#2

CONVERSATION

FUMIKA UCHIDA
(FUMIKA_UCHIDA / DESIGNER)

CONVERSATION#2FUMIKA UCHIDA

CONVERSATION

#2

FUMIKA 
UCHIDA

(FUMIKA_UCHIDA / DESIGNER)

写真 ・ 聞き手 = luka / 琉花(写真家/モデル)

〈ビームス ボーイ〉のモノづくりの背景にはいろんなことがあります。
プレッピーだったり、ユニフォームだったり、ワークウェアに古着。
そんな背景を今気になる人と話すことで深掘りしていく連載企画。
第二回目のテーマは 〈ビームス ボーイ〉の服作りにも欠かせない
“ヴィンテージ”について。ゲストは中目黒の人気ヴィンテージショップ
「ジャンティーク」を創業し、2014年秋冬からは
〈フミカ_ウチダ〉をスタートしてデザイナーに転身した内田文郁さん。
聞き手は〈ビームス ボーイ〉のシーズンルックを手がけた
フォトグラファーのlukaさん。2人が語ったヴィンテージとは?

〈ビームス ボーイ〉のモノづくりの背景にはいろんなことがあります。
プレッピーだったり、ユニフォームだったり、ワークウェアに古着。
そんな背景を今気になる人と話すことで深掘りしていく連載企画。
第二回目のテーマは 〈ビームス ボーイ〉の服作りにも欠かせない
“ヴィンテージ”について。ゲストは中目黒の人気ヴィンテージショップ
「ジャンティーク」を創業し、2014年秋冬からは
〈フミカ_ウチダ〉をスタートしてデザイナーに転身した内田文郁さん。
聞き手は〈ビームス ボーイ〉のシーズンルックを手がけた
フォトグラファーのlukaさん。2人が語ったヴィンテージとは?

CONVERSATION #2
FUMIKA UCHIDA

古着って何を選ぼうが、
何を着ようが自由なんですよ

琉花さん(以下、琉花) : 最初に文郁さんが古着を知ったり、興味を持ったのってどんなきっかけだったんですか?

内田さん(以下、内田) : 私、地元が宮城の石巻という本当に小さい田舎町出身なんですよ。そこに高校生か中学生の後半ぐらいかな、古着屋さんが地元に1軒だけあって。そこは古着だけじゃなくて、お香だったりとかいろんなものがたくさんあって。そこで働いていたお姉さんにすごい憧れたんですよね、ヒッピーな感じと自由な生き方を彼女に感じて。それがきっかけで古着を好きになって、それからちょこちょこ自分の好きなものを買ったり、もう少し大きくなってからは仙台まで出かけて。まわりに古着を好きな女の子もその当時はいなくて、どちらかというと裏原全盛の時期だったので、友達は〈ヴィヴィアン・ウエストウッド〉とか〈アンダーカバー〉が好きでしたね。

琉花 : 1人だけまったく違ったんですね。

内田 : 女の子ではあんまりいなかったですね。

琉花 : そこにある古着はどんなものだったんですか?

内田 : そのときはヒッピーっぽい感じだったからインド綿のものだったりとか、今でいうホーボードレス、かぎ編みのもの、あとTシャツとか。本当に70’sというかヒッピーという世界でしたね。

琉花 : 今もその世界感は文郁さんのDNAに刻まれているというか、根底にあると。

内田 : すごいあります、自由な生き方とか。私は結構真面目なんですけど、根はすごい自由が大好きな人間なので(笑)。古着って何を選ぼうが、何を着ようが自由なんですよ。何年代のどうとかじゃなくて、自分の感覚だけで買い物ができる。そこに自由さを感じていて。それが性に合ったという感じだと思います。

琉花 : 今も古着のそういうところが自身のものづくりでもルーツになっている感じですか?

