匠 日本のクラフト 05 JAPANESE CRAFT匠 日本のクラフト 05 JAPANESE CRAFT

独自の視点で編集した
日本の手仕事を紹介する
アトリエのような場所

2003年にBEAMSが立ち上げた<フェニカ>は日本や北欧を中心とした生活雑貨を提案してきたレーベル。そして、これまでよりも広く深く、日本の作家やブランドにフォーカスしより日本の手仕事の魅力を伝えるのが、この<フェニカ スタジオ>です。作家の発掘や魅力的な作品の開発など豊かな暮らしの在り方を提案し続けます。木工や作陶、ガラス、玩具にとその幅は広くどれもが丁寧で温もりのあるものばかり。生産者との特別な関係があるからこそ実現する美しい日本の手仕事の品をお届けします。

is a label launched by BEAMS in 2003 centered on miscellaneous lifestyle goods from Northern Europe and Japan. has been focusing on Japanese creators and brands to showcase the charm of Japanese handiwork further and deeper than ever before.We propose ways of living abundantly while discovering unknown artists and developing attention-grabbing works.A wide range of warm and charming products including woodwork, ceramics, glass and toys are offered.These beautiful Japanese handicrafts are only realized because of the special relationship we have with their creators.

contents

  1. 01

    益子・濱田窯

    益子・濱田窯

  2. 02

    天童木工

    天童木工

  3. 03

    日本の手仕事

    日本の手仕事

OUR PARTNER

益子・濱田窯

[栃木・益子]

contents

01

濱田庄司が育んだ自由な作家性が
いまなお息づく焼物の一大産地。

“自由”を許容した
懐の深さこそ、益子の魅力。

フェニカでは、全国の美しい民藝の窯物や作家さんの器を取り扱っています。中でも特に関係が深く、その魅力に惹かれ続けているものの一つが、この“益子焼”です。栃木県の中心、宇都宮市の東に位置する山間の町、芳賀郡益子町。この地で作陶が始まったのは江戸時代の後期とされています。その頃は瀬戸(愛知)や信楽(滋賀)といった、古窯の全盛。それを模したものを関東地方で作ろうとなったのが始まりでしたが、特色も無く、名もないひとつの産地となっていた益子に、今につながる命を吹き込んだのが、かの濱田庄司でした。英国人の陶芸家、バーナード リーチとの出会いを経てイギリスで共に窯を開いたのち、日本へと戻った庄司が作陶の地に選んだのが、この益子だったのです。益子の土と釉薬で、益子の焼き物に芸術性を取り入れた庄司の作品の数々、そして技術指導を受けた職人たちの作り上げた窯物は、柳宗悦率いる民藝運動の勢いも相まって、次第に“益子焼”として認知されるようになりました。

伝統と革新を
高次元でバランスする生産地。

今回取材に訪れたのは、その濱田庄司の孫にあたる、<濱田窯>の三代目当主、濱田友緒さん。窯元の当主としてだけではなく、ご自身も作家活動をされている友緒さんは益子の魅力を「自由で伸び伸びとした空気。それを許容してきた懐の深さ」だと語ります。濱田庄司は日本で作陶の地を探していた時、イギリスでの生活の影響から、自然が多く残る田舎町で、都心へのアクセスも良く、健康的な生活を送れる場所を探していたそうで、それに完璧にフィットしたのがこの益子でした。「庄司は益子の文化を作り上げたのは自分ではない、と言っています。自分というものを受け入れてくれた上に、作陶に没頭できたこと、自由な活動を許容してくれた益子に深く感謝しているようでした」と友緒さんが話す通り、様々な変化を受け入れてきた益子は、その後には自由な作風で知られるようになり、伝統と革新を高いバランスで実現する産地となっていったのです。益子で取れる陶土の特性を生かしたぼってりとした肉厚のフォルムが特徴の益子焼ですが、今ではシンプルでミニマムな作品も多数見られます。それは、濱田庄司が大切にした自由な作家性が、連綿とこの益子の地に息づいているということに他なりません。

