#003 | 2009.11.20-12.25 Interview

須田悦弘

<BEAMING ARTS>3回目となる今年、ご参加いただいたアーティストは繊細な木彫りの彫刻作品で知られる須田悦弘さん。現代美術家を志したきっかけ、現代美術に対する思いを語っていただきました。

作品には一人の理解者がいればいい。

部屋の隅に、床から生えるように木彫の雑草を設置したり、椿を描いた屏風の傍らに木彫の椿を置いたり。たいていの場合、まず場所を下見してから、何をどういう風に作るか決めます。美術館やギャラリーって、壁や天井が真白のホワイトキューブで、どこも同じようなものという印象を持ちがちなのですが、よく見てみると必ずそれぞれ違う。今までやってきた展覧会の痕跡が残っていたり、壁の表面や建物の構造、もっと言えばその場所に行くまでの道の様子でも、印象は変わってきますから。結果的にいつも微妙な場所に展示していますが、別に驚かせたいとか、隠しているという気持ちはありません。たとえば道を歩いていて、コンクリートの隙間から雑草が生えているのを見つけると、はっとします。そういう「感じ」を美術館でも感じてもらえたらな、と思っています。

そういう展示の仕方をしているから、作品が気づかれぬまま清掃スタッフに掃除されて失くなったり、気づかれずに踏まれて壊れたりすることもよくあります(笑)本当はよくないんですが、慣れたもので「あー、はいはい」と言って直しますけど。誰一人として作品に気づかないのではさすがに困りますが、たとえば一万人の人が見に来て、一人しか気づかない、っていうのは、それはそれでわりとイケてると思います。昔から、あまりど真ん中とか、一番っていう感じが得意じゃないんですよ。なったこともないし(笑)。ただ一人の理解者がいれば、それはそれでいいかな、と思っています。

“運良く”出会った木彫という手法。

木で植物を彫るという今のやり方を始めてから17年になりますが、これに至ったのはほとんど運だったと思います。小学校の図工の木版画を除くと、最初に木を彫ったのは大学一年生のとき。自分はグラフィックデザイン科だったんですけど、基礎的な授業の中の課題で、干物を木でリアルに彫って色をつけるという課題があって。それでやってみたら、最初は全然面白いと思わなかったのだけど、段々面白くなってきて。できあがったものを周りに褒められて、それで木を彫り始めたという……。その課題がなかったら、たぶん今の僕はいないでしょうね(笑)。

子どもの頃から絵を描くのは好きで、大学に進む頃はバブル前夜でグラフィックがかなり面白かった時代だったから、あまり悩まずにグラフィックデザイン科に進みましたが、入ってみたらどうも授業がつまらない。そこにちょうど木を彫る課題が出てきて、現代美術にも目覚め、同時に日本の古い美術、仏像や寺社にも興味を持ちました。それから大学を終えて一年間、普通に会社勤めをした後、作家活動に入りました。だから、段々と今の形になってきたという感じなんですよね。もっと言うと昔は植物にも全然興味は持っていませんでした。周りは緑しかない田舎に生まれ育ったので、緑があるのが普通、と思っていたのが、東京に出てきてしばらくしたらとても気になるようになってきた。特にマンガみたいに「俺はこれで行く!」って決めた「瞬間」ってないんです、残念ながら(笑)

もちろん、会社を辞めて作家でやっていこうと決意したときには、いろんなことを考えました。人がやらないことをやろう、って。若いときは、無駄に色々考えますからね(笑)。それで、木で植物を彫って色をつけている人はあまりいないし、さらにそれをインスタレーションで観せようと。そう決めて今に至るまでずーっと同じようなことをやってきた。でも、正直やり始めのときには、ここまで続くとは思っていませんでした。それはもう、運のようなものでしかない気がしています。5年続いて、15年続いた。でもいつかやめてしまうかもしれないという気持ちは常にあります。それはけっこうよく考えることですね。

