や都市と紐付いているからである。以下、展示に関していくつかの事柄を述べていこう。


 まず私たちを出迎えるのは、美術館の前に置かれた《ごみの壁》のリプロダクションだ。これは、マッタ=クラークが街中で集めてきたごみをタールや石膏、セメントで固め積層した1970年の作品《ごみの壁》を、本展のために再制作したもの。マッタ=クラークの死後、《ごみの壁》は展覧会などの機会に合わせ、それぞれの土地のごみを採集して何度か再制作されているそうで、本展バージョンの制作には早稲田大学建築学科の学生たちが携わっている。


 展示スペースに入って、まず目を引くのは段ボールで作られた建築模型だ。これは、マッタ=クラークにとって初の美術館による委嘱作品(シカゴ現代美術館の依頼により制作)である《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》(1978)の1/8スケールの模型で、早稲田大学建築学科小林恵吾研究室が制作した(小林恵吾は本展の会場構成を担当した建築家で早稲田大学准教授)。《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》は、シカゴ現代美術館が増加する所蔵品のために購入した、美術館に隣接するタウンハウスを別館として改修する際に、マッタ=クラークにプロジェクトを依頼して実現のはこびとなったものだ。「建物の20フィート(約6メートル)の幅いっぱいの直径を持つ三つの円が床を貫いたが、切り抜く幅はそれぞれに異なり、部屋の区切りによっても変化した」(公式図録 P.186)。建物を切り取っているのである。それもちょっとやそっとの切り取り方ではない。この手法は、《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》以前にも行われているが、本プロジェクトが生前最後の建物の切断となってしまった。会場には模型のほか、《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》を撮影した写真や事前プランなども展示されている。


超新星として輝く建造物


 建物の切断ということでいうと、マッタ=クラークの作品の中でもつとに有名なのは《スプリッティング》(1974)ではないだろうか。ニュージャージー州イングルウッドの一軒家に1インチ(約2.5センチ)間を空けた線を引き、電動ノコギリでそれをなぞって切って、間の構造物を取り除き、家をまっぷたつにしたうえで、土台ブロックの一部を抜いてジャッキで支え、切断した家の片方の後ろ側を下に降ろした。そののち、家の上部の四隅を切断し、それらは《スプリッティング:四つの角》(1974)として美術館などでも展示された。本展でもこの《スプリッティング:四つの角》の現物を見ることができる。ちなみにこの建物はこの地域の再開発計画に則り、同年8月に予定通り取り壊されたそうだ。


 この《スプリッティング》のほか、《ブロンクス・フロアーズ》(1972-73)、《日の終わり》(1975)、《円錐の交差》(同)、《オフィス・バロック》(1977)、そして先に触れた《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》など、建物を切断あるいは切り取る一連の作品は〈ビルディング・カット〉シリーズと称されるが、こうした取り組みは、1950年代あたりから発生し、時代が下るにつれて顕在化していったニューヨークにおける都市問題––––郊外化とそれに伴うコミュニティの消失、機械化進行による余剰農民の都市流入、都市に取り残される貧困層など––––が背景にある。ニューヨーク出身でニューヨークで作家活動を行っていたマッタ=クラークにとっては、これらは非常に身近な問題であり、「収益を上げるための暴力的な土地利用の転換や、そのために都合の良い住宅への収容に、疑問を呈していた」(公式図録所収、平野千枝子「ゴードン・マッタ=クラーク 空間のなかの変容」)。〈ビルディング・カット〉は、取り壊されるもの「への」視点だけでなく「からの」視点も変容させるところに醍醐味があり、それを鑑賞あるいは体験(作品の一部は、建物の中へ入ることができた)する人々は、取り壊し待ちの無用だったはずのものに感情を揺さぶられ、各々の記憶にその痕跡を残す。ここでのマッタ=クラークの介入の方向性は「開示する」ものであるがゆえ、不思議と風通しよく感じるのも面白いところだ。いずれにせよ、なくなってしまう前の一刹那、マッタ=クラークが介入し建物や空間を変容させることで、壊される運命の建築物は超新星のごとく最後の輝きをみせ、その光は時空を超えて(この展示のように)私たちのもとへと届くのである。


 〈ビルディング・カット〉以外にも、都市と人の痕跡としてのグラフィティや、マッタ=クラークが友人らと共同運営にあたっていたレストランで、郊外化の弊害としてのコミュニティ崩壊への楽しげで緩やかな批判ともとれる《フード》(1971)など、現代と照らし合わせても古びた印象のないマッタ=クラークの問題意識を見て取ることができる本展だが、私が興味を惹かれたのは、おおむね以下の2つの点についてだ。ひとつは、これまで何度か述べてきた「ゴミ」「無用なもの」を変容させ作品化する、すなわち低次のものから高次のものを生み出す錬金術的アプローチである。これはマッタ=クラーク作品の通奏低音になっていると考えられる。もうひとつは、彼の作品の多くが持つシアトリカルな性格。基本的に万人に開かれた場所である都市や郊外を舞台に展開された、ある種サイトスペシフィックな作品たちは、それらがやがて壊されてなくなってしまう運命にあろうとも、そこにあるうちは鑑賞可能なケースが多かったはずである。つまり誰でも見られることが、彼の作品にとっては重要であったはずで(それはホワイトキューブという限定的な空間で展示することへの問いかけにも通じる)、だからこそ作品とその製作過程––––むしろこの過程こそが作品的ともいえそうだ––––の多くを、マッタ=クラークはビデオに収めたのではなかっただろうか。(後篇に続く)




*BEAMSは「ゴードン・マッタ=クラーク展」と連動し、コラボレーションアイテムを発売中。アイテムなどの詳細はこちら

*本展のサテライト企画として、トークイベント「料理というクリエーションと食におけるストリートカルチャー」を「PADDLERS COFFEE」(東京・幡ヶ谷)にて開催。詳細はこちら

*「料理というクリエーションと食におけるストリートカルチャー」の模様はYouTubeチャンネル「GMC FOOD BEAMS」にて配信。開催後はアーカイヴとして公開中