内田 : そうですね。会社のスタンスも自由さをキープするためにはどういう規模感で、どういうことをやっていくのかというのを一番大事にしています。

琉花 : 古着屋さんってアメカジのこれがすごい強いとか、あるじゃないですか?ジャンルというか専門的になっていったり。そういうものより感覚で選べるような、「これはどこどこの何年代のもの」みたいなものではない古着が好きなんですか?

内田 : 確実に。なので知識はそんなに深くないんですよ。デニムのこのステッチがどうだということよりも感覚で選べる服の方が好きです。自分は「ジャンティーク」を立ち上げる前は、「サンタモニカ」という古着屋にいたんです。そのときの上司が主人なんですけど。「サンタモニカ」がどちらかというとそういう自由なスタンスで、まだヴィンテージになっていないお洋服を仕入れていて。本当に自由な社風でしたし。入って1年経たないぐらいで、そんなに古着に対して詳しくないのに海外出張に行かされて。

琉花 : え、1人でですか?

内田 : 上司が先に行っていて、そこに1人で行けみたいな(笑)。20歳で飛行機に初めて1人で乗って行って。お前のバイイングは全然ダメだと言われながら、3か月後ぐらいにまた行かされる。ダメでももう1回トライさせてもらえたりとか、何がダメだったかを学ばせてもらえる環境だったんですよ。自分はテキスタイルが好きだから、山積みになっている古着から自分が気になる生地のアイテムを全部ピックアップしていたら、サイズ選びがダメだと怒られて(笑)。

琉花 : 生地感だけで選んでいたんですか(笑)!

内田 : 生地感だけで選んじゃったんですよ(笑)。生地が好き過ぎて。今だったら、直せば良いじゃんって話なんですけど。そういうものじゃなかったですからね、当時は。程度が良くて、サイズも良くてというものをしっかり選ぶというのがルーツだったから。怒られましたけど、楽しかったです。その頃はまだウィメンズ古着というものがそこまでしっかり確立されていなくて、コスプレに近い感覚というか、コテコテのものが多かったんですよね。その中でも「サンタモニカ」は比較的自由というかモダンで、当時のスタッフや主人の考え方にすごく影響を受けました。あとボーイズがすごく売れていた時代で、〈ラルフローレン〉のオックスフォードとかも女の子に合いそうな良いサイズのボーイズを買っていた時代でしたね。

琉花 : それは90年代頃でしょうか?

内田 : 私がいたのは2000年頃ですが、その前からボーイズは人気がありましたね。あくまでも男の子の服を女の子のサイズに合わせてボーイッシュに着るという時代。それから、どんどんウィメンズの古着の幅が広がっていって、今では考えられないような感じだと思います。

琉花 : BEAMS BOYのルーツのような話ですね。

内田 : 「ジャンティーク」を立ち上げた頃ぐらいからメンズをウィメンズにバンバン着せようということで、よく取り合いになっていましたね。これはメンズに出す、いやこれはレディスに出したほうが売れる!とか主人とのバトル(笑)

琉花 : 当時はバイイングのときに両方使えるものというか、メンズとウィメンズを区別しないで見ていたんですか?

内田 : そうですね。メンズの服がすごい好きで。ウィメンズももちろん好きなんですけど。メンズの服の良さは、デザインとディテールの落とし所のクオリティが高いところ。女性だとどうしてもデザインを追いすぎて仕様が薄かったりとかするけど、メンズは決まってる形というのもあるからかもしれませんが、ディテールが完成されている感じが好きで。あとスーチングも。ウィメンズにはない素材感が好きで買っていたので、メンズウィメンズあまり関係なくバイイングをしてました。もちろん女の子が着る目線では買いますけど。男の子が小さいサイズを着るよりも女の子がちょっと大きめで着る方が可愛いとか、そういう目線で。20年前はまだ女の子がメンズのラックから自由に取る時代じゃなかったし、ウィメンズのラックにかけておいた方が女の子は自然と手に取れる。なので「ジャンティーク」では一生懸命やってました。

