

©2009 Nagoya Omotenashi Busho-Tai Secretariat
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第1話
有松の町並みは、
国づくり成功の証じゃ。有松・鳴海絞りは、江戸時代に九州・豊後から入ってきた新しい文化だったが、その後、一帯として大いに栄えたわけじゃ。当時、国の銭(国家予算)はほとんどが軍事目的に使われておったが、わしはその銭を“まちづくり”へと転化していったわけじゃ。有松の町並みに、例えば「岡家住宅」のような大きな屋敷が建っているのは、わしが目指した街道づくり、ひいては国づくりが上手くいった証のようなものじゃな。
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第2話
懐の深い名古屋で、
文化が花開くのじゃ。名古屋は、器じゃ。分かりやすいのは、「なごやめし」じゃな。なごやめしは、今では20では足りぬほどの種類があるが、これには三重で生まれた天むすや、一宮のあさげ(モーニング)文化など、名古屋生まれでないものもたくさん含まれておる。それでも“なごやめし”として打ち出すことを認めてきた名古屋の懐の深さが文化を作ってきたわけじゃ。有松もまさにそうじゃ。九州・豊後で生まれた絞りが有松で花開いた。これも、名古屋の器としての役割を示す所以じゃろと思うておる。

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第3話
有松・鳴海絞りは、世界で唯一の
三次元的な反物じゃ。着物がなぜ、優秀であるか。それは、平面だからじゃ。平面を体に添わせるからこそ、どんな立体にも合わせることができる良さがあるんじゃな。これは装い(ファッション)の世界ではなかなか珍しいことで、中でも有松・鳴海絞りは、反物の状態でも凸凹があり、どこか立体が想像(イメージ)できるんじゃな。世界的には「有松・鳴海絞りは、世界で唯一の三次元的な反物である」と称賛されておるそうじゃ。わしが着ればわしになり、信長殿が着れば信長殿になる、他の国や地域ではなかなか見ることができない装いじゃ。
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第4話
有松は、世界に“藍色”を
打ち出す発信基地じゃ。日本遺産・有松の認定名称「藍染が風にゆれる町」とは、なかなか良い名が付いたなと思うておる。有松には風が吹けば揺らめく暖簾があるように、実際に町を歩き、風を感じ、その様をぜひ見て欲しい。特に若い者たちは、己が自身を上手に撮るじゃろう。有松には、非常に“映える”場所がいくつもあるわけじゃ。若い者たちは、己が自身とともに上手に撮ってやって欲しい。今では絞り染めは多くが化学染料になっておるが、それでも“藍染”という名称が付いたわけでの、有松は世界に日本特有の色“藍色=JAPAN BLUE”を発信していく場所として大いに期待しておる。
名古屋おもてなし武将隊®とは?
2009年11月、「名古屋開府400年」のPR大使として、6人の武将と4人の陣笠で結成。日本人ならではの“おもてなしの心”とSAMURAIカルチャーを世界に発信するため、名古屋城を拠点にさまざまな活動を行っている。メンバーは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、加藤清正、前田慶次という日本を代表する有名武将6名。さらに陣笠(足軽)4名が脇を固める。