うどん屋さんで待ち合わせをした。
中で待ってればいいのにねと毎回思うけど、彼女は大抵お店の前でわたしに手を振る。
店内へ入り、壁に沿って横長の鏡が付いている席に座った。上半身で背伸びをすれば映る互いの姿を見ると、パリにある小さなビストロにいる様な感覚になる。
少しむっとした夏の夜だったと思う。私たちは半袖姿でおかまいなしに暖かいうどんを食べながら、入口の近くの壁に描かれた誰かの絵を見て、マティスの線みたいだね、と話したりして、いつの間にか予定していなかったデザートまで注文している。
彼女は来月から1年間、フランスに行く。冬には会いに行くからと約束をしてお店を出るとき、彼女はマティスみたいな絵の正体をお店の人に尋ねていた。聞き覚えのある日本の画家の名前。小さな頃から、父親がよく家でかけていたCDのジャケットのことを思い出す。
彼女が出発して数ヶ月が過ぎた頃、その画家が東京で展示を開催することを知り、私はすぐに出かけた。売っていた展示のカタログを見て、フランスで彼女に渡そうと決める。
偶然在廊していた画家本人に、恥じらいを持ってうどん屋さんの壁の話をしてから、サインと名前を入れてもらう。
さて、だれも起きていない紺色の早朝。
手荷物を覗きパスポートの次にあのカタログを