自然が強くて、
人間が弱い場所をもっと感じたかった。
自然が強くて、人間が弱い場所をもっと
感じたかった。
まずは、これまで「水曜日のカンパネラ」の制作において、コムアイさんがどのように関わってきたのかを教えてください。
コムアイ:歌詞もメロディーも、自分ではほとんどつくっていないんです。制作の9割ぐらいはやってもらっていて、何が来ても私は歌う、みたいな。あ、それは嘘だ(笑)。自分では何も持っていかないのに文句は言うバンドメンバーのような存在です。ケンモチヒデフミさんとDir.Fのおかげで成り立っていますね。
どんなやりとりがありましたか?
コムアイ:ケンモチさんからは「何をやりたいのか教えて」って常に言われてました。すごく器用で、優しくて、お題をもらってやることを楽しむ人。私は聴いているプレイリストを共有したりして。
例えば代表的な曲に「桃太郎」がありますが、どのように制作されたのでしょうか?
コムアイ:人名しばりで曲名を決めて、そこから発想して曲ができていくので「誰にしよう?」が合言葉のようなものです。どんな世代の人にも知られている人名を探していて、「桃太郎やろう」ってケンモチさんかDir.Fが言い出したんです。タイトルが先にあって、歌詞と楽曲を作ってきてくれて、それがすごくおもしろくって。
そこだけを聞くと、単純に「歌う人」のようにも捉えられますが、コムアイさんは総合芸術としての水曜日のカンパネラの中心にいるようなイメージです。
コムアイ:つなぎ目みたいな、目印みたいなものですね。自分がそのときに何を放っているかが作るものに影響していて、話すこと、表情、その時の態度や気分を、みんなが汲んで音楽に反映してくれているような。私は基本、いいねっていうだけなんですけど(笑)。
BEAMSの「PLAN B」で、山田智和監督といっしょに松尾芭蕉のMV制作を行う過程が記録されていますが、映像にも具体的に関わっていくんだな、と。
コムアイ:あ、なつかしい。プリウスのやつ。制作の人が大きな羽根のようなもので、車の上のホコリを一生懸命払っていた記憶があります(笑)。基本的に、ディレクターを決めたら、あとはMVの内容は任せます。こっちの意図を伝えてそのとおりにしてもらっても、監督がそこで無理をしていたら作品から力が失われる、と経験上思っています。投げかけて、気に入ったら使ってもらえるし、ピンとこなければやらなくていい。それはライブでも同じですが、あんまり私が決めないのでそれで困ることの方が多いと思います。
なるほど。YAKUSHIMA TREASUREは、コムアイさんの作家性をダイレクトに感じさせるプロジェクトで、これまでと大きく方向転換していると思うのですが、始動するきっかけは?
コムアイ:もともとYouTubeの企画として始まりました。オオルタイチさんといっしょにやることに決めて、屋久島に行かせてもらって、映像を撮って、一曲だけ作るはずだったんですけど、たくさん曲ができちゃって、全部まとめてリリースしたいっていうお願いをしたんです。「水曜日のカンパネラ」への依頼だったから、その流れで水曜日のカンパネラとオオルタイチの連盟でリリースになったんですけど、聴いてくれた友達からは、「これってコムちゃんの個人名義じゃないの?」って感想を多くもらって。私っぽさの輪郭というのがあるんだなって、おもしろかった。実際はほとんどタイチさんが作っているのですが(笑)
自分の中で、これまでと大きく変わった感覚はありましたか?
コムアイ:めっちゃあります。これまでも常にジャンプしているつもりだったけど、ようやく表に出る形になったというか。武道館公演を終えた後くらいから、人がどう思うかじゃなくて、小さくてもいいから自分のピュアな思いでやろうって考えるようになって、それが明確にひとつの形になったのかな。
yahyelとの共作「生きろ。」にも、そういった意識の変化が反映されていましたが、今回はなぜ屋久島という題材を選んだのでしょう?
