食事の内容をコントロールすることは、アスリートや糖尿病患者に限らず、現代を生きる基本である。そう、カロリーや糖質について知ってしまった以上、もう逃れられない。コントロールの意識が低い僕であっても、さすがにビールとカツ丼とラーメンを同時に頼むことはしない。
映画『幸福の黄色いハンカチ』の中で高倉健が、ビールとカツ丼とラーメンを同時に頼む場面がある。刑務所から出てきた主人公は、出所したその足で食堂に入り、この3つを頼む。このシーンのため、高倉は2日間何も食べなかったという。抑制が効いた役作りをしながら、この場面だけは登場人物の欲望を前面に打ち出したのだ。当時の高倉は、46歳。今の自分の年齢だ。ハンチングにボア付きの革ジャン。黒いタートルネックのセーター。この抑制の効いたスタイルが似合う男の像からは、今の自分はずいぶんと遠くにいる。
ビールとカツ丼とラーメン。カロリーは壮絶にオーバーしているし、そもそも糖質過多の食い合わせだ。だが、チートデイという考え方の下では、たまの糖質たっぷりの暴飲暴食は、ありなのだという。ずっと食事をコントロールし続けると、体はそれに合わせて防御メカニズムをつくりだしてしまう。同じ食生活を繰り返しているうちに、コントロールの効用は、薄まっていくのだ。そのメカニズムを狂わせるために、ときに暴飲暴食を自分に課す。自分の体をだます日だからチートデイである。
チートデイ以後の世界のルールにおいては、ビールとカツ丼とラーメンを一回の食事で同時に食べてもかまわない。そう、過酷なトーナメントを戦い終えた大坂なおみもカツ丼を食べる。その意味で大坂なおみは、高倉健の正統な後継者だ。大坂なおみのカツ丼は、自分へのごほうびというよりチートデイ以後の考え方だ。
スポーツで「ルーティン」という用語をよく見かけるようになったのは、4年前のこと。ラグビーの五郎丸がキック前に両指を合わせて人差し指を立てるポーズ。はじめはまじないかと思ったが、まじないとルーティンは少し違う。ルーティンは、余計な思考を取り去るため、決まった動作の順番を体に叩き込む。つまりは、無意識の状態を意識的につくりだすのである。
チートデイにもルーティンと似たところがある。自分を完璧にコントロールするためには、コントロールされていない状況も混ぜなくてはいけない。はた目からは、ややこしく、めんどくさい。だが、現代を生きるためのルールは、どれもそんな具合になりつつある。ストリーミングで聞ける曲を同時に、アナログレコードやカセットテープで揃えるのもそう。メガネをかけるのではなくコンタクトレンズの上から伊達メガネをかけるのもそう(そうか?)。
自分のルーティンについても話しておこう。僕は財布に札を入れるときに、向きをそろえない。そろっていた方が気分がいいのだが、まじないや迷信が嫌いなので、それを否定する意識が高まり、あえて気にしなことにしている。だが意識的に思考を排除するという考え方自体が、すでにおまじない的だ。コントロールしているのか、単に律儀さに欠けた人なのか。外からは間違いなく後者にしか見えない。実は、夏休み明けの机の中から、カビの生えたコッペパンが出てくるような小学生だった。
コッペパンはともかくとして、いろいろなものの区別がつかなくなっている時代。コントロールのためのアンコントロールと単なるカオスの違いを見分けることはきわめて難しい。そして、チートデイと暴飲暴食の間だって厳密には区別はないのだ。進みすぎた科学と魔術の区別がつかないのと同様に。