ファッションやアートに基軸を置きながらも、『here and there』で彼らが語る言葉や表現はとても個人的で、些細だけれどもかけがえのない日常に視線が向けられている。2002年に編集者の林央子さんによって創刊された個人雑誌『here and there』は、個人という小さな枠を超えて人々に影響を与え続けている。前号から3年ぶりとなる最新号vol.13「HYACINTH REVOLUTION issue ヒアシンス革命」が発売され、8月2日〜12日の期間「ビームス ジャパン」4Fにて、here and there × She is合同フェア「彼女たちの世界」が開催。期間中の関連イベントとして、トークショーが催された。学生時代より林さんの作る本・雑誌を追いつづけてきたという「She is」の編集者竹中万季さんが、特集の切り口について、個人的な視点について、編集への情熱についてお話をうかがった。

「個人的な視点」を発信することについて。

ー 林さんは資生堂の広報誌『花椿』の編集に携わっていて、90年代頃から「Baby Generation」(1996, パルコギャラリー)や「拡張するファッション」(2014, 水戸芸術館)という展覧会の企画や個人雑誌である『here and there』を通して、ファッションやアートというジャンルに縛られない日常への目線やマルチ・クリエイティビティ、女性が結婚しても母になっても表現していくことなどについて発信されています。林さんの編集者としての視点をお伺いしていきたいと思うのですが、そもそも編集者を目指すきっかけは何だったのでしょうか?

 HAYASHI:私は地方で生まれ育っていて、理由は知らないけれどどうも幸せそうじゃない母親を見ていました。彼女は東京で生まれ育っていて、結婚をきっかけに地方で生活することを余儀なくされ、自分で決めたわけではない運命に翻弄されているように見えました。そんな母が定期購読していたのが『暮らしの手帖』と『家庭画報』。女性にとって雑誌というのは、現状では満たされていない何か、例えば憧れや有用な情報を届けてくれる、拠りどころのようなものだったんだな、と思うんです。私も母がとっている雑誌を読んでいて、漠然と雑誌が届けてくれる世界に憧れを持っていました。その後、東京で大学生活を送るようになるのですが、周囲の友人たちがアメリカ志向の価値観を持っていたり、金融系の就職先に向かっていくことにまったく馴染めずにいました。その時「雑誌」という言葉を思い出したんです。でも、大手出版社には入れるとも思えず、マスコミセミナーに顔を出してみたら、どうやら雑誌はマーケティングから作られているらしいと聞いて、自分には無理だなあと感じました。その後、ご縁があって資生堂に入社し、『花椿』編集部に入ることになりました。


 ー 『花椿』というと、一流のクリエイターや作家の方が参加されており、ファッションやカルチャーについて独自の切り口で編集されているように見受けられますが、林さんの編集者としての基礎はそこで学ばれたのでしょうか。

HAYASHI:編集長は母親の世代で、他のスタッフもベテランばかりの編集部に私一人が新人として入りました。当時の『花椿』には連綿と受け継がれてきた編集方針があり、ある意味とても古典的な編集の仕方を良しとしていて、私も原稿を30回くらい書き直しをさせられたり、とにかくしごかれました。原稿の書き方という点で言うと、徹底的に客観的な発信をする、新聞の原稿を書くような訓練を受けました。企画にしても個人的な目線はなかなか受け入れてもらえません。いまの時代、巷ではこういうものに求心力があると訴えても、それは私個人の趣味の世界だと一笑に付されました。でも世代も嗜好も異なる人々に囲まれた編集部にいたことで、なかなか理解してもらえない話題をどうしたら扱えるのか、と考え抜いたことは、自分なりの編集の方法に繋がってきていると思います。

 ー 『here and there』を創刊されたのは、編集部在籍中のことだと伺いました。どういった経緯で創刊号を作られたのでしょうか。

HAYASHI:スイスのインディペンデントパブリッシャーであるNievesのベンジャミンが「zoo magazine」という雑誌をやっていて、ゲストエディターとして一冊作らないかと誘われたのが『here and there』の始まりです。その頃まで、ずっと『花椿』を辞めようとは思ったことはなかったんですが、2000年くらいになると、このまま居てもどうなんだろうと疑問を持ち始めました。1990年代にパリ出張で出会ったエレン・フライスと取材をきっかけに親交を深め、彼女の自由な編集のやり方に刺激を受けていました。彼女はキュレーターでありながら若くして、編集の素地がまったくないまま雑誌「purple」を立ち上げていました。パリのアーティストたちにとても信頼されていて、同世代の友人たちとのネットワークの上に何もないところから立ち上げた雑誌は、ファッションや写真家たちを意欲的にとりこんでいき、90年代後半にはとても影響力のある媒体に成長させていたんです。それを可能にしていたのは彼女の自由な精神によるところが大きく、伝統的な編集方法しか知らなかった私はその自由さに惹かれました。そこから影響をうけて、会社を離れた半年後に個人出版として『here and there』を作り始めました。

