#3

CONVERSATION

YASUNORI NAKADAKE
(magnif / OWNER)

CONVERSATION#3YASUNORI NAKADAKE

CONVERSATION

#3

YASUNORI 
NAKADAKE

(magnif / OWNER)

写真 ・ 聞き手 = luka / 琉花(写真家/モデル)

〈ビームス ボーイ〉のモノづくりの背景にはいろんなことがあります。
プレッピーだったり、ユニフォームだったり、ワークウェアに古着。
そんな背景を今気になる人と話すことで深掘りしていく連載企画。
第三回目のテーマは 〈ビームス ボーイ〉の服作りにも多大な影響を
与えてくれるファッション誌の“アーカイブ”について。
ゲストはファッション雑誌を専門に取り扱う神保町の古本屋「マグニフ」の
中武康法さん。聞き手は〈ビームス ボーイ〉のシーズンルックを
手がけたフォトグラファーのlukaさん。2人が語ったアーカイブとは?

〈ビームス ボーイ〉のモノづくりの背景にはいろんなことがあります。
プレッピーだったり、ユニフォームだったり、ワークウェアに古着。
そんな背景を今気になる人と話すことで深掘りしていく連載企画。
第三回目のテーマは 〈ビームス ボーイ〉の服作りにも多大な影響を
与えてくれるファッション誌の“アーカイブ”について。
ゲストはファッション雑誌を専門に取り扱う神保町の古本屋「マグニフ」の
中武康法さん。聞き手は〈ビームス ボーイ〉のシーズンルックを
手がけたフォトグラファーのlukaさん。2人が語ったアーカイブとは?

CONVERSATION #3
YASUNORI NAKADAKE

遠く離れた時代にタイムスリップできる。
そこがファッション雑誌の面白さ

琉花さん(以下、琉花) : 「マグニフ」さんは始めてからどのぐらいになられるんですか?

中武さん(以下、中武) : 2009年オープンなんで、ちょうど15周年ですね。

琉花 : それまでは何をされていたのですか?

中武 : この辺(神保町)の大学に通っていて、その近くでアルバイトを始めようと思って古本屋で働き始めたみたいな。だから古本にしてもファッションにしても元々すごく信念があったわけではなくて。

琉花 : 大学では何を専攻されていたのでしょうか?

中武 : 英米文学科です。

琉花 : では今されていらっしゃることとも近いですね。

中武 : そうですね。けど大学ではそんなに熱心に勉強はしていなかったかな。もともと九州、宮崎出身で、田舎者ならではで東京にすごい憧れがあって。大学生になったら絶対に東京に出ると決めていたんです。結構、子供の頃からバンド音楽とか古いものはすごく好きだったんですよ。小学生のときにビートルズにすごいハマって、そこから60年代の音楽だったり映画だったりとかいろいろ見てというのがあって。大学にいったら自由にバンドとかやりたいなと思っていて。大学はちゃんと卒業したけど、本当にバンド三昧というか、そんな感じでした。

琉花 : 意外です。バンドをやりながら神保町で働いていたということに......?

中武 : そうですね、古本屋で働いて。働いていた古本屋は、小説とかばかりじゃなくわりとカルチャー寄りの、それこそ映画とか音楽とかそういうものを扱っているような本屋だったので、結構深められたようなことはありましたね。

琉花 : では、卒業後に自然にそちらの道へ……?

中武 : 就職しようかな、したほうが良いかなとか思ったりはしたんですけど、バンドにしても古本屋にしても面白かったので。

琉花 : バイトからそのままいきなり自分でお店を始めたってことですか!

中武 : バイト時代も長くて、だいたい店のことはほとんど任されていたので。じゃあ自分でやったほうが早いというか、できるんじゃないかなと思って。

琉花 : 買い付けとかもされていたのですか?

中武 : バイト時代から、買取の対応もやらせてもらっていましたね。神保町って本当に有名な古本の街なので、ありがたいことに買取のご相談は黙っててもお声がかかる感じです。あとは古書組合というものがあり、そこでセリのような事をして仕入れることもありました。

琉花 : セリがあるとは! 知らなかったです。

中武 : ありますよ。神保町だと、駿河台下の交差点からちょっと行ったところに組合の事務所があって、そこでセリが行われています。店をやっていると、自分の店のジャンル外のものが入ってきたり、または同じものがダブったりして余計な在庫を抱えることがあります。そういったものをセリに出して、それを必要な他の店が入札・購入していくという仕組みです。だから「交換会」と呼ばれたりしますね。神田の市場はすごく大きいので、そこに仕入れをしに全国から人が集まるほどです。って、ここまで言ってなんですが、独立してからは組合に入っていないので、私は参加できていないのですが。

琉花 : (笑)。じゃあ中武さんは独自ルートで仕入れを?

