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#1 青木マッチョの筋トレ全史

Aoki Macho’s Column #1:
The Complete History of Strength Training

2025.05.23

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文・青木マッチョ

 

お疲れ様です。吉本興業で芸人をやらせていただいてます、かけおちの青木マッチョです。大それた名前ですみません。

早速、芸名にもある通り自分はそこそこマッチョです。今回は、自分がどのようにマッチョになっていったのかをここに書かせていただきたいと思います。割と紆余曲折してます。失敗もたくさんあるので、是非見てください。自分ドMなんで失敗を知られるのも余裕です。「私筋肉に興味ない」って人も早まらないでください。意外とマッチョになるための話はいろいろな仕事や生活に適応できる気がするので、マッチョになりたい人だけじゃなくて全ての人に見てほしいなと思います。いや、適用される気がするというだけなので無理だったらすみません。ちゃんと謝ります。それでは、自分が筋トレを始めた12歳の頃の話から書いていきます。

12歳の頃の青木マッチョさん

筋トレを始めたのは12歳の中学1年の頃でした。不良に絡まれすぎて、見た目を大きくしてそもそも絡まれない平和な世界を目指したいと思ったことがきっかけです。ちなみにいまだに平和じゃないです。不良に絡まれすぎてる時点でお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、自分はもともとかなりガリガリのっぽでした。身長176センチの56キロで色白という、文字通りヒモ体型から始まってます。なので「自分は筋肉つきにくいから…」とか「ガリガリだから…」と筋トレを諦めている人も安心してください。どんな人でもそこそこマッチョにはなれます。

まず最初に、自分は近所にあった「ミドスポ(名古屋市緑スポーツセンター)」という市のスポーツセンターのトレーニングルーム、いわゆる「ジム」に行きました。腕立て伏せとか腹筋とか、家でできる筋トレをすっ飛ばしてジムに行きました。なぜかは覚えていませんが、おそらく急いでたんでしょう。1日でも早くマッチョになるにはジムしかないと。ジムに初めて行って、どう見ても中学生なんて1人もいないのですが舐められたくなかったため、誰にもマシンの使い方を聞かずにさも当たり前のようにマシンに座る自分。初めて使ったマシンは上腕三頭筋を鍛える「トライセプスエクステンション」というものです。何で覚えているかというと、なんとなく「生まれて初めて使ったマシンだけは覚えておこう」と思ったからです。やっとここで17年前の自分が報われました。そこから一通り筋トレマシンを試してみるのですが、マシンというものはありがたいことにマシンが動く通りに動かせばそれっぽく筋トレできるのです。何とか舐められずに済みました。そこから中学3年間ジムで筋トレに励むのですが、持てる重さはどんどん上がって行きますが体が大きくなりません。ここで大きな落とし穴があったのです。それは「食事の量」です。

当時の自分はなぜか体を大きくしたいというのに「ストイックにダイエットもしたい」という真逆の思想を持っていたため、食事制限を極限まで行っていたのです。今思うと意味不明な行動ですが、ストイックなことをすることにハマっていたのです。そのせいで自分の青春は消え去りました。なのでプロテインとかは飲んでいましたが、お米を1日通して数粒ぐらいしか食べていませんでした。数粒なら食べなくてもいいのに。時にはバイキングに1人で行って満腹になるまでご飯を食べて、そのあと吐くという「過食嘔吐」も行っていました。そんな人がマッチョになるわけないし、中学生として良くなさすぎる。でも当時の自分は「力はついてるのになんで体が大きくならないんだろう?」と謎に思いながら、もともと筋トレしなくても筋肉がつきやすい体質の同級生を忌々しい目で睨むだけだったのでした。

騙されて入った高校ラグビー部時代

そんなこんなで高校に入りました。そこでいろいろ端折りますが、騙されてラグビー部に入部します。ラグビー部は体が大きい人が正義だったので、ここでやっとご飯を食べるようになりました。騙されましたがご飯を食べないといけないことに気づけたので、入って良かったかもしれません。中学の頃は怖くてフリーウェイトエリア(いわゆるベンチプレスやダンベルがあるエリア)に行けず、ずっとマシンでトレーニングしていたので、高校のラグビー部の筋トレの時間で初めてベンチプレスをやりました。1発目はMAX60キロ。平均よりちょい上ぐらいで、めちゃくちゃ悔しかったことを覚えています。全然今でも悔しい。ですがフリーウェイトを取り入れて、かつご飯も食べまくるようになったので体はどんどん大きくなっていき、すぐ体重80キロは越えるようになりました。ベンチプレスもMAX125キロまで伸びました。ですがここでも落とし穴がありました。それは「健康」です。