歴史を振り返れば、昔の彫刻家や絵描きは、一生かけて自分の仕事を追求していました。たとえばダ・ヴィンチは、長い長い時間をかけて「モナ・リザ」にたどり着いたと思います。一年や二年であのスタイルは生まれないでしょう。さらに言えば運慶や快慶のような日本の仏師たちは、物心つくかつかないかの頃から否応なく仕事を手伝わされて、それこそ死ぬまで同じ仕事を続けたわけです。やらざるをえなくて始めたことかもしれないけれど、長く続けたからこそ分かることが、やっぱりあっただろうと思います。実際自分でも、"木を彫る"ことに関しては、5年前、10年前には分からなかったことが分かるようになった、という感覚があります。まあ、人から見たら分からないようなことですけど(笑)木彫は、技術的にはどんどん上達していくことができるし、モチーフとなる植物だって限りがない。同じ植物でも"もうやり切った"という感覚にはならなくて、繰り返し彫りたい植物もたくさんあります。だからこんなことを言いながら、結局同じことを続けていく気がします。

現代美術の面白さとは。

拡大

自分が作っているような小さな草みたいなものから、ものすごい大きな作品まで、“何でもあり”というのは現代美術の醍醐味。観たときに“何だこりゃ”っていう、人によっては全く理解のできない作品が存在しているのが、ある意味健全なのかなもしれない、と。そういう意味では居心地がいい場所です。美術って、なんだかんだ言っても衣食住の外にあるものだと思います。よくも悪くも生死には関わらないものなので、けっこう気楽ですね。ある種平和があってこそ、というか……。だからこそ面白いことがやれるっていうこともありますし。現代美術の作家って博打打ちみたいなところがあって、結局のところ好きで、やめられなくてやっている人が多いですね。好きなことをして生活できたら、そりゃ最高ですが……やっぱり人には薦められません(笑)

近々では、原美術館にある常設展示の部屋に、作品を追加する予定です。季節ごとに展示替えするという企画で始めて10年が経つのに、まだ2つしかできていません。頑張ります。それから来年の7月には、ポーランドのクラクフで展覧会があります。ヨーロッパで展示するのも、今回の<BEAMING ARTS>も、どんな人にどんな風に受け入れられるのか。ちょっと楽しみでもあり怖くもあり。……まあ楽しみなんでしょうね、やっぱり(笑)

構成: 阿久根 佐和子

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須田悦弘 YOSHIHIRO SUDA

美術家
1969年山梨県生まれ。1992年多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。
植物を木で彫り、彩色を施し、それが置かれた空間を作品とするインスタレーションを展開。

主な個展

1993年
「銀座雑草論」銀座パーキングメーター/東京
1997年
「間」ギャラリー小柳/東京
1999年
「ハラドキュメンツ6:須田悦弘 泰山木」原美術館/東京
「One Hundred Encounters」Galerie Wohnmaschine/ベルリン
2003年
「Focus: Yoshihiro Suda」The Art Institute of Chicago/シカゴ
2006年
「須田悦弘展」丸亀猪熊弦一郎現代美術館/香川
2012年
「須田悦弘展」千葉市美術館/千葉
2013年
「Suda Yoshihiro」FAGGIONATO/ロンドン

主なグループ展

1998年
「台北ビエンナーレ」台北市立美術館/台北
2000年
「The Greenhouse Effect」サーペンタイン・ギャラリー/ロンドン
2001年
「ARS 01」キアスマ現代美術館/ヘルシンキ
2004年
「21世紀の出会い:共鳴、ここ・から」金沢21世紀美術館/石川
2005年
「Flower as Image」ルイジアナ近代美術館/コペンハーゲン
2012年
「庭をめぐれば」ヴァンジ彫刻庭園美術館/静岡
「第18回シドニー・ビエンナーレ」シドニー
2014年
「第1回カルタヘナ・ビエンナーレ」カルタヘナ

常設展示

原美術館(東京)
ベネッセアートサイト 直島(香川)
国立国際美術館(大阪)
NEUES MUSEUM(NURABURG)

作品の問い合わせ先

ギャラリー小柳

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