中武 : そんな特別なコネがあるわけではないですけどね。とりあえず、ネットや少ない知人関係からなんとか商材を集めて店をオープンしたわけですが、この異質な外観からか開店した次の日には雑誌の取材をいただいたりして、そこからすぐに全国からお問い合わせをいただくようになりました。当時はファッション雑誌をいくらか扱っているお店はあっても、「専門」という目線でうたっているところは無かったので、きっとインパクトがあったのだと思います。

琉花 : そもそもなんでファッション雑誌を専門にやろうと思われたのですか?

中武 : たとえば音楽雑誌も映画雑誌も、自分がとても好きな分野ではあるのですが、雑誌からは音楽は聴こえてこないし、映像が見えるわけではありません。しかしファッションについては、雑誌を通してそれを知ることそのものが、ファッションを楽しむ大きな要素だと思うのです。たとえば、私は〈コム デ ギャルソン〉というブランドが好きですが、自分でどれだけ袖を通したことがあるかというと、たいした経験値はありません。そもそもレディスが着れるわけでもないですから。それでも、雑誌を通してコレクションをみたり、川久保さんのインタビューを読んだり、趣向を凝らしたヴィジュアルを見たり、また誰かの批評やその時代背景を知ったりすることで、実際に自分で服を着ていなくても、そのブランドを楽しんだ気になれるのです。雑誌は着ることはできませんが、そのファッションを理解するための重要なツールだと思います。そして、それがさらに、遠く離れた時代のものだったりすると、読んでいてまるでタイムスリップするような快感もあります。そこがファッション雑誌の面白さだと思います。

琉花 : 一番好きなファッション誌は何かありますか?

中武 :  1980年代の『流行通信』ですね。まだ自分のお店をやる前でしたが、結構鮮烈に覚えているのが、表紙がうしろ姿の女性の写真ですごくカッコよくて、誌面を捲っていっても全部うしろ姿みたいな、そういうテーマでやっている号で。写真のビジュアルもカッコいいし、中面の2色刷りのコラムページもすごくカッコよかった。クレジットを見たらアートディレクターに“横尾忠則”って書いあって、「あっ!」と。ファッションはそんなに詳しくないけど、雑誌として、物としてカッコいいなって感激したのが最初です。

琉花 : 『流行通信』!

中武 :  1980年代のほんの1年ぐらいだけなんですけど、横尾さんが『流行通信』のアートディレクターをやっていたんです。結構『流行通信』って、年ごとじゃないですけど、わりとちょこちょことアートディレクターを変えて誌面を変えていってというところがあって。横尾さんのところだけじゃなくて、どの年代もカッコいいんですが、雑誌の内容以外の部分とか、そういうところにも惹かれてましたね。琉花さんは昔のファッション誌とか、雑誌を購入することはありますか?

琉花 : あります。それこそ私、2か月ぐらい前に「マグニフ」さんで購入させていただきました。

中武 : ありがとうございます!

琉花 : 私の父はカメラマンで、もう亡くなってしまったんですが。たまたま神保町に来たので、父の写真が載っているものが何かないかなと思って探していて。『フリー&イージー』の何の特集だったのかな? LA特集みたいな号で。

中武 : それを琉花さんのお父さんが撮っていたんですね!