女の子のメンズの服の取り入れ方も、
その時々で変化している

琉花 : メンズの服を女の子に着せようとするときのスタイリングのコツとかってあるんですか?ただサイズ感だけじゃなくていろいろあると思うんですが。

内田 : それは時代時代で変わっていってると思っていて、本当に初期の頃ってメンズの服を着て、足元だけヒールにすれば良いみたいな安易なバランスだったんですけど、それがどんどん変わってきているじゃないですか。ここ最近ではメンズの服にヒールを合わせるのはちょっと古いから、足元はフラットのほうが良いよねとか。そうなってくると上半身のバランスで女性的なものを取り入れるか、メイクのカラーリングで取り入れようとか。時代時代ですごくメンズの取り入れ方って変化しているなって。ちょっと前まではオーバーサイズで女の子が着ているバランスが素敵だったなと思うし、最近になったらちょっとコンパクトに着るほうが女性に限らず男の子でもいいなとか。今、海外に行くと男の子、ピチピチじゃないですか(笑)?そういうのを見て可愛いって思ったりもしますし。メンズの服の取り入れ方も、その時々で違うバランスの方がよく見えたりするのかなとかは考えます。

琉花 : なるほど。時代で変わっていくスタイリングの中でもこれだけはぶれないという黄金バランスみたいなのはありますか?

内田 : カジュアルな部分ってすごく変化しているなって思うけど、スーチングだけはバランスが変わらないというか。メンズのスーツが大好きなんですけど、やっぱり女性でも大きい肩でいたいし。そういう好きなバランスというのはあるかもしれないです。

琉花 : 大きい肩っていうだけでメンズらしさが出るみたいな。

内田 : 肩パッドがパンと張っている感じのスーツの着方。年代でいうと40’sみたいな形がかっこいいなとか、それが80’sにもつながっていたり、そういうバランス。

琉花 : もっとも難しいバランスです。

内田 : 難しいですよね。でも意外と男性だと似合わないけど女性だと似合うということが結構あるんですよ。男性だとコスプレ感が出ちゃうけど、女の子に置き換えたときにすごい肩の大きいジャケットが似合うなと思ったり。そういう目で見ると男性が似合うものと女性が似合うメンズの服ってまったく違っていて、「これは女の子のほうが勝つぞ」というものがある気がします。

自分の性格に一番合ってるのは古着だと、
今でも思う

琉花 : 古着のバイイングはもうやらないんですか?

内田 : 実はバイイングはここ1、2年で復活しまして(笑)。自分のお店で古着を置くことにしようとかいろいろ考えて、年2回ぐらいは海外に買いに行くようにしてます。

琉花 : 「ジャンティーク」の頃から買い付ける視点は変わりましたか?

内田 : ものすごく変わりましたね。作れるものはいらないかもなと思いながら、いろんな目線で買うようになったので。

琉花 : それは自分のブランドで作れるからですか?

内田 : はい。この素材は今でも作れるものだからわざわざ買わなくてもいいかなとか、こんな手作業はどうやってもできないよなとか、そういうものに対する理解がより深まったので。それでも古着の場合は安かったりするので、そういうものに触る機会は増やしています。

琉花 : そういうものをバイイングしていると、それに合う服を作らなきゃみたいになるんでしょうか?

内田 : 意外とそこまで連動しないです(笑)。古着は一点ものなので。そういうジャンルとしてまとめて買えたらきっと「これにこれを合わせてよ」って紹介できるんですけど、まとめて買えない限りはやっぱりスタイルとして紹介することがなかなか難しかったりするので。でもそこが逆に古着の自由な部分でもあって。自分も全身古着ってあんまりないタイプだったんで、昔から。新品の服に合わせる古着のチョイスで個性が出ると思っているので、あんまりガッと固定したくないなと。自由に見て!みたいな感じで買ってます。

琉花 : 古着のバイイングをされていて、〈フミカ_ウチダ〉を立ち上げるきっかけみたいになったこととかって何かあるんですか?