コムアイ:特に理由があるわけではないんですよ。行ったことがなくて魅力的だから。私は苔が好きだし、いいなって。もし興味があれば、一人とか二人とかで行くのをおすすめします(笑)。山の中で雨に打たれたりしたかった。映像では一人になっていますけど、周りにたくさんの人がいるので(笑)。自然が強くて、人間が弱い場所をもっと感じたかったですね。生きている人間のことを弱いと言うのは違うかな。自然の隙間で生きている感じ。激しい山の谷の隙間に人々がひっそりと暮らしている。自然を支配する感覚のない場所です、屋久島は。
まさしくもののけ姫のような。
コムアイ:もののけ姫ですね。屋久島でも、昔は女の人や子どもは山に入れなかったみたい。畏怖があったんですね。
山の噴火とか、
1945年の8月16日のイメージだったりとか、
そういったものが投影されている。
山の噴火とか、1945年の8月16日の
イメージだったりとか、そういったものが
投影されている。
先日のリキッドルームでのライブを拝見して、なまなましい自然の様子を感じました。リキッドのフロアの中央に土がもられて、その上に植物があって、即興的な演出や、演劇的な語りがあって…現実離れしていましたね。
コムアイ:ひとことでいうと、実験という感覚です。YAKUSHIMA TREASUREをどのようにライブとして表現するか考えて、上野雄次さんという華道家の方に演出的なことをお願いしています。4年くらい前に、上野さんのパフォーマンスを間近で見て、やばいって思ったけど、当時は私の用意が足りなかった。負けちゃうというか、今はまだ自由にやってもらえないなって。だから、ある意味4年越しの念願なんです。上野さんだけではなく、オオルタイチさんはもちろん、チーム全員の力に頼ってますね。リキッドルームの心意気も凄いし、サラウンドの音響や照明も大きな役割でした。チームって、誰か一人でも不安な人がいると巻き込まれちゃうんですよ。逆にみんながアクセル全開だと誰も不安を感じなくて、挑戦することが常識みたいになる。普段のライブに関していえば、しっかり練習して、安心する感覚を身に着けるけど、その安心をもっと手前に持ってきたというか、「なんかいけそうな気がするなあ」ぐらいで安心することにしました。筋肉だと思うんです、即興って。それを鍛えていきたくて。
なるほど。何かの媒介になっているような感覚はありましたか?今回の場合で言えば、屋久島というものの媒介になったというか。
コムアイ:ありますね。ただ、みんなが「YAKUSHIMA TREASURE」っていうタイトルを見てそう思ってくれたから、私達自身もそう感じたということだとも思います。人が集まる場の力ってあって、ここは屋久島だってみんなが思ったから、歌っている私たちもそう強く思ったし、おじいさんおばあさんの気持ちにもなったし、そこから創世神話のような国生みの物語へつながっていったのかもなって。
最近、暗いニュースが多いこともあって、文明が失われた後に何かが始まるようなディストピアめいた感覚もありました。
コムアイ:それは間違いなく、考えていましたね。みんなが感じてくれるかどうかわからないけれど、私たちの中で共有している感覚があって。セットリストに火のマークが書いてあるんですけど、ここで山の噴火とか、1945年の8月16日のイメージだったりとか、そういったものが投影されているんですよ。屋久島には、かつて火山の噴火で更地になって、雨の力で苔が生えて再生したっていう物語があります。ゼロになってそこから生まれてくるというか、焼け野原みたいな感覚を共有していました。
生きているということを
肉体に問いかけるというか、生き物であるという共通項に
訴えれば伝わるような気がする。
生きているということを肉体に問いかける
というか、生き物であるという共通項に
訴えれば伝わるような気がする。
演劇的な要素もライブに入っていました。フイナムで以前チェルフィッチュと対談してもらっていますが、何か気づきや影響はありましたか?