琉花 : そうなんです。「あった!」と思って、購入しました。家に飾っています。

中武 : それってわりと初期のものじゃないですかね、サーファー特集みたいな。

琉花 : すごい! 覚えてらっしゃるんですね。

中武 : 記憶力は全然ないんですけど、データにしているんで。(笑)

琉花 : 当たり前かもしれませんが、こういう雑誌の中身にもそれぞれ目は通して、お店に出しているってことですよね。

中武 : そうですね。表紙や巻頭特集以外の部分にも、当然重要なページがいっぱいありますからね。ちょっとした記事の中に、時代の大きな転機を感じることもあります。当店のセオリーとして、「今カッコいいものだけでなく、そうでないものも同様にならべる」というものがあります。開業したての頃は、まだ80年代のものってダサいイメージがありましたし、その頃の雑誌も売れ残っていました。しかし少し経って一周まわってきた感があって、『メンズクラブ』のプレッピー特集などの問い合わせが増え、永井博さんや鈴木英人さんのイラストを探しているお客さんも出てきました。そしていつの間にかパステルカラーの服やシティポップが巷を賑わし、当店の80年代の雑誌も飛ぶように売れるようになったのです。その一連の変化は、その時流行っているものだけ置いていたのでは、絶対に気づけないことでした。そうした流行の変化を直に認識できるのも、幅広い年代のファッション雑誌をまとめて陳列することの意義だと思っています。

1964年に『メンズクラブ』が取り上げた
女性のアイビー特集

琉花 : 〈ビームス ボーイ〉は男の子の服を着る女の子をテーマにスタートしているんですけど、そういう女の子のスタイルをいち早く取り上げていた雑誌ってパッと思い浮かびますか?

中武 : 歴史的にこの辺が最初だというのは調べきれてないですけど、自分の店の中で思いつくといったら『メンズクラブ』ですね。これは1964年なので、まだ『MCシスター』も出る前。『MCシスター』は1966年かな。この『メンズクラブ』の誌面で女性のアイビーの特集というのがあって。

琉花 : 『メンズクラブ』の誌面の中でですか?

中武 : はい。『メンズクラブ』の中で、ウィメンズクラブという感じの特集で。

MEN'S CLUB / 1964年11月号

日本でアイビールック真っ盛りの頃の『メンズクラブ』。「WOMEN'S CLUB」という特集で、アイビーを身にまとう女性たちを特集。本場アメリカの「セブンシスターズ」の話から、銀座のみゆき族に混じる女性のスナップ写真まで掲載。ここで述べられているのは主にお洒落としてのアイビーではありますが、50~60年代にアメリカの名門大学の多くが共学になったり、〈ブルックス ブラザーズ〉にてウィメンズ向け商品が生まれていった背景は、女性の地位向上という歴史的な意味合いがあると思います。

琉花 : 本当だ! タイトルが面白い!

中武 : そうなんですよ。

琉花 : 『ブルーノート』のジャケットみたいですね。

中武 : カッコいいですよね。「アイビーは男だけのためのものか?」みたいな感じで。「ものか?」という、ちょっと議論形で訴えてる。ただ本当に当時その頃、いわゆる“みゆき族”が流行って、銀座の街角をアイビーファッションみたいな格好をした男がたくさん並んでる中で、女性もそういう格好をしていたんですね。それこそスナップもちょっとあったり。

琉花 : スナップを撮られるということは当時からいたってことですもんね。

中武 : アイビーかどうかはちょっとなんともですけど、それ風のメンズスタイルに落とし込んだ女性も当時いたんです。要はその起源というか、アイビーシスターと呼ばれるアメリカの名門大学の女子スタイルみたいなのを紹介しつつみたいな感じですね。また当時の若い女性たちの、「女性にとってアイビーはどうですか?」みたいな話があったりとか。

琉花 : すごい。思ったより完成した特集なんですね。

中武 : そうですよね。多分アイビーに限っていえば、この特集が最初じゃないかと思います。

琉花 : 女性誌で取り上げられるというよりは、男性誌の誌面からスタートしていたんですね。

中武 : これはそうですね。ただ大学生のスタイルという意味でというか、要は女性が大学に通うということではまだ早いというか。アメリカでもハーバード大学みたいな名門校も男子だけだったのが、これぐらいの年代になってくると共学になっていった頃のことです。あとは〈ブルックスブラザーズ〉とかもウィメンズの取り扱いがなかったのがちょっとずつ出てきたりとか。そういう流れというのを踏まえると、このアイビースタイルを女性がするというのは男女同権の象徴的なものというか。だから単なる見かけだけじゃなくて、そういう歴史もあるのかなと思って。男物を着る意味とかなんとかを考えたときにこのアイビースタイルを女性がするというのは、重要なポイントなのかなとか思います。