“使う喜び”を唱えて
毎日に豊かさを。

<濱田窯>には、友緒さんの作家としての芸術作品、そして職人たちの手仕事が味わえる窯物があります。友緒さんはその両方を通じて「使う喜び」を伝えたいと話します。「食の器でも、花の器でも、お茶の器でも、使ってみたい器を作りたいといつも思っています。そして、できるだけ色々なものを使ってほしい。違いもわかりますし、感じることがあると思いますので。それによって、その人の生活が少しでも豊かになれば嬉しいですね」と友緒さんが語る通り、想像する楽しさに溢れた器は、ひとつあるだけでも私たちの毎日を変えてくれるようなものばかりです。そして、そんな器を私たちに届けてくれるのが、職人たちの熟練した技巧です。友緒さんの指導を受けた職人たちは、誰もが手練れで、その所作には美しささえ漂います。ろくろを回しながら削る繊細な手つき、形を整える研ぎ澄まされた眼、飾りを彫るミリ単位での指先の動き。そのどれもが惚れ惚れするような光景で、思わず見入ってしまうほど。その技術もまた、庄司がこの地に降り立った時から現在に至るまで、脈々と受け継がれてきたものなのです。

フェニカとの
特別な関係が道を拓く。

そんな<濱田窯>とフェニカは、長らく良好なパートナーシップを築いてきました。友緒さんにとっても、フェニカとの出会いは特別だったといいます。「テリー・エリスさんと北村恵子さん(ともにフェニカのディレクター)をはじめ、フェニカの方々は、とにかく“モノが好き”、“仕事が好き”だという気持ちに溢れています。さまざまなことに対しての理解が深いですし、私たちのことも知ろうとしてくれました。フェニカと出会って、私たちのような作り手の環境が変わるきっかけにもなったと思いますし、今までこういったものに興味のなかった人たちの価値観さえも動かすことになったのだと思います」。

<濱田窯>とフェニカの関係はこれからも続きます。益子から届く器を使う想像をしながら、新しい作品や窯物の到着を心待ちにしています。そして、一つの器に宿る自由な空気を、職人たちの手仕事の温もりを、皆さんのお手元にしっかりと届けていきたいと思います。

fennica STODIO

EXCLUSIVE

六角皿は、濱田庄司が生前に作陶していた形をもとに、生誕120周年を記念してスペシャルオーダーした一品。鮮やかな青釉抜絵、落ち着きのある柿釉抜絵、シックな地釉抜絵と3種を用意。それぞれ3つのサイズで展開される人気のアイテム。ピッチャーと薬味入れも別注品で、濱田友緒さんも「彼らの拘りとその視点が面白い」と語る通り、フェニカならではの拘りと<濱田窯>の矜持が込められている

濱田窯 × fennica
別注 益子焼 6角皿(小)¥1,650+Tax / (中)¥2,200+Tax / (大)¥2,500+Tax
別注 益子焼 ピッチャー ¥6,000+Tax
別注 益子焼 薬味入れ ¥7,000+Tax

OUR PARTNER

天童木工

[山形・天童]

contents

02

成形合板と名デザイナーの蜜月で
数々の名品を世へ送り出す。

時代を変えた
成形合板の登場と出合い。

山形市の北、県のほぼ中央に位置する天童市は、将棋の駒の名産地としても知られる、木工業が盛んな場所。その天童市で1940年に創業した<天童木工>は、もともと大工や職人が集まって作られた組合で、当時は戦時中だったこともあり、軍用の木製の弾薬箱などを作っていました。活況を呈していたものの、さらなる高度な技術・仕事への挑戦を望み、戦争末期には、アメリカ軍の飛行部隊への目くらましとして使われた木製の“飛ばないおとり飛行機”の製作も請け負うに至ります。この頃に、後に<天童木工>の飛躍へと繋がる出会いがありました。木製飛行機の研究をしていたデザイナー・剣持 勇との出会いです。その後、戦争が終わると、手持ちの材料を生かせないかと、戸棚や飯台などの家庭用家具作りに着手します。そして、終戦から2年後の1947年、<天童木工>を語る上で欠かせない“成形合板”と出合います。成形合板とは、複数の単板と呼ばれる1mm程度の薄い材木に接着剤を塗布して積層し、圧力と熱で形を作る技術のことで、英語では“PLYWOOD”と呼ばれるもの。コストパフォーマンスも高く、大量生産に適しているだけでなく、直線的な家具が主流だった時代において、流線的なフォルムを生み出す成形合板は、時代を代表するデザイナーとの関係性を作り出し、飛躍へと繋がるきっかけとなるのです。

