文・青木マッチョ
お疲れ様です。
かけおちの青木マッチョと申します。まだまだマッチョと呼ぶには早い気がしますが、生意気にもそう名乗らせていただいてます。すみません。
毎回言っている「まだまだマッチョじゃないですよ」っていうのは本気でそう思っていて、調べてみると「醜形恐怖症」という疾患らしいですね。“実際にはそうではないにも関わらず、自分は『マッチョではない」と強く思い込む状態”とあるのですが、自分すぎるだろ。
でも、そのおかげで18年間も筋トレを続けて、今こうやって「青木マッチョ」と名乗って活動させていただいてるので良かったかもしれませんね。何事もポジティブに考えていきましょう。
話が逸れましたが、タイトルにある通り自分は高校に入学するまで団体スポーツを全く経験したことない状態でラグビーを始めました。完全なる未経験でしたし、なんなら高校に入った時点では「きつい運動はやりたくないし、軽音部に入って緩く甘い青春を過ごしたい」と強く思っていたのに。これだけ聞くと家族を人質に取られて入部届を書かされたとしか思えませんが、なんとそういうことではないのです。
あれは入学式の日でした。
制服はいわゆる学ランで、中学時代も同じだったのでそんなに新鮮味を感じないなと思いながらも、それでも「中学の頃の自分とはおさらばして、高校は青春を楽しもう」と思っていました。希望と緊張でいっぱいになりながら入学説明会を体育館で受けて外に出ると、なんと出口から校門までたくさんの上級生たちで花道ができていたのです。それが何かなと様子を見ていると部活の勧誘でした。上級生たちが入学したばかりの新入生たちにチラシを配り、必死に勧誘活動をしていたのです。
もちろんその時は軽音部に入ることしか考えていませんでしたから(#2 参照)、軽音部以外のチラシは見て見ぬふりをしながら通り過ぎ、軽音部のチラシを無事にゲットして校門に向いました。この時ばかりは駅前のティッシュ配りをいかに自然に避けるかを考えて歩いていた経験が大変役に立ちました。すると、花道の最後に立っているガタイがよく他の部活よりも声がデカい集団が校門付近に待ち構えていました。
そうです。「ラグビー部」です。
当たり前のように避けて通り過ぎようと思ったのですが、その集団から見たことのない楕円型のボールが自分に投げられたのです。今思えばそのボールをはたき落としていれば自分の人生は180°変わっていたと思うので、その瞬間は人生のターニングポイントだったと思います。
自分はその投げられたボールを反射的にキャッチしました。その瞬間、ラグビー部は大盛り上がり。「うおおおお!」という聞いたことのないバカデカい歓声、バチバチと鳴り響く拍手。真横で打ち上げ花火でも上がったのかと思いました。
直後にラグビー部たちが「1発でキャッチした!!!」「すげえ!!!」そして、「天才だ!!!!!!!!!!」と口々に叫ぶのです。
驚きました。思い返せば、ただボールを取っただけで大したことは全くしていないのですが、そんなに褒められずに生きてきた自分は、一瞬で気持ちよくなってしまい、「え、マジすか」とまんざらでもない返事をしていました。モテてこなかった子が大学の飲みサークルとかでもてはやされておかしくなってしまうのと、たぶん同じ現象なんじゃないでしょうか。知らないですけど。
中学卒業時には「軽音部に入ってヌルい学生生活を過ごしたい」と思っていた気持ちが、ここで完全になくなったのを今でも覚えています。我ながら気持ちが弱すぎる。そのままラグビー部のチラシを意気揚々と受け取り帰路に着いたのですが、帰り道も「俺ってもしかして天才なのか?」と調子こいてました。
そして、次の日には体験入部に向かい、そこでもあり得ないぐらい褒め倒されるのです。今思ってもあんなに褒められたのはあの期間だけだったなぁ。
実際、筋トレをしていてガタイがよく、身長も高めで、中学の陸上部でそこそこ足も速かった自分は、その体験入部でも割と活躍したのです。体験入部が終わるころには気分は『アイシールド21』のセナになったつもりでした。「俺はラグビーをやるために生まれてきたんだ」と本気で思っていて、妄想が過ぎまして、なんやかんやラグビーの活躍があって堀北真希と付き合うぐらいには話が進んでました。捗りすぎだろ。そして自分は自信満々で入部届を提出するのですが、これが地獄の始まりだったのです…