琉花 : これは貴重な号ですね。見ていると、昔の方が雑誌それぞれにカラーがあると思うんですが。

mc Sister / 2001年5月号

『メンズクラブ』の妹版であるこちらの雑誌は、単なる商品カタログになることをよしとせず、1966年の創刊から常にアメリカ(時にヨーロッパ)のファッションカルチャーを紹介しながら、それをベースにした着こなしを提案してきました。〈ビームス ボーイ〉はまだスタートして間もない頃ですが、そんな“シスター”に相応しいブランドであり、当時は連載のようなかたちで毎号紹介されていました。

中武 : 例えば『MCシスター』の「MC」は『メンズクラブ』の意味であり、要はメンクラの妹版ってことなんですが、やはりそのテーマも共通しています。アイビーやアメトラといったブレない軸があり、いつもそのカルチャーを大事にしていますよね。個人的に好きなのは80年代前後あたりのフィフティーズブームの頃でしょうか。〈クリームソーダ〉みたいなロックンロールなブランドの服を女の子モデルがカッコよく着こなしていたり、眞鍋立彦さん、中山泰さんなどの“旧き良きアメリカ”のスペシャリストたちが誌面をデザインしていたりして、本当に素晴らしいです。この雑誌は単なるカタログ的なものに陥ることなく、そのファッションの背景や着こなしなんかが全面に出ている感じがします。カルチャー色が強い女性誌だと、やはり『オリーブ』を思い出しますが、外国人モデルを起用して幻想的なファッションページを構築しているそれに比べて、『MCシスター』は日本人の専属モデルを使って、あくまで読者のコーディネイトに寄り添っていたのが魅力です。とはいっても、村上里佳子さんみたいにカッコよく着こなせといわれても無理ですが。(笑)

琉花 : なるほど。昔の着こなしとかを見たいと思ったら、カルチャー系だったら昔の『MCシスター』がいいんですね?

中武 : 『MCシスター』はすごくおすすめです。ただあんまりでまわらないんですよ、みんな手放さないのか。あとはもちろん『オリーブ』もおすすめで、これは『オリーブ』の一番最初、創刊前のパイロット版みたいな号です。『ポパイ』の増刊として売られていたんですが、リセエンヌとかいう前の、要は『ポパイ』の女の子版みたいなノリで、アメカジを女性が着るみたいな、そういう誌面になっています。

Olive / POPEYE増刊 1981.11.5 号

この伝説的女性誌がはじめに宣言した事は、「男たちのいいモノは自分たちのモノにしてもいいんじゃない」という、まさに〈ビームス ボーイ〉的なマインドでした。性別などの既成概念への疑問や、巷の流行に対する反発など、雑誌の魂がこもったメッセージとそれを具現化したようなコーディネートが満載です。

『オリーブ』や『ポパイ』は、
当時を知らない若い世代も買っていく

琉花 : それは何年ですか?

中武 : 1981年ですね。なんで男物を着るかというと、既成概念への反抗みたいなのも結構強いのかもしれないです。反・流行というか、今のファッションはつまらないから『オリーブ』はこういうスタイルです、みたいな感じで。基本は男性物をドレスダウンみたいな感じでいろいろ書いてあるんですけど、この『オリーブ』の一番最初の文章を書いたのが、最近改めて読んで気づいたんですが〈ミルク〉の大川ひとみさんで。だからすごい筋金入りだなというか。特集は本当にアメカジを着る女子で、スタイリングは『ポパイ』でずっと活躍されていた、元祖スタイリストの北村勝彦さん。

琉花 : 男性がやっていたんですね!

中武 : そうなんです。『ポパイ』の創刊から活躍されていたスタイリストです。メンズをちょっと大きめに着てみるみたいな感じで。

琉花 : 本当だ、「男の服は」とか書いてありますね

中武 : ブレザーにダウンジャケットを着るのが『オリーブ』スピリットみたいな感じで。

琉花 : 昔の雑誌ってなんでも言い切っているのが良いですよね。「これが俺たちだ!」「私たちだ!」みたいな。

中武 : 曖昧に濁さないですよね。これはドレスダウンをするためのアイテムとしてメンズが使われてるというか。

琉花 : ドレスダウンするためにメンズを使う。

中武 : はい。でも普通にスタイリングがカッコいいんですよ。

琉花 : これも当時のメンズ服で、スタイリングされているんですか?

