飼っている金魚の色が日に日に落ちてきている。最初に気づいたのは製氷皿に水を入れているときだった。テーブルに置かれた水槽のなかで灰色の織物のようなものが翻っているのが目に入って、はじめはそれを泳ぐ金魚の影かと思ったのだけれど、よく見ればまぎれもなく金魚そのものだった。
iPhoneのカメラロールから夏祭りの日の写真を探して見比べてみた。けれど、写真にはぜんぶで6匹の金魚が写っていて、どの金魚がどの金魚だったのかがまるでわからない。ほかの5匹はお祭りの日の翌日にぜんぶ死んでしまった。
真夜中だった。酔っていたから、台所のタオルで手を拭いて、そのまま右腕を水槽に突っ込んだ。水はぬるくも冷たくもなかった。飼われてからたったひと月ですっかり人慣れしてしまった金魚はドクターフィッシュみたいに指に寄ってきて、左右のひれをこすりつけてくる。尾ひれが透けて手の肌色が見え、あ、ほんとに色落ちしてる、と思った。
大学のころ、ひとが30人くらいプリントされたシャツをよく着ていた。踊っているひとや電話しているひと、ラジオ体操第二のような動作をしているひとなどいろんな人間が思い思いのポーズをしているシルクのシャツで、とても気に入っていた。
そのシャツで外を歩いていると、「多くない?」と聞かれた。たしかに多かった。けれど、私ひとりよりも私含め31人でいるほうがなんとなくホッとしたし、そういう装いで自分を守っていないといろいろなことに傷ついてしまう時期だった。キャンパスやバイト先や飲み屋で心ない言葉をかけられたとき、いやいま1対31だからな、と思えることはひとつの希望だった。
黒色の金魚は漆黒に近ければ近いほど価値が高いとされています、と「金魚飼育.com」は言う。金魚の色落ちはあれから冗談みたいなスピードで進んでいて、水槽のなかで方向転換をするのに体を折り曲げるたび、銀色になった腹がぬらっと反射する。
「金魚の色というとみなさんはまっ先に赤を思い浮かべるかもしれませんが、じつは、はじめから赤色の金魚というのはごく稀です。金魚は飼育環境や餌の種類によって大きく色の変わる生きものです。育てている途中で金魚の色落ち、すなわち退色が始まってしまうのを残念に思われる方もいるかもしれません。なかには三毛猫のように何色もの色を持つようになる個体もありますが、やはり金魚には金魚らしい色のままでいてほしい、という方は少なくないのではないでしょうか。美しい色を保つには、……」
ひとから電話がかかってきたので、そこから先は読めなかった。
電話のあと、水槽の底に敷いた砂利を洗うためにシャベルですくっていたら、泳ぐ金魚の両目の上がぎらりと光った。金色に見えたけれど、角度によるのかもしれない。ラメのアイシャドウを塗ったときみたいできれいだと思った。
この金魚が何色になるのかいまはもうまるで想像がつかない。きょう正面から見たら、やっぱり真っ黒のような気もした。