当時自分はラグビー部の激しい運動に加え、朝の新聞配達、勉強の予習と復習を行なっていたため、免疫力が極限まで下がり月1で熱を出していたのです。あの頃っておいしい免疫ケアとかあったのかな。そのため体重が85キロ超えたと思ったらガッツリ1週間ぐらい寝込み、75キロぐらいまで下がり、また85キロまで戻ったと思ったら熱出して…を繰り返していました。ここで風邪をひかないような行動の大切さを学びます。自分の高校3年間で学んだことはそれです。悲しすぎる。ちなみにこの高校時代にもともと拒食症だった自分が体を大きくするためにご飯をたくさん食べることにより、フードファイトに目覚めるのですがそれはまた別のお話…

消防士時代。ついにゴールドジムデビュー

高校を卒業して自分は晴れて消防士になりました。晴れてと言ってますが、進学校だったため就職したのは学年で自分1人だけで、次の年の入学説明会では自分の進路は無かったことになってたみたいです。土砂降り就職。それはさておき、消防士になるとまず消防学校という施設に送られます。そこでは一人前の消防士になるために毎日とてもとても厳しい訓練を受け(具体的な厳しさを書いたら色々問題になりそうなのでやめておきます)、なんとか過ごしていくのですがここで運命的な出会いがあります。杉久保教官という方なのですが、恐ろしくマッチョなのです。しっかり胸筋が張り出していて、背筋も広く、肩も丸い。腕も二頭筋と三頭筋がしっかり分かれていてめちゃくちゃかっこよかったんです。スポーツセンターのジムや、ラグビー部でも見たことない、初めて見る「ザ・マッチョ」でした。自分も割とガタイが良く同期からもすごいと言われていましたが、その教官と比べると自分はまるでマッチョとは言えないなと思うレベルです。杉久保教官に、というか杉久保教官の体に憧れを覚え、自分はとある決心をします。「ゴールドジムに入会する」です。

当時ゴールドジムはとんでもなくハードルが高く、とてもじゃないけど自分が入会するのは恐れ多いと思っていたのですが、その体を見たらそんなことは言っていられず「ゴールドジムに行かないと!」という気持ちになりました。そこで筋トレをする環境のレベルを上げて、またジムにいるトレーニーのレベルも上がることによってモチベーションが爆上がりしたことにより、自分で本やYouTubeで筋トレについて勉強するようになりました。サプリメントもこの頃から増やしていき、かなり筋トレというものが本格的になってきたと思います。また、消防学校を卒業し、消防士として署での勤務が始まった後も、全国の消防署で行われる「救助技術訓練」というレスキューの甲子園的な競技があるのですが、力ありそうだからという理由で選手に選ばれ、引揚救助という種目の1番員というものになりました。その1番員というのは、全競技の中でも特に体重とパワーが必要で、より一層体の大きさとパワーをつけるためにトレーニングの挙げる重量をどんどん増やし、ご飯をさらに食べて体重は100キロを超えました。しかしまだここにも落とし穴があったのです。それは、食事の質と睡眠です。

当時の自分はとにかく体重を増やすことに必死だったので、タンパク質や炭水化物といった栄養素も摂っていましたが、脂質とかも特に考えずにバクバク食べていたのです。なので筋肉も大きいが脂肪もそこそこある体になり、そして消防士の勤務形態上睡眠もあまり取れず、体重は増えたが思うように筋肉というものは増えませんでした。そのころ他の署との合同訓練で、消防学校で会った杉久保教官に数年ぶりにお会いすることになるのですが、全体的な大きさは自分の方が大きかったですがマッチョとしてのかっこよさみたいなものは負けていたと思います。悔しかったですが杉久保教官の「大きくなったなぁ!もう負けたよ」という発言に助けられました。