無事にラグビー部へ入部し、ワクワクしながら初日を迎えた天才青木少年は衝撃を受けます。いざ練習が始まると体験入部までは神様のように優しかった先輩たちからの罵声がグラウンドには鳴り響き、さらに体験入部でやらなかったタックル練習が、とにかく痛すぎるしキツすぎました。
先輩に怒られることも、痛いことも慣れてない自分にとって、めちゃくちゃしんどい思いでしたが、入部した未経験の同級生たちも同じ気持ちだったようで、みんなで励まし合いながらなんとか頑張りました。立っている状態では普通にできたボールのパスやキャッチも実戦では全く通用せず、実際はそれを全速力で走りながら行うのですが、難易度が全く違うのです。球技をやったことない自分は普通にセンスがなく、パスが全く出来ませんでした。パスをミスしたりボールを落としたりした瞬間に先輩たちからの罵声。その度に「あれ?俺ってセナじゃなかったっけ?どうやってここから堀北真希と付き合うの?」パスなどの不器用さに加えて、今まで陸上しかスポーツをしてこなかった自分からすると団体スポーツもめちゃくちゃ難しかったです。
試合中はどんな状況になるかわからず、ボールも楕円形でどこに転がるかわからない。そんな状況で必要不可欠な「臨機応変さ」が自分に一切備わっていなかったのです。とにかく全てが難しすぎる、センスがなさすぎる。先輩たちにも怒られまくって自信という自信が全てなくなってしまいました。それなのに部員が少なく試合は常にスタメン。試合中は練習よりもっと怒られる。今思っても割と地獄でした。ルールも全然覚えられず、ゲームメイクも動き方もよく分からないまま出る試合ほど怖いものはありません。毎日が緊張と恐怖の連続でした。
ですがそんな中、顧問の先生が「青木はガタイもいいし足も速い。技術がつけばとんでもない選手になる。大器晩成型の選手だ」と励ましてくれていたので、なんとか頑張ることができました。
そんな中、とある試合で事件が起きるのです。
ある試合で、自分は「ウイング」というポジションを任されていました。そのポジションは相手チームが高く蹴り上げたボール、野球で言うところの「フライ」がよく来るポジションだったのですが、試合開始1発目のボールが自分のところに飛んできて、球技センスのない自分はそのボールを余裕で落とします。ラグビーでボールを前に落とすと「ノッコン」という反則になり、落とした場所から相手のボールになって一気にピンチになるのです。
それで開始早々自分のせいでピンチを迎えたチームは、そのまま点を取られます。
そしてまた試合が再開し、ボールが自分のところに飛んできて落とす。ピンチ。点を取られる。「あれ?これ俺が狙われてる?」と思っていたらその通りでした。相手チームの顧問から「あいつにキックしろ」とガッツリ聞こえてきます。そこからは地獄でした。自分にキックが飛んできて落とす。点を取られるの繰り返しだったのです。なんとその試合の1時間、自分は1回もボールをキャッチすることができず、全て自分のせいで点を取られて大差で負けてしまいました。
試合が終わって先輩たちからはもちろん怒られ、同級生の中でも気まずい空気が流れる中、自分に大器晩成だと励ましてくれた顧問が口を開きます。「青木お前朝練しろ」と。当時既に朝7:00から8:00までみんなで朝練していたので意味が分からなかったのですが、顧問曰く、みんなで朝練をする更に前の時間から1人でキャッチの練習をしろとのことでした。
言っていませんでしたが、当時自分は20万する電子ドラムを借金して買っていたため、その返済のために新聞配達をしていました。朝3:30に起きて配達をして、5:00に帰ってきて、その日の授業の予習をして、学校に向かい7:00から朝練をして、授業、部活、帰って授業の復習をして寝る、という生活を送っていて既に限界でした。ですが、その日から新聞配達が終わった足でそのまま学校に向かい、6:00から7:00まで1人でボールを蹴り上げてキャッチする自主練習を行い、7:00からみんなと合流して朝練をするという生活になりました。これも今思うと、ボールを蹴るのも下手だったので高い球を蹴られず、割と意味のないことをしていたと思います。
そんなことをしているもんだから月に1回は体調を崩し学校を休むようになり、武器であったガタイの良さも徐々に薄れていき、新聞配達もやめて、当時3歳から続けていたピアノの習い事もやめました。下手なくせにラグビー一色みたいな生活になりました。勉強も捗らず、成績も落ちていきました。