内田 : きっかけは本当に突然なんですけど、服を作るなんて1ミリも思ってなかったのに半年ぐらいの間で考えが変わったというか(笑)。「ジャンティーク」でちょうどその頃、自分が好きで穿いていたデニムの形がバイイングではなかなか見つけられないし、どうしようかというときに〈キャピタル〉さんから「デニムを作ってみないか」と声をかけてもらって。それでデニムパンツを作って「ジャンティーク」で売ってたんですけど、買っていってくださる方が結構いて。こんなに同じものがたくさんあるものを買っていってくれるんだということにすごいびっくりして(笑)。

琉花 : 今までは一点ものを販売していたのに。

内田 : 「これ良いですよ」って勧めながら、一点ものを売る喜びと、自分が作ったものを売る喜びがまた別物で。今のスタイルと反するんですけど、そのときはどちらかに絞らなきゃと思ったんですよ、自分の生きていく道を。古着屋で行くのか、それとも服作りをやってみるのか。どちらも取ることはできない性格ってわかっていたから、服作りをやってみたいって思って。半年ぐらいの間に目まぐるしく環境が変わって、急に決めました。

琉花 : それでできてしまうのがすごいです。

内田 : 本当に大変なチョイスをしちゃったなって思うんですけど、古着も大好きで、やっぱり抜けないですし。自分の自由な性格に一番合ってるものは古着だと、なんとなく今でも思うので。ただその中で、服作りの中にどんな自由さがあるのか知りたかったんです。私が服作りを始めた頃ってファストファッションが流行っていて、今となってはそれもヴィンテージになっていたりすることもあるんですけど、本当に素材が安っぽくなっていて、こういう服ばっかりは嫌だな、良い素材とか良い生地を作り続けなきゃいけないんじゃないかという変な使命感もあって。

琉花 : 将来的に良い古着になるような服を作ろうと思ったということですか?

内田 : 残ってくれたら嬉しいと思いますし、良い素材を作っていればそれを解体して使ってくれる人もいるかもしれない。古着の買い付けの時って、触った瞬間に違うと思ったらポイってされるんですよ。ポイってされない服にしたいなというのはあります。それが今でもポリシーとしてあるので。

琉花 : ちなみにデザインとかはどういう場面で浮かぶことが多いんですか?

内田 : 生活の中で急に気になってくる素材感から入ります。それにこういうものを合わせてみたいとか、そこから形に起こしていくことが多いですし、自分も古着をやっていたので古着を元にアイデアをいただくこともたくさんあります。やっていくうちにいろんなハプニングが起きて、全部が全部最初から自分が思っていた通りに上がるってなかなかないことで、けれどいろんな要素が入ってきておもしろくなっていくというのがありますね。あとはやってみながら、自分で必ず体を通してバランスをチェックして作っていきますね。

自分に負荷を与えながら
服を着ることで鍛えられていく

琉花 : 服を着るうえで自分の中でマイルールとかがあったりしますか?

内田 : 基本的にルールはないんですけど、なんだろう。いかにその日の自分の気分に合ったコーディネートができるか。毎日違う自分なので、前もって決めるとかはまずないですし、1回着た服でも2回目に着たときに「あれ?」ってなることも多いです。自分の気分に一番合うバランスも日々違ってくるので。あとは毎日の気分の変化を楽しんでます。もう何も考えたくないときは息子のお下がりの日とか、そういうのを楽しみます。

琉花 : 息子さんのお下がりってどういうことですか(笑)?

内田 : 例えば息子が子供の頃着ていた小さいスケーターブランドのTシャツとか。それに息子が穿いていた〈ディッキーズ〉の古いやつを合わせるみたいな。

琉花 : 息子さんはそれを知ってるんですか?

内田 : 私がもともと買ったものですし(笑)。そういう日を作ってみたり、今日はちょっと女性的で行くぞって決めたりとか。毎日テーマを決めながら。自分の機嫌を良くするためのツールなので、その1日を楽しく過ごすための服ですから。

琉花 : 慣れた格好とか自分のスタイルというので毎日まとめるんじゃなくて、たまに自分でハードなお題を?