中武 : そういうテーマでこれはやってますよね。選んでいるアイテムも、アウトドアやユニフォーム的な固定観念の強いものをあえて選んでいると思います。

琉花 : かわいいです。

中武 : 『オリーブ』は、伝説のように讃えられている雑誌ですが、本当に何度読んでも面白いですよね。

琉花 : この当時はメンズっぽくしたいなら、メンズを着るしかなかったってことですか?

中武 : そういうわけでもなかったとは思うんですけどね。『オリーブ』は、見かけのファッションだけでなく、男性に媚びないとかの精神性も大事にしていた雑誌ですので、女性のためにあつらえた服を着るというよりはメンズそのものを着こなすことに意味があるのだと思います。

琉花 : 次のは何年の『オリーブ』ですか?

中武 : 1987年です。

Olive / 第114号(1987年)

「男の子シリーズ」と銘打った、男の子のおしゃれ研究号。かつての同様の特集では「男性社会への反発」が見え隠れしていましたが、この80年代後半になると、単純に「男の子のお洒落だって可愛いかも」みたいな視点に変わってきていて面白いです。ちなみに、街のお洒落な男の子を集めたスナップ特集では、フリッパーズギター前の小山田圭吾さんが掲載されていたりします。

琉花 : スタイリング、すごい思い切ってますね。

中武 : アメカジとか渋カジとかの時代のちょっと前くらいでしょうか。まだまだDCブランドが流行っていて「男の子のブランド」の特集があります。その一方で「男の子のおしゃれの原点研究」といってアメリカ製のTシャツやジーンズにもページを割いています。“男物を着る”といっても、時代によって変化があるみたいですね。

琉花 : ちなみに〈ビームス ボーイ〉ができた1998年はどういう感じだったんですか?

中武 : いわゆる“ストリート系ファッション”が確立されたような頃ですよね。90年代初頭のアメカジを深化・細分化させたようなヴィンテージジーンズやスニーカーの大流行。そしていわゆる裏原宿ブランドの勃興。また英国のパンクや米国のスケーター、ヒップホップスタイルなど、世界のあらゆる若者文化が東京でごちゃまぜになりました。女性においても、いわゆる「ガーリームーブメント」といわれる動きがありました。欧米において、いわゆるZINEなどを作って自己主張する女性たちが出てきたり、キム・ゴードンやソフィア・コッポラなど、音楽やファッション、映画などの分野で女性たちの活躍が目立ってきました。そして日本のサブカルチャー界隈でも、音楽ではボアダムスのヨシミさんがアイコン的な存在になり、写真ではヒロミックスさんなどのガーリーフォトの台頭がありましたね。

琉花 : 長島有里枝さんとか。

中武 : そうですね。あとファッション雑誌でいうと『フルーツ』が1997年に創刊して、その前後から色んなファッション誌で原宿のファッションスナップがとりあげられました。インディーズブランドや古着、そして手作りのアクセサリーなんかもミックスして、みんなすごく個性的なファッションをして、スナップに撮られるために原宿の「GAP」前なんかに集まっていたかと思います。いわゆる“コギャル”もその頃だし、インパクトのある“ガングロ”“ルーズソックス”が象徴する女子高生ブームもありました。歌謡曲の分野でも、浜崎あゆみさんなどが「自分らしく」みたいな歌詞をいっぱい歌ってましたよね。つまりは、みんなが全力で自己主張していた時代だったのではと思います。

琉花 : みんなが自己主張というとすごい生きづらい感じもしますが。(笑) それは90年代の『オリーブ』ですか?

Olive / 第55号(1984年)

「男の子ブランドの服、着たい!」という特集。〈パーソンズ〉など、当時ブームのDCブランドのアイテムをメインに、男物を用いたコーディネートがいっぱい。西野英子さんや堀越絹衣さんらによる独創的なスタイリングは、ページをめくる度にうっとりしてしまいます。

中武 : これは1984年のですね。特集が「男の子ブランドの服、着たい!」。

琉花 : 表紙がすごい。

中武 : かっこいいですよね。

琉花 : 「いつもと違うね、素敵だね、郁弥くん」。チェッカーズの時代なんですか?