コムアイ:直接的に生かそうとしたことはないですね。演劇的なものをやろうとは思っていなかったけれど、照明や音響、衣装も、演劇の経験がある人です。でも、インスタで映像を観た外国人が、「このインスタレーションの詳細を教えてくれ」って言っていたらしくて、そうかそういう風に見えるのかって。展示作品の中でライブをしてるみたいな風にも捉えられるんですかね。常にハプニングを起こしたいんです。上野さんにとっても私たちにとっても、土と苔の演出はもうやらないでしょうし。
毎回即興的にライブが変わると思うんですけれど、ああいう演出、毎回はできないですよね。
コムアイ:できないです。いろんな国に呼んでもらえたりしたら似た演出をしてもいいなと思います。
フイナムのフェスでは、どのようなライブを行う予定ですか?
コムアイ:照明を中心にした演出をやろうと思っています。
どういう形容をすればいいのかが難しいライブだとも思います。様々な要素が複合的に入っているというか。
コムアイ:アンビエントな側面も、ノイズの側面も、エクスペリメンタルも歌謡曲も民謡も入っている。フィールドレコーディングも。そういうバランスのままでいたいんです。フイナムのイメージとは違うからこそ、気楽に、普通にやって、受け入れてもらえるような気がしています。リキッドルームでのライブをアイヌの歌を教えてくれてる私のお母さんみたいな人が、北海道から観にきてくれて、五十歳とかだけど、「めっちゃ響いた」って話してくれたんです。嬉しかった。生きているということを肉体に問いかけるというか、生き物であるという共通項に訴えれば誰にでも伝わるような気がする。
なるほど。すべてのライブは一回しか見られないものですが、一般的な次元とは異なる一回性がありますよね。
コムアイ:ライブって観ているときは一人で、モグラみたいになってる。一緒に観ている人が何人いようと関係なくて、良いライブはちゃんと一人にさせてくれる。深く深く穴にもぐって、ハッと横を見たら同じようにもぐっていた人と顔を見合わせる瞬間が訪れるみたいな。テクノが好きだからかもしれないけど、没入するものは何でもそうだと思う。踊ってる時にもよく思うし、どんなライブでもそういう側面はある。人間と人間の関係としても、そういう関係がいいです。みんなで手を繋いで横並びで歩いて行こうっていうのは嫌い。俺は俺の好きなことやるぜ、ってやった先で、お前もいたのか!って出会えるのが好き。
この先、コムアイさんは何を掘っていくのでしょう?
コムアイ:考えてないんですよね。来年の予定とか入れるの怖いよねって話してて。YAKUSHIMA TREASUREは、秋と冬にもライブをやりたい。まだまだ実験したくて、もうちょっと続くかもしれないですね。同じ名前で、内容はどんどん変わっていくかもしれないけど。ただ、水曜日のカンパネラでやりたいことを思いついたらそっちで始めるかもしれない。
自分自身がより即興的になっていくのかもしれません。
コムアイ:今はそれが楽しいですね。毎回何か発見があるし。でも生きるのって常に即興的ですよ。なんでもそうです。
2019年4月にYouTube Originalsで発表された、水曜日のカンパネラと屋久島のコラボレーションを試みる作品「Re:SET(https://youtu.be/bBde4wUtkHQ)」。この作品を通し一枚のEP「YAKUSHIMA TREASURE」が誕生した。島のカエルの鼓動や木々をうつ雨、岸壁の風、波の音に耳を澄まし、村のおばあちゃんたちとうたい、あの手この手で採集された音をもとに様々な曲が制作された。屋久島の自然を壊滅させてしまった縄文時代の鬼界カルデラ噴火を題材にした「屋久の日月節」をはじめ、水曜日のカンパネラとオオルタイチが屋久島と取っ組み合い、紆余曲折を経て生み出したタカラのような曲たちをライブセットで披露する新しいプロジェクト。
HOUYHNHNM 15th ANNIVERSARY
HNF ~フイナムのフェス~
「フイナムとビームスのライブ」