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「部員100人の陸上部で1番遅かった自分が、
部内で2番目の速さになった件について」

How I Became the Second Fastest Out of 100.

2025.08.01

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文・青木マッチョ

 

お疲れ様です。吉本興業所属、芸歴4年目のかけおち・青木マッチョと申します。大それた名前ですみません。あとかけおちってなに?

 

今回は、タイトルにもある通り自分が中学時代に所属していた陸上部での話をさせていただきます。タイトルがラノベ(ライトノベル)みたいになってしまい申し訳ございません。

 

前回のコラムでも書かせていただきましたが、中学の陸上部に入るまで自分はまるでスポーツとは無縁の生活を送っていました。3歳の頃からピアノを習い、同時に絵画と英会話も習わせてもらい、やっているスポーツといえば学校の休み時間に1人で遊んでいた登り棒ぐらいじゃないでしょうか。(悲しすぎるだろ)

 

そんな自分には兄が2人と弟が1人いて、みんな野球をやっていたのですが、それにまるで興味がなく、とにかくスポーツを避けて生活をしていました。今思うと幼少期に体を動かす経験がなかったこともあり、運動神経が極端に悪かったんです。

 

小学生の体育の時間は嫌でしょうがなかったです。かけっこをしたら転び、サッカーをしたらボールを踏んで転び(その際にサッカーボールについた自分の血が気持ち悪くて誰もボールに触れなくなって体育が無くなったこともあった)、極めつけはスポーツテストのソフトボール投げで何度投げても枠内に投げられず、0点を叩き出したりもしました。そんな中、不幸にも「2ちゃんねる」というインターネット上の掲示板に出会ってしまい、自分の運動離れは加速していく一方だったのですが、そんな自分がなぜ中学で陸上部という“ザ・運動部”に所属したのでしょうか。

 

それは確か小学6年生の夏頃に、体育の授業でハードル走があったんです。そこで先生に言われた通りにやってみたら案外上手くいって、褒められたんですよ。運動で怒られてばかりいた自分は本当にそれが嬉しくて、嬉しいを通り越して調子に乗ったんです。「俺ってハードルの天才なのでは!?」と。ネタバレすると天才ではなかったですし、当時の杉山先生はそんなこと覚えてないと思いますが。(自分は苗字もまだ覚えてるというのに!!!)まあ勘違いクソゲボ野郎の自分はその時にはもう中学でハードルをやろうと心で決めていて、そのまま陸上部に入ったわけです。

 

ですが自分の中学の陸上部が、部員100名在籍するいわゆる強豪校で、ある程度足が速い人しかおらず、入部初日の50m走テストみたいなもので見事に部内最下位を叩き出したわけです。

 

中学2年生、ジムにも通いながら陸上に励む青木マッチョさん。

ですがそんな中でも自分は余裕でした。なぜならハードルの天才だと思っていたからです。「ハードルを跳べば褒められる!」という気持ちが自分を甘やかしていました。しかし現実はそんなに甘くなく、すぐハードルを跳ばせてくれると思っていたのですが、気付いたら手に砲丸を持っていました。(なんだよこの重くて臭い球)

 

つまり、顧問の先生的には足が遅くて身長が高いから砲丸投げでもやっとけということです。今思うと砲丸投げの選手に失礼ですね。そのため、なんとか足を速くしないとハードルができなかったわけですが、短距離の練習でも周りとの差がかなりあり悔しかったり、焦ったりしたわけです。そこで自分はまず足を速くしようと決意しました。ここから初めてスポーツの努力をし始めます。

 

とにかく部活の練習は誰よりも真面目に行い、言われたことはメモにとり、それだけでは飽き足らず家に帰ってからは1人で坂道ダッシュ。時には図書館に行って「足を速くするには」的な本を読み漁り、走りのフォームの大事さを学び、部活で教えてもらうことにプラスして走り方の知識をつけ、坂道ダッシュもビデオカメラで撮り、自分のフォームを研究し、部内でも徐々に「足が遅いやつ」から「まあまあ速いやつ」にレベルアップしました。これだけ頑張ってもまあまあ速いやつにしかなれないのかと絶望しながら、さらに速くなるために自分はやってはいけないことをし出します。

 

それは「軽量化」です。急に人体であまり使わないワードを出してすみません。

 

というのも、当時ミニ四駆やラジコンにもハマっており、車体を軽くしたら同じモーターでも速くなると知っていて、それが人間の走りにも適応されると思ったからです。そこからはほぼ絶食の日々で、毎日数えられるような米の量しか食べず、しまいには自然と過食嘔吐症状も出ていました。たまに家族でバイキングに行って、たくさん食べてトイレで吐くということをしていました。極度のダイエットを心配する家族はバイキングでたくさん食べる自分を見て安心もしてくれていましたし、軽くなれば足が速くなると思っていた自分はそれでいいと思っていました。

 

さらに不良に絡まれたくないという一心でジムにも通っていたので(コラム#1参照)、もう無茶苦茶でした。中学時代のジム通いは体を大きくするよりも足を速くしたいという気持ちが強かったので、下半身のトレーニングが中心だったように思われます。

 

そして絶食の効果でみるみる体重が減るのですが、それに合わせて足も遅くなっていって、その時初めて努力が裏切られて本当にムカついてた記憶があります。(こんなに頑張ってるのになんで??)