中武 : そうですね。けど本当にリセエンヌのスタイルはこの頃の『オリーブ』が一番かっこいいです。メンズを着るというのは割と繰り返し出てくるテーマになっているんですけど、この辺が一番。

琉花 : 今見てもお洒落だし、かわいい。

中武 : この頃の『オリーブ』は、当時をまったく知らない若い世代もうちの店に来てみたら「うわ、すごい」って買っていきますね。

琉花 : ここにあるものは全部お店で売ってるんですか?

中武 : これは家から持ってきたんです。(笑) 『オリーブ』は本当に今なくて。

琉花 : 結構自宅にも雑誌をコレクションしているんですか?

中武 : 重要だなというものはいくつか家にとっておいてありますね。

雑誌の“雑”の部分にこそ、
雑誌の良さがあると思う

琉花 : 以前お店に伺ったとき、確かに若いお客さんが多くてびっくりしました。そういうお客さんたちに特に人気の雑誌ってなんですか?

中武 : 今は『ポパイ』の人気がやっぱりすごいですね。うちはもう枯渇してるんですけど。『ポパイ』は日本人だけじゃなくて海外の人もすごい買っていきますね。これは『アンアン』で、またちょっと違うんですけど。

anan / 115号(1975年)

「メンズアンアン」という不定期連載が載った最初の号。 “『アンアン』のスタイリストが提案する男のファッション”という内容ですが、〈リーバイス〉の“501”や〈リー〉のオーバーオールなど、その後の日本のアメカジスタイルを象徴するようなアイテムが紹介されています。あの伝説の『メイドインUSAカタログ』と同時期で、『ポパイ』創刊よりも一年以上早いという事を考えると、その先見の明と共に、この女性誌の感度の高さがわかります。

琉花 : かわいい。

中武 : これは『アンアン』の1975年のものです。今では男性タレントの特集とか美容の話とかが中心の雑誌だけれど、90年代頃までは結構とんがった内容のファッション雑誌でした。この号は当時の原宿のお店がいっぱい載ってたりして人気の号なんですが、巻末あたりに「メンズアンアン」という特集があります。この後も不定期連載みたいな感じで続いていくのですが、これが恐らく最初かと。要は『アンアン』が考える男物みたいなものを紹介するページなんですが。

琉花 : 女性が考える男性のファッション、「女の子が選んだ男の子ものカタログ」、中身もすごいメンズですね。

中武 : アメリカのヘビーデューティーなアイテムがいっぱいですよね。『ポパイ』の創刊がこの一年後の1976年なので、こっちの方が早いですよね。だからもしかしたら、『アンアン』に『ポパイ』のルーツがあるみたいな、そんな話になるのかなと思うわけです。『オリーブ』が“女性版ポパイ”で始まり、その『ポパイ』は“男性版アンアン”から始まったのかも、という。鶏が先か卵が先か、みたいな感じで興味深いです。

琉花 : なるほど。年代ごとに違いはありますが、60年代の『メンズクラブ』からメンズファッションを女の子に落とし込むみたいなスタイルは脈々と受け継がれているんですね。

中武 : どこかでガーンというよりも本当に昔からそういうのが続いてるというか。関係性が途中変化してきているのかもしれないですね。男物に女性が憧れて着るというのが、むしろ男物で遊んでやろうかみたいな感じになっていって。

琉花 : こうやって昔の雑誌を見返せるのって良いですね。スタイルは今見ても新鮮だし。

中武 : ネットで80年代はこういうファッションでした、とかそういうまとめサイトみたいなのがあったりしますが、やっぱり当時の雑誌を現物で見ると、この頃はこのファッションが流行ってて、なおかつこういう広告があって、チェッカーズが人気だったとか、カルチャーが横軸になっているのがわかりますし。

琉花 : タイムカプセルみたいな。

中武 : そうですね。そういうのは本当に雑誌ならではかなと思います。

琉花 : 今の雑誌で今後価値があるというか、これはアーカイブ化できそうな雑誌ってありますか?