デザイナーとの
蜜月の関係が名作を生む。

<天童木工>にとって、この成形合板との邂逅は、デザイナーとの出会いの架け橋となりました。前述した世界的デザイナー・剣持 勇、パリのルーブル美術館やニューヨーク近代美術館(MOMA)のパーマネントコレクションにも展示されている“バタフライスツール”(1956年発表)を作り出した柳 宗理、スウェーデンを代表する建築家のブルーノ・マットソン、歴史に名を残す数々の名建築において成形合板を愛用した稀代の建築家・丹下健三など、時代を代表するデザイナーとの蜜月の関係が生まれます。それほどに成形合板にはさまざまな可能性があり、デザイナーのクリエイティビティを刺激するものだったと言えるでしょう。そして、彼らの頭の中にあるデザインを具現化できるだけの技術力が、この<天童木工>にあったということでもあります。

匠の技を持つプロの職人集団。

その<天童木工>が誇る技術力を実際に体感するため、天童市にある本社工場を訪れました。整然と編集された工場で働く人たちは、まさにプロの集団。製材、接着、成形、加工、組立、塗装、布張、調整など、それぞれのパートにスペシャリストを配しています。ベテランと若手でペアを組み、技術と感性の継承・伝承を行いながら、各々の人たちを1人の職人として育てていきます。過程が多い家具づくりにおいて、これだけ“人の手と眼”が重要な工場を私は見たことがありません。誰1人無駄な動きをしておらず、自分の役割が明確なせいか、そこに迷いが全くなく、作業に対して最高のパフォーマンスを出している。そんな光景を何度も目の当たりにしたのです。ただの工場の作業員ではなく、明らかにプロの職人集団と言えるほどのクオリティは他にはないもの、<天童木工>の一品に対する真摯な姿勢が感じ取れる瞬間でした。

ミッドセンチュリーとともに
脚光を浴びる。

<天童木工>はもともと、官公庁やホテル、美術館などの施設から公共スペースの家具を受注するのがメインでしたが、1990年代に入りメディアや若者たちが日本のミッドセンチュリーを取り上げ始め、前述したバタフライスツールなどが脚光を浴びるようになります。数々の名デザイナーと協業してきた<天童木工>には、“古くならない時代を超える名作”が目白押し。ここから本格的に家庭用製品が世の中に浸透していきます。2003年にデビューしたフェニカにおいても、これらの<天童木工>の製品は欠かせないアイテムです。後に紹介する別注のリトルレッドチェアをはじめ、これまでにも多くの製品を紹介してきました。当日の取材に同行してくれた<天童木工>の担当者の方も「フェニカさんが取り扱ってから、明らかに我が社の商品に対する若い人たちの視線や価値観が変わりました」と話すほど。名だたるデザイナーの思考を具現化した<天童木工>の作品は、どれもがセンシティブで、見れば見るほどに美しいと思えるもの。憧れの一品、そして今すぐ手にしたい一品にも、受け継がれてきた匠の技が宿っているのです。

fennica STODIO

EXCLUSIVE

ホワイトビーチのナチュラルな素材を生かす成形合板をベースに、ユニークなフォルムを生み出した名品、キッズチェア。フェニカはその美しい木目を生かしながら、赤で別注。よりプロダクトとしての魅力を引き出したスペシャルなアイテムが出来上がりました。

天童木工 × fennica
Little Red Chair ¥32,000+Tax

contents

03

fennica STODIO

LINE UP

古今東西から選り抜いた
日本が誇る手仕事の品。

WHAT'SBEAMS JAPAN