 ー 最初の頃は特に特集テーマを設けておらず「2002 spring」となってますが、2004年の「NEW LIFE issue」から、各号に特集テーマを設けています。特集テーマの決め方は毎号どうされているのでしょうか?

HAYASHI:vol.03を発刊した後に出産をして生活が変わってしまったんです。今後は海外にも行けないし、雑誌を作りつづけていけるのだろうかと思っていたところに、スーザン・チャンチオロ(*1)から「New Life」というコレクションを発表するというメールが届きました。出産して途方に暮れていた私にとって、「New Life」という言葉は、私の産後の人生とも捉えられるし、赤ちゃん自体とも捉えることができる。多義的な言葉だな、と思ったんです。そう思って周囲の人に「New Lifeっていうテーマで作ろうと思う」と言うと、その人それぞれの捉え方によっていろんなNew Lifeがあるんだと分かり、テーマの言葉って有用かも知れないなと思いました。長島有里枝(*2)さんはその頃、新生児のポートレートを撮影するプロジェクトを始められていたのでその一部を掲載させていただき、Cosmic Wonderの前田征紀さんはアーティスト活動を始めたというNew Lifeについてのコメントと、作品の写真を寄せてくださいました。

 ー vol.8の「The Loneliness ISSUE」もすごく印象深かったです。巻頭のエレン・フライスさんのSNS時代の孤独について書かれた文章がすごく印象的でした。林さんのあとがきにも、普段は声に出さないような話題について特集をしてみたいということが書かれていましたが、「She is」でも特集テーマを考えるときにそうした話題を意識するようにしています。

HAYASHI:特集のきっかけになったのは、まさにエレンのテキストです。インターネットというコミュニケーション手段で人と人が近づいているような気がしているけれど、それは幻想であって、実際には愛を躱し合うことができない。そこに頼ってしまうと孤独が生まれる。それを克服するためには人間同士やアート、自然との出会いが必要だ、という主旨のテキストでした。その彼女の言葉に端を発して「孤独」をテーマにした号を考え、この人と思う人にテキストを書いてもらいました。マイク・ミルズ(*3)は愛する人たちと一緒に感じる孤独について書いてくれましたし、レティシア・ベナ(*4)は白夜の北欧で作品制作のために滞在した経験からのテキストと写真と絵を寄せてくれました。



 ー 「孤独」という少し重いテーマの後半には「散歩」の特集をされていました。なぜ、「散歩」を取り扱おうと思われたのですか?

HAYASHI:当時、子育てをしている自分ができることといったら散歩くらいだったので、散歩のことをなんとか形にしたいと思っていた時期だったんです。また、「孤独」という内省的なテーマだけで終わることが、編集的にちょっと物足りなさを感じられたのもあります。大森克己(*5)さんやミランダ・ジュライ(*6)などに文章を寄せてもらいましたが、とても興味深い視点のエッセイが揃いました。
この企画は、私が三角形ということを意識して編集しているから出てきた企画だと言えるかなと思います。「編集」という行為を考えた時に、自分と対象のみで完結する発信はちょっと弱いなと思うことがあって。編集をすることや人に何かを伝えるということを私は、“地図を届ける”ようなものだなと思っています。受け止めた人がその人なりの地図を描くことができれば、それで成立している。例えば、私が“ある対象が素敵”ということを人に伝える時、「私がここに行きました」とか「私はこれを見ました」という、自分とその対象だけでは弱いんです。さらに客観的な情報であったり、違う人の意見を組み込むことによって、発信行為の関係性を三角形以上にしていくということが大事だと思うんです。
「孤独」というテーマでひとつの世界を作ろうとする時に、自分と孤独からエレンやマイク・ミルズが考える孤独感へと拡げ、さらにこのテーマをどれだけ拡げられるか、と考えた時に「散歩」というサブテーマのキーワードが出てきました。