中武 : 現行だとどうでしょうね。今の雑誌はジャンル的に更に細分化されていたり、同じ雑誌でも号によってテーマがはっきりとわかれていたりしますよね。たとえば今出ている『ブルータス』のTシャツ特集はとても面白かったし、あとは『スペクテイター』みたいな、雑誌だけれど一号一号が一冊の単行本のようなしっかりした内容で続いていっているものもあります。それらはいずれも情報として価値があるものだと思います。でもかつての雑誌と今の雑誌について、あえて違いを言うならば、全体的に雑誌の“雑”の部分が少なくなってきている感じはします。今では印刷にしても文章を作るにしても文字を組むにしても、設備の進歩によってある程度少人数にて雑誌を作ることができるかと思いますが、かつては取材と編集だけでも、多くの人間がかかわっていたかと思います。特定のテーマを限られた作り手の思いで綴った“作品”のようなものは今の方が生まれやすいかと思いますが、特集とは関係ない芸能人が表紙を飾り、流行りの服が載って、水着グラビアも漫画も時事ニュースもあるようなかつての雑誌は、どんどん減ってきているのではと思います。後から振り返ったとして、「アーカイブ」として重宝するのはどちらになるのでしょうか。インターネットで検索しても出てこなかったり、久しぶりにページを開いたら、ノスタルジックな感動を覚えるのはどちらでしょうか。私は“雑”の部分にこそ、雑誌の良さがあるのではと思っています。

1966年に創刊し、2007年末に発売された2008年1月号で休刊。ファッション誌の枠を越え、アート・カルチャーシーンにも多大な影響を与えた伝説的な雑誌。

1998年に創刊し、2016年に休刊したメンズファッション誌。大人のアメカジ、アメトラ色を強く打ち出した誌面で、“ラギッド”スタイルを提案しブームを牽引。

『婦人画報』の別冊として1954年に創刊、そしてまだ現役という、長い歴史をもつメンズファッション雑誌。日本にアイビースタイルを根付かせるなど、その功績は計り知れない。

『メンズクラブ』の兄妹誌として1966年に創刊し、2002年に休刊。“MC”はメンズクラブの略称。専属モデルを作った雑誌としても知られ、俳優やタレントを数多く輩出。

1981年に『ポパイ』の増刊号として発刊し、1982年に創刊。2003年に休刊するも、2015年と2020年にそれぞれ1号限定で復刊。“オリーブ少女”というスタイルを生み出し、カルチャーを築いた。

1976年に創刊したメンズファッション誌。何度かのリニューアルを経て、2012年に創刊当初のシティボーイのためのファッション、カルチャーを発信する現在のスタイルに。

1997年に創刊し、2016年に休刊したストリートスナップ誌。原宿に集まる若者のリアルなスタイルを世界に発信し、広めた。2024年4月、「ラフォーレ原宿」にてアーカイブ展を開催。

1970年にフランス女性ファッション誌『エル』の日本語版として創刊。当初のファッションカルチャー誌からスタイルを変え、現在は女性が関心を持つさまざまな特集を組む総合週刊誌に。

1980年に創刊したライフスタイル雑誌。月2回刊行で、衣・食・住、旅、カルチャーなど取り扱う特集の幅が広く、さまざまな情報を発信。Tシャツ特集は2024年8月16日に発売したNo.1014。

1999年に創刊したカルチャー誌。ひとつのジャンルにとらわれず、多種多様なテーマを一冊丸ごと使って深く掘り下げ、ワンテーマの特集を組むスタイルが特徴。

PROFILE

中武康法

1976年、宮崎県出身。2009年、古本のメッカである神田神保町に古書店「magnif」をオープン。ファッション雑誌を中心としたその品揃えはまたたく間に注目を集め、アパレル界隈の人々が足繁く通うスポットとなる。また近年では、藤原ヒロシ氏プロデュースの期間限定ショップ「THE CONVENI」の雑誌コーナーや、「ビームス ボーイ 原宿」のポップアップイベントを手がけるなど、活動の幅を広げている。

luka / 琉花

1998年、東京都出身。モデル・琉花としても、広告・雑誌・MVなど幅広く活動。写真家としても意欲的に活動しており、広告撮影、ZINE製作の他、個展『VOYAGE 2014-2017』『VOYAGE-Iceland 2019-』を開催。2024年2月、旅先で撮影した写真を用いたトップスをメインとしたアパレルブランド・VOYAGEを始動

Photographer: luka
/ Creative Director: Kunichi Nomura (TRIPSTER)
/ Web Director: Masahiro Murayama (maam.)
Editor: Masato Shinmura
/ Project Manager: Satoshi Miyazaki (PADDLE)