 

それを部員に相談したところ、「ダイエットやめた方がいいよ」という遅すぎる当たり前のアドバイスを受け、すんなりダイエットをやめてその途端にまた調子を戻していき、どんどん足が速くなっていきました。気付いた頃にはもともと部内最遅だった自分が、部内で2番目に足が速くなっていました。(タイトル回収だ!)

 

でもここまで頑張ったら1番を目指したくなるのが人間の性、いや真の男というものです。さらに努力を重ね、走り込む量も増やしたのですが、1度も、1番速い子には勝てませんでした。その子はもともとサッカーをやっていたらしく、部活に入った陸上未経験の頃から1番速く、ずーっと速かったのです。今思い出しても、絶対自分の方が努力していたし、フォームも正直無茶苦茶で、自分が図書館で調べたフォームとは似ても似つかないものでした。それでもその子にはどうしても勝てなかったのです。

地元・名古屋のハードル大会にも出場。

さらに悔しいことに、冒頭で言っていたハードルですが、なんとか中2の頃からやらせてもらって、ハードルのタイムも割と速くなり、名古屋市で1位になったこともあるんです。ですが、陸上部ならみんなが目指す全国大会に行くには、その県で1位を取るか、基準タイムというそのタイムを出せば問答無用で全国大会に行けるよという化け物みたいなタイムを出すかの2通りだったんです。加えて自分の住んでいた愛知県のハードルのレベルがありえないくらい高い。全国的に見てもその基準タイムというものを超える子が各都道府県に1人いたらすごいくらいだったのに、愛知は10人ほどもいて、自分はその基準タイムを出せず、全国大会に行けませんでした。

 

悔し過ぎて他の県の大会結果を調べると、もちろん基準タイムを出さずに県の1位が全国大会に行くところが多く、愛知じゃなかったら自分も全国に行けたという事実を目の当たりにしてさらに悔しくなったりしました。ちなみにその年の全国大会の決勝8人のうち5人が愛知県でした。(あの時の愛知どうなってるんだ)

 

そんなこともありながら、二度と陸上をやりたくないと思うほど3年間努力して、結果が何も出なかった自分が思うことを発表します。発表とかいうとなんか大ごとですが、そんな大したことじゃないです。ちなみに自分の経験した陸上の話なのでこれが全てではないと思います!

 

思ったのは、どれだけ努力しても結果が出なければ意味がないです。残るのは悔しさだけ。そして才能がないと色々と厳しいです。努力に努力を重ねましたが、それを知っている人もおらず別に褒められなかったですし、ある程度すごくなってもそれより上がいたら霞みます。部内で1番足が速かった子は明らかに才能に溢れていました。これは関係ないですけど可愛い彼女もいた。自分みたいな凡人以下がどれだけ努力しても才能ある奴には勝てません。なので、才能ある人に勝とうと思わない方がいいんです。勝てないです。絶対無理。圧倒的無力なんです。

 

  • バラエティー番組『ラヴィット』でTBS名物“心臓破りの坂”を、全力で駆け上がる青木マッチョさん。

  • バラエティー番組『ラヴィット』でTBS名物“心臓破りの坂”を、全力で駆け上がる青木マッチョさん。

でも、それは当時の話で、今はその時頑張って走った坂道ダッシュでテレビに出られたり(まあそれも奇跡なんですけど)、高校でやったラグビーでも足の速さは活きました。また、努力の仕方とかも学べました。

 

だから、才能ある奴には絶対勝てないけど、自分自身を客観的に見たときにかなり成長できたというのは事実だし、頑張る力みたいなのがつきました。人間生きているうちは頑張らないといけないし、努力しないといけない場面もあります。1番になれなくてもいい、というかよっぽど才能がないとなれないんです。1番になれないのを分かっていながら、周りに迷惑をかけないように、自分が納得できるように頑張るしかないんです。その分野で1位のやつと戦うんじゃなくて、今日の自分と戦って勝つんです。自分以外を見たらメンタルやられるんで。それが「努力」というものなんだと思っています。だから周りを見るのはやめましょう。

 

でも、自分は自分の中で成長し続けたいので、そんな努力を死ぬまで続けられるような人間になりたいです。努力し続けられる人生を歩みたいと思います。1位にはなれないですけど、うん、それでいいです。自分が成長できればいいです。…合ってますよね?成長できるならしたいのが普通ですよね??そういうことです。

 

と、そんなことを言っていますが、当時の自分は中学生活が終わる頃には完全燃焼してしまい、二度と努力したくないし、スポーツなんてものは一生やらないと胸に誓ったわけですが、高校に入ってすぐラグビー部で死ぬほど努力しないといけなくなってしまったのはまた次回のお話…。

Profile
  • 青木マッチョ(かけおち)

    1995年生まれ。愛知県名古屋市出身。

    高校卒業後、地元愛知で消防士として就職した後、2022年にNSC東京27期を卒業しプロデビュー。
    不良に絡まれないように、中学1年生から今にかけて筋トレを続けている。

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