内田 : はい、与えて(笑)。それが課題というか、筋トレみたいに思っています。サボると感覚が戻るまでに2か月かかっちゃうとか、日々少しでもちょっと自分に負荷を与えながら服を着ることで筋トレみたいに鍛えられていくと思ってます。でも、それが気になる色の場合があったり、シンプルな合わせが気になるってときだってもちろんあるし、同じ服を1週間とか着ることもあるんですよ。「これ!」と思ったらそれだけを。

琉花 : それも文郁さん的には負荷なんでしょうか(笑)?

内田 : この格好で何日耐えれるのか、みたいな(笑)。自分の着る作業というのを実験と思っているので、それを楽しんでます。失敗することもめちゃくちゃあるんですよ。「今日の服クリアできなかった」みたいな日もあって。その日の気分の悪さも味わうというか。服がダメだったときってこんなに自分のマインドって落ちちゃうんだなとか、そういうのを感じられることが昔から好きなのかもしれないです。「サンタモニカ」で働いていた頃は、休憩時間に渋谷の店から恵比寿の自宅まで着替えに戻ったこともあります。

琉花 : その日の格好が嫌すぎて?

内田 : 嫌すぎて(笑)。お店から「BEAMS」さんも近かったから休憩時間に買い物に行ったりもしてました。やり過ぎかなって思うときもあったんですけど。そのぐらい本当にお洋服って自分にとってすごく大事なパーツなんですよ。もちろん外の人から褒められたら気分も上がるし、テンションも上がるかもしれないけど、自分が好きでいたら誰からも何も言われなくても、「今日は自分のポイントはここ!」みたいなのを楽しんで1日過ごすって、すごい自分にとっては有意義なことなんですよね。

琉花 : 仕事にもすごいつながりそうですね、自分に負荷をかけていろんな格好をするのは。

内田 : そうなんです。だんだん歳を取ってくると自分のバランスでは合わないけど他の人だと合うよね、というのも最近出てきて。今の自分はこの格好はできないけど、もう少し前だったらしたかったなとかそういうのを思いっきり服作りに当ててみたり。今できない格好やできないバランス、逆にできなかったけど今ならそれをどうやったら取り入れられるか。昔ならブルマ一丁でいたような人間なんですけど、それは今の歳じゃちょっと無理って思ったら、それに何を合わせてみる?とか(笑)。そういう年齢による変化というのも女性は男性に比べると大きいと思うんですよ。できなくなることも多いから。それを今の自分だったらどういう取り入れ方するかを考えるのに、朝の着替えは大事だなと思って。いつまで経ってもおしゃれしてるおばあちゃんも素敵だなと思うし、いつも同じ作業服を着ている人もかっこいいなと思いますし。そこは自由だし、正解は1つじゃないなってすごい思います。

先のビジョンはあんまり決めず、
自由に生きるのがテーマ

琉花 : いろんな着こなしのヒントをもらえるかと思っていたんですけど、大事なのは自由なんですね。それが一番難しいという(笑)。今日のお話しを聞いてバイイングのときに生地を触ってピックアップしていくというのがすごく印象的でした。生地感って大事なんだなと。

内田 : 「サンタモニカ」に入ったときに、ハンガーラックにかけてある服を触って、コットンなのかポリエステルなのか素材を見分けられるようにならないとダメだって言われたんですよ。シャツを全部触って、「これはポリ、これはレイヨン、これはコットンです」とか訓練させられました。それはものすごく勉強になりました。生地を触ることでだんだん年代感もなんとなくわかるようになって、ポリ混が入ってくると「60年代以降だな」とかわかったりするじゃないですか。

琉花 : 普通はわからないかと思います(笑)

内田 : でもきっと皆さんも「あ、この感じ好き」とかあると思うんですよ。そういう自分の感覚を大事にしてほしいなって思っています。

琉花 : 確かにお話を聞いてから〈フミカ_ウチダ〉の服を見ると、生地や素材のこだわりが伝わってきます。

内田 : 生地屋さんになりたいぐらい生地ばっかり触っていたいです。

琉花 : 今って生地も生産コストが上がっていますよね。

内田 : そうですね。でも、コストからは絶対入らないですね。それはブランドを始めるときに決めたんです。いくらぐらいのものに落とし込むために、生地をこのぐらいの値段にしようという作り方はしないって決めて。今は大変ですから「ちょっとは考えてください」って会社からはすごく言われます(笑)。そこが下手ですね、自分は。けれど貫くしかないと思っています。

琉花 : そんな〈フミカ_ウチダ〉も今年の秋冬で10周年を迎えるそうですが。

内田 : そうなんですよ、気づいたら10周年になっていました。ブランドを立ち上げたときって本当に何も知らなかったですし、無知だったから良かった部分もありました。1つの服のために素材を作ったりとかしていたから、結構無茶していたなと思います。そういう部分では変に学んでしまった部分もありますが、慣れてきたからこそ遊びの部分は増えてきていて。ユーモアがあるとか、ちょっとふざけた服が好きなんですよ。今夏とかは日に焼けた水着跡のボディースーツを作ったりとか。そういう遊びがちょっとずつうまくできるようになってきました。

琉花 : ちなみに、この先のビジョンって何かあるんでしょうか?

内田 : 私、ビジョンをまったく考えない人間で。自由でいたいから何も決めないんです。さすがに「来年辞めます」とかはしないですけど、それぐらいの気持ちで生きるのがテーマなので(笑)。迷惑をかけないようにそこはちゃんと考えてるんですけど、あんまり「こうしたい」とか「あれやりたい」とか決めちゃって実現しないよりは、毎日コツコツやってたら「ここまで登っていた」みたいな方が好きなタイプなので。あんまり決めずに、自由に方向転換していきたいですね。

2005年にオープンした中目黒のアンティークショップ。古着から家具、雑貨まで幅広い商品を取り扱う人気店。2019年には高崎市に2号店「ジャンティーク内田商店」がオープン。

JANTIQUES
東京都目黒区上目黒2-25-13
03-5704-8188
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1979年、表参道に1号店がオープンした、原宿エリアを代表する老舗古着屋。2023年に表参道店は建物の老朽化により惜しまれながら閉店。現在は原宿店が営業中。

サンタモニカ原宿店
東京都渋谷区神宮前4-25-5
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2018年に文京区本郷3丁目にオープンした〈フミカ_ウチダ〉の直営店。建物は昭和9年に建てられた薬学研究所。外観、内観ともにレトロな佇まいが魅力的。

FUMIKA_UCHIDA Store
東京都文京区本郷3-38-10 さかえビル1FInstagram

「ジャンティーク」を立ち上げ、バイイングを手がけていた内田文郁さんが2014年にスタートさせたブランド。コンセプトは“アイデンティティーのある女性の為の服”。

PROFILE

内田文郁

1979年、宮城県出身。2005年、中目黒にヴィンテージショップ「ジャンティーク」をオープンし、主にウィメンズのバイイングを担当。2014年秋冬より〈フミカ_ウチダ〉をスタート。2018年10月に文京区本郷三丁目に直営店をオープン。近年はコレクションアイテムの他に、自身がバイイングしてきた古着も展開している。

luka / 琉花

1998年、東京都出身。モデル・琉花としても、広告・雑誌・MVなど幅広く活動。写真家としても意欲的に活動しており、広告撮影、ZINE製作の他、個展『VOYAGE 2014-2017』『VOYAGE-Iceland 2019-』を開催。2024年2月、旅先で撮影した写真を用いたトップスをメインとしたアパレルブランド・VOYAGEを始動

Photographer: luka
/ Creative Director: Kunichi Nomura (TRIPSTER)
/ Web Director: Masahiro Murayama (maam.)
Editor: Masato Shinmura
/ Project Manager: Satoshi Miyazaki (PADDLE)