ー vol.10の「the BLUE issue」も三角形の編集が際立つ号だと思います。最新号のvol.13「HYACINTH REVOLUTION issue ヒアシンス革命」もすごく面白い切り口だと思いました。

HAYASHI:vol.13ヒアシンス革命号では参加してもらった42人の方に、ヒアシンスの球根を渡して、それぞれ感じることを文章や写真、絵で綴ってもらいました。私自身は園芸が好きでやるんですけど、園芸に関して調べてみると、上手に育てた例や、こう育てましょうという話しか載っていなくて。植物を育てるなかで、もちろん失敗するときもあるし、成功をするときもある、その過程の話をみんなにしてもらいたいなと思ったんです。何人かに話をしていくと、球根を買うところから始めたいという方もいれば、咲かなかったのを理由に断られた方もいました。PUGMENTや田村友一郎さんは、うまく咲かなかったことを表現してくれています。小池アイ子さんは、3つの球根にそれぞれ名前を付けて、それらの成長過程を毎日撮影して一冊のzineにしてくださいました。アウトプットも42人それぞれで、その人らしさを反映しているようでしたし、とにかく予測できない発見が多くて、楽しかったですね。



 ー 次号の予定はいつ頃を目指しているのでしょうか?

HAYASHI:まだわかりません(笑)。毎号、ひとつ作るのに充分な動機が自分のなかに満ち満ちてからスタートする、ということを自分に課しているところがあります。情報性に重きを置いていて、発信の速度が大事だと思っていたときは半年に一回刊行したこともあります。最近は情報の速度に自分も価値をあまり置かなくなりましたし、もはや発信の早さで競うのは無理という時代や生活の変化もあります。この15年の間で雑誌の届き方も随分変化したので、最近は作ったものをどう届けるかというイベントにも力点を置くようになりました。すでに20年以上も本や雑誌など、市場からすると少しイレギュラーなところのある出版物を作り続けてきました。心をこめて一冊作ると、かならず、素敵な出会いをつれてきてくれるのが本というもので、その引き寄せ力は半端ではないと思っています。
ヒアシンス革命号のつれてきてくれる出会いをしばらく堪能したあとの自分がどんな状態になるのか、何を考えているのか、今はまだ想像がつきませんが、すでにたくさん素敵な出会いがあったので、これからの行方は私自身とても楽しみです。

 (*1)スーザン・チャンチオロ/1969年生まれ。「X-Girl」のプロダクション・マネージャーを務めた後、95年より自身のコレクションを発表。その後、活動の幅を広げファッション、アートの世界でニューヨークを拠点に活躍。

(*2)長島有里枝/1973年生まれ。93年に家族とのポートレート作品でデビュー。その後も「家族」や「女性」をテーマに写真作品を発表し、多くの女性の支持を得る。2017年には東京都写真美術館で個展「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」を開催した。

(*3)マイク・ミルズ/1966年生まれ。グラフィックデザイナー、映画監督。90年代以降、多くのCMやミュージックビデオ、ソニック・ユースやビースティ・ボーイズ等のグラフィックを手がけた。2005年に『サムサッカー』で長編映画デビュー。監督作品に『人生はビギナーズ』(2010)、『20センチュリー・ウーマン 』(2016)などがある。

(*4)レティシア・ベナ/1971年生まれ、パリ在住のアーティスト。映像、彫刻、写真、広告など幅広い分野で活躍する。「Purple Journal」のアートディレクションを務め。2013〜2016年はエレン・フライスとともに「The Chronicles Purple」の編集ディレクションを手がけた。

(*5)大森克己/1963年生まれ。写真家。国内外の写真展や写真集で作品を多数発表し、名文家としても知られる。写「here and there」では過去にフォトエッセイを寄稿。

(*6)ミランダ・ジュライ/1974年生まれ。アーティスト、作家、女優、映画監督。近著に初の長編小説となった『最初の悪い男』(岸本佐知子訳)があり、ナカコという人物が登場する。

林央子(はやし なかこ)

編集者。1966年生まれ。自身の琴線にふれたアーティストの活動を新聞、雑誌、webマガジンなど各種媒体への執筆により継続的にレポートする。資生堂『花椿』編集部に所属(1988-2001)の後フリーランスになり、2002年『here and there』の出版を開始。著書に『拡張するファッション』ほか。 現在、She isで「林央子とつくる理由」、GINZAの公式ウェブサイトで「林央子のmagnetic field note」を連載中。

hereandtheremagazine.com
paralleldiaries.tumblr.com
nakakobooks.seesaa.net

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