そして消防士として6年間過ごした後、なんやかんやあって上京するために退職します。なぜ退職したのかは筋トレに関係ないので省きます。消防士を辞めてすぐに上京する予定だったのですが、自分が退職届を出した1ヶ月後に「コロナ」というものが流行り出し、東京のジムが全て閉鎖され、退職した後2ヶ月間実家でニート生活を余儀なくされました。地元の名古屋は開いているジムがあったので、毎日筋トレ、十分な睡眠、そして食事もこだわることができました。ちゃんと炭水化物、タンパク質、脂質のバランスを計算して、筋肉をより効率よく増やす食事をとることができました。そのおかげで脂肪は減っていき、筋肉だけが増えていきだいぶマッチョになります。実家でニートしながらだったので、母親から「仕事もしないと体ばかり大きくなって!!」と怒られたときは俺の人生なんでこうなったんだと絶望しました。お母さんあの時はごめん。そしてコロナが少し落ち着いた6月頃に上京しNSCに入学しようと決めたのですが、上京が遅れたため次の4月までは東京でフリーターをしていました。

 

人生最大の体重と筋量を記録

フリーターも自分の好きなようにシフトが組めたので、毎日しっかり時間を作ってゴールドジムで筋トレをして、一緒にご飯に行く知り合いもいなかったので筋肉のことだけを考えた食事を毎日摂り、睡眠もしっかりとって、4月のNSCに入る頃には脂肪もそんなについていない状態で体重を110キロまで増やしました。これが人生のマックス体重、マックス筋量です。筋トレを始めた頃に比べたら体重がほぼ倍になっています。当時の自分をもう1人分筋肉で作ったと思ったら凄くないですか?凄いというより怖いか。そのような経歴があり、自分はそこそこマッチョになったのです。

以上、ざっと自分の筋トレ人生を文章に起こしたのですが、筋肉をつけるためには何が必要か?それは、「情報」と「環境」の2つです。筋肉をつけるために大切なのはその2つだけでいいのです。正直筋トレを始めた中学から消防士の12年間ってめっちゃ遠回りですし、筋肉的にほぼ意味ないんです。ラスト1年の毎日しっかり正しく筋トレをして、正しい食事を摂って、いいジムに行く。それに尽きるのです。自分はほとんど情報もなく、環境も筋トレをするには悪かったので12年かかってしまいましたが、これを読んでるみなさんは自分の12年間の失敗を知ったわけですから、そこをすっ飛ばすことができるのです。正直ずるいです、いいなぁ、俺の12年を返せよ!!まあ筋トレのモチベーションみたいなものは節目節目で手に入れているので全てが無駄だとは言いませんが、本当に情報と環境さえしっかりあればすぐに筋肉はつくと思います。なのでこれを読んでいて筋肉をつけたい方は、ヨッシーを踏み台に次のステージに進むマリオの如く、自分の失敗を踏み台にして最短距離でマッチョになって欲しいと思います。普通に勿体無いので。また、筋トレしてる方だけではなく、割と何事も情報と環境さえ揃えば最短距離で効率よく物事を進められるんじゃないかなぁと思います。まあ才能があれば1発なんですけど。でも才能に自信がない人も、これさえ知っていれば自分よりは効率よく力をつけることができるはずなので自信持ってください。青木マッチョよりは効率よく生きていけますよ。それとどれだけ紆余曲折しても、年数かかっても、努力し続けたら自分の中の正解には出会えるし、ある程度の成功はできると思うんです。

また、「不良に絡まれたくない」とふと思っただけ、それでも今では「青木マッチョ」という恥ずかしい芸名で活動する羽目になってしまうという、人生の面白さみたいなものも伝わったら嬉しいです。最後に、これを読んだ結果、「別に私の人生に適用できなかった」って思った方へ。すみません。読んでいただきありがとうございました!

Profile
  • 青木マッチョ(かけおち)

    1995年生まれ。愛知県名古屋市出身。

    高校卒業後、地元愛知で消防士として就職した後、2022年にNSC東京27期を卒業しプロデビュー。
    不良に絡まれないように、中学1年生から今にかけて筋トレを続けている。

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