普通だったら余裕で退部するルートに入っているのですが、自分は部活のキツさよりも退部届を出すことや、辞めた後の他の部員との気まずさの方が嫌で、辞めませんでした。それとあまり触れていませんでしたが、同級生の部員は面白い人やいい人が多くて、部活はしんど過ぎましたが部活が終わって先輩たちが帰った後に話したり遊んだりする時間がめちゃくちゃ楽しくて、めちゃくちゃ笑えたのです。それもあったり、やはりキツすぎる部活を同じように乗り越えてきたという絆が芽生え始め、なんやかんやで3年間やり続けることができました。
この3年間で、ラグビー部は体が大きければ大きい方がいいということもあり、フードファイトに目覚めたり、筋トレも中学の頃は区民センターでマシンのみでしたが、ベンチプレスやスクワットなどのフリーウェイトを行ったりして、身体はより大きくなりました。今思うとラグビーのおかげで「身体を大きくする」ということに執着できたのかなと思います。最終的には3年生の最後の大会で自分は膝の靭帯をぶち切り、ここまで耐えてきたのに最後はマネージャーとして活動するという大器晩成もクソもない結末を迎えたのですが、この高校3年間でいろんなことを学ぶことができました。
まずは、「無理なもんは無理」ということ。
今思うと、本当に球技が向いてなかったんだろうなと思います。別に努力を怠ったわけではありません。
本気でラグビーに向き合って本気で毎日力を出し切って努力しました。それは間違いありません。それでも上手くはなりませんでした。中学の陸上部では、部内で2番目に足が速くなれた自分も、ラグビーでは部内で最下位を争うほど下手なままでした。「努力すればある程度よくなる」と思っていたのはその努力する対象によるもので、本当に無理なものは無理なんだなと。
でもこれは高校3年間ラグビーを努力し切ったから分かったことで、いいことなのか分かりませんが、見切りをつけることができるようになりました。「あ、これは無理なやつだな」と思ったら次にいく。そのおかげで完全に無駄とは言いませんが、“ほぼ”無駄なことに時間を割かずより成長できるものに時間を使うことができるようになりました。これは忙しい現代社会では割と必要なことではないのかなと思います。もちろんその「無理だ」と見切るセンスは必要ですけどね。
ラグビーのおかげでいい仲間に巡り会えたし、芸人でもラグビーをやっていた人は多いです。でもまだまだマイナースポーツということもあり貴重な人間ということに加えて、「あんなキツいスポーツを乗り越えた」という共通意識で一気に距離が縮まります。しかもなんとなくですが、ラグビーをやっていた人は競技人口の割に面白くて優しい人が多い気がします。そんな人たちに出会えただけでもものすごくいい成果を得てるなと思います。だからなんとか自分は、地獄の高校3年間を肯定することができました。もちろん軽音部に入ったらまたいろんな経験ができていたんだろうなと思いますが、ラグビーという慣れないスポーツをやってみて良かったなと心から思います。挑戦することはいいことなんですよ。自分はたまたまそれを高校で経験できましたが、年齢は関係ないと思うのでまずはやってみましょう!
そんなことを思いながら、当時高校3年生の頃の自分は4月の校門近くで声高らかに叫ぶのです。
「天才だ!!!!!!!!!!」
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青木マッチョ(かけおち)
1995年生まれ。愛知県名古屋市出身。
高校卒業後、地元愛知で消防士として就職した後、2022年にNSC東京27期を卒業しプロデビュー。
不良に絡まれないように、中学1年生から今にかけて筋トレを続けている。
「クリスタルジム」
お笑い芸人でМ-1王者、R-1王者のマヂカルラブリー・野田クリスタル発案の「クリスタルジム」。吉本のマッチョ芸人たちがトレーナーとして、わかりやすく、そして面白くトレーニングを指導します。初心者から上級者まで、それぞれのレベルに応じたトレーニングメニューを提供。個性豊かな芸人が揃っているので、自分に合ったトレーナーがきっと見つかります!クリスタルジムで一緒に楽しく、トレーニングを。
住所: 新宿区西新宿8-13-2 星野ビル2階
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