曇天や雨催いや小糠雨、ようするに愚図ついた天気を偏愛する私でも、スカッと晴れてほしい、と思う時はある。シーツを洗いたい時とか……いやいや、洗濯とは金輪際関係なくとも、そう思うことはある。たとえばこの間の日曜がそうだった。
ここしばらくは忙しかった。とりわけ先週は、普段の業務に加え、急な仕事が二つ三つ、さらに仕事とは言い難いが遊びとも言い切れない小用が落ち葉のごとく積み重なって、こっそり猫の手を借りていた。私だけじゃなかった。妻もそうだったらしい。それぞれに土曜も仕事に出た。その土曜夕方、テキストのやりとりで、明日は公園へ、という話になった。この場合の公園は、私たちの間ではあそこと決まっている。あそこ……脇見をしながら猫に話しかけながらちんたら歩くと15分ほど。大小の池があってサギやカワウが安らぎカルガモの親子が遊びクヌギやコナラがちょっとした雑木林のように茂り木陰のテーブルやベンチの間隔と配列が絶妙で、そのわりに人は少なく概ね静かでイーゼルを立てて写生しているおじさんやおねえさんがいて……。人には教えないようにしている。SNSでは決して明かさない。回り回ってデートスポットになどなって欲しくないから。意地悪な私。ともあれ、その公園に妻の手作りオードブルを持参し、それらと日々の気づきやこの世への憤懣を肴に昼間っからピンクのカヴァやビターなエールを飲み、お喋りに飽きたら読書やしりとりをする、というのが私たち夫婦のささやかな楽しみなのだ。実行できるのは年に数回だけど。ダブな夏が暴君のようにふるまい、アンビエントな冬も会計士のように職務をこなし、その両者の間に梅雨やら台風やらが律儀な親戚のように訪れる東京では、そのような楽しみに相応しい、つまるところピクニック日和というのは案外と少ない。
ところが。日曜の朝めざめると、私が日頃から愛する天気だった。この日は愛の好みが違うというのに。昨夜の天気予報にも晴れマークが屈託なく並んでたじゃないか。妻は即座につむじを曲げた。私の嗜好のせいだと言わんばかりに。
仕方ない。私たちは家で過ごした。妻はワードローブの整理をしたりカウチでふて寝したりして。私はヴァイナルの整理をしたりふて寝している妻を観察したりして。
「銭湯に行こう」妻が突然炎のごとくそう言ったのは、愚図ついてた天気が愚図つくのをやめて、西の空の低いところを茜に染めていたころだった。
「ん?」と私。〈せんとう〉という音を〈銭湯〉という漢字に変換するあいだに心臓が二回よろけた。「せ、銭湯?」
「公園へ行く途中にあったでしょ?」
「ああ……あったかも」しかしなんでまた銭湯なのか。共に生きる誓いを立ててからずいぶん経つが、妻が「銭湯に行こう」などと言い出したのは初めてのはずだ。しかし、理由を訊くのは憚られた。というか、理由を恐れた。理由になり得ない理由を皮ごと丸呑みさせられそうな気がして。どうでもいいさ理由なんて。私は独りごちる。
宵闇の中を銭湯へ向かった。妻は真新しいダウン、私は着古したコートを羽織って。滅多にないことだが妻がいやに官能的に手を絡めてきた。「どうしたんだい、ハニー?」とかなんとか尋ねたくなったが、尋ねずにその冷たい手を取ってコートのポケットに軟禁した。
そうして訪れた銭湯でのファルスのごときハプニングと、それをきっかけに知り合ったグルーヴィな男女と湯上りに飲みに行った穴蔵のようなバーでの珍事については今は語るまい。慌てて語っても信じてもらえないだろう。それから3日と17時間が経過したが、冷静に振り返るに、当の私にも夢の中での出来事だったようにしか思えないのだから。