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ビームスが思う理想の男性像

"MR_BEAMS"とは、ファッションをきちんと理解しながらも、
自分の価値観で服を選べる
"スタイルをもった人"のこと。
と同時に、決して独りよがりではなく、
周りのみんなからも「ステキですね」と思われる、
そのスタイルに"ポジティブなマインドがこもった人"のこと。

今回立ち上げたオウンドメディア#MR_BEAMSには、
私たちビームスが考える理想の大人の男性像と、
そんな理想の彼が着ているであろうステキな服、
そしてMR_BEAMSになるために必要な
洋服にまつわるポジティブな情報がギュッと詰め込まれています。

本メディアを通じて、服の魅力に触れていただいた皆様に、
ステキで明るい未来が訪れますように……。

いつどこでなにをきる②

a fashion odyssey | 鶴田啓の視点

いつどこでなにをきる②

 

立派な服を着ている時はそれに見合う場所へ出かけなさい。エレガントな洋服を着ている人間はエレガントに振る舞いなさい。20年前に先輩から、そう教わった。

高いスーツを着て、赤提灯ののれんをくぐってもいいのか?前回に続き「いつどこでなにをきる」の②後編である。(「いつどこでなにをきる①」はコチラ

洋服のT.P.Oについて考え始めたら、1990年から2015年までの25年間にわたりビームスでトランクショーを開催してきた英国のビスポークテーラー・Fallan&Harveyのピーター・ハーヴィーが面白いことを言っていたのを思い出した。

ピーターは過去に故・加藤和彦氏をはじめデヴィッド・ホックニーやマイケル・ジャクソンまで名だたるアーティストの服を手掛けてきた、英国が世界に誇る紳士服の本場サヴィルロウの人である。そのピーターは来日初期(1990年代前半)の頃、服道楽の顧客様やビームススタッフが「ソーンプルーフ生地のハッキングジャケットを作りたい」とか「カラフルなシェリーツイードでスーツが欲しい」とか言ってくるのが、不思議で仕方なかったと言う。クラシックスタイルに憧れる30年前の日本の服道楽心理としては、頭の中でパンパンに膨らんでいる「(架空の)英国イメージを具現化したい」という一途な想いだったのだろうが、ピーターからしてみると「お前、その服を着てどこに出かけるんだ?ハンティング(狩り)にでも行くのか?」「馬も持ってないやつのためにそんな服は作れない、ダメだ」とあしらっていたらしい。

ところが、オーダー会のため定期的に東京を訪れていたピーターは、何年か経つうちに当時のビスポーク担当スタッフに、こう漏らしたという。「初めの頃はそんな服(英国ではカントリーを意味する服)を都会で着るなんて可笑しいと思っていたけど、意外と変じゃないね、東京の場合は」「ロンドンで着ると絶対に変だけど、東京では不思議と目立ち過ぎない。ニューヨークでも同じことを思ったよ」と。
英国の階級社会で長い時間をかけて育まれた洋服の歴史やルーツ、使われ方。つまりT.P.O。英国では当然、それらが一般市民にまで深く浸透している分だけ「場違い」は悪目立ちする。ひと昔前までは「Barbourのオイルドジャケットをロンドンの都市部で着るのは(何も知らない田舎者か、極端なスノッブのどちらかに見えて)目立つ」なんてことを言っていたが、東京ならば「ファッション」として通用してしまう。本場のカントリーライフから遠く離れているためだろうか。移民都市ニューヨークや東京には「ツイードの上からオイルドクロスの雨具を羽織るのにふさわしい場など最初から存在しなかった」がゆえに(逆説的に)「場違いになる場も存在しなかった」のだろう。本場の文化が海を渡り、時を経て、本来とは違う形で異国の街に溶け込んでいく過程で、そもそもの意味が失われていく現象は何も洋服に限ってだけのことではない。

話を戻そう。
高いスーツを着て、赤提灯ののれんをくぐってもいいのか?

(コロナ直前の)近年では、デフレの影響からかファミレス飲みの増加やセンベロ居酒屋の活況が報じられており、老いも若きも(学生もビジネスマンも男性も女性も)巻き込みながら、酒場のコスパ争いはし烈を極めている。今まで以上に安居酒屋や飲食店は混沌とした客層で、ライダースを着たバンドマンの隣で50代のビジネスマンが飲んでいるのは日常的な光景だ。身なりの違いは多様を極め、もはやスタイルのるつぼと化している。その隣に30万のスーツを着た若者が座ったところで今さら目立ちゃしないのだ。なんならその酒場には白いスーツにパナマ帽を被った70代の老人までがいるのだから。

確かにシルク×カシミア混のラグジュアリーな光沢を宿したハンドメイドのスーツは、今でも赤提灯的な居酒屋には似合わない。が、最近の傾向でもあるザラザラとした英国ヴィンテージタッチの生地は、意外と安居酒屋にも似合うような気がする。一口に「高い服」「高級重衣料」と言っても「綺麗なままで着続けたい美しい服」と「シワが入り、少しヨレっとしたぐらいがいい雰囲気に見える服」とがある。自然なシワや適度な毛羽立ちは洋服にリアリティをもたらしてくれる。先ほどの白いスーツを着た老人にとって、それはおそらく日常着なのだろう。圧倒的に着馴染んでいるし、以前に見かけたときも同じスーツを着ていた。そのリアリティは(海外文化の借り物では無く)本人にとってのリアルであればよい。いつもの酒場には、いつもの白いスーツを着た老人が、いつもの席でいつもの酒を飲んでいる。洋服単体で是非を論じるよりも、動きのある着こなしをイメージできる「スタイル観」が僕は好きだ。ある意味では映画的であるとも言える。

適度に味が出た服は、味のある店に馴染む。

路地裏にある創業40年の赤提灯に10年間着続けている仕立ての良いスーツが似合うのは(値段の高低ではなく)「お互いが馴染んでいる」という一言に尽きる。こうなると、身なりだけではなく態度や身のこなしまで問われることになる。食券制のそば屋では上着を脱いでシャツの腕でもまくり上げ(丸椅子には座らずに)カウンターでササっと手短に立ち食いした方がサマになるかもしれない。センベロで昼飲みをするならば、片手で読みかけの文庫本でもめくりながらチビチビとやればよい。風景に溶け込み、周りの邪魔にならないような身のこなし方は人それぞれだろう。

そして同じ店に通い続けること。着席すると「いつもの酒」が運ばれてきて「奥の常連客に目だけで柔らかく挨拶を交わし」「ホワイトボードに書いてある本日のおすすめをチラリと見ながら」ゆっくりとグラスを傾ける。この動きの中で「着ている服が高級かどうか」など、まるで問題にならない。別に酒場でなくとも、町中華でもいい。「毎回、麺少なめのタンメンと焼き餃子を頼むスーツの人」として10年通い続けることが出来れば「着馴染んだ仕立ての良いスーツ」はもはやその店にとって日常風景の一部となる。白いスーツにパナマ帽の70代まで、もう一息である。

ちなみに冒頭の写真はいつかの春に行きつけの居酒屋で食べた、甘辛く味付けしてある「ふき煮」と、二枚目は鰹節をたっぷりと奢った「たけのこの土佐煮」。ともに400円程度の一品だ。同じ店で定点観測していると、新しい季節の到来をいち早く感じる事ができる。季節に敏感でいることは実際にスーツの着こなしにも変化を与えるものだが、今年はコロナ禍の自粛もあって「菜の花とホタルイカの酢味噌和え」でもつつきながら、のんびりと飲む春はすっかり通り過ぎてしまった。

「いつどこでなにをきる」なんてタイトルをつけてはみたものの、結局のところ「どのように着るか」ということの方がよほど肝要なようだ。ニューノーマルの到来で、新しい服を無駄に買うことは激減するという。しかし逆に言えば5年後も着ていられる仕立ての良いジャケットには買う価値が依然としてあるという事。長く着続けられる洋服や、長く通い続けられる店に出会えるという事は、ある種の幸運である。そもそも洋服や食は極めてパーソナルな文化である。(ひと昔前のように)海外文化の受け売りで食べさせられたり着させられたりするよりも、食や服を自分に馴染ませながら愉しむ方が、この時代、幾分か生きやすいのではないか。リアリティは自分で形作るしかないのだ。

念のために言っておくが、今まで述べてきたような日本特有の感覚は欧米から見るとかなり奇妙な感じに映るだろう。¥500,000-のスーツを着て、¥180,000-の靴を履いてイタリアの街中をウロウロすれば(実際の年収に関係なく)無防備な大金持ちに見えるものである。身なりが良いと一流のホテルや飲食店では良い扱いをされることもあるが(文字通りの「カモネギ」にならぬよう)見知らぬ街を歩くときはできるだけその街に合った格好をする方が賢明であろう。コロナ禍が明けて渡航が可能になった暁、特にファッション関係者はご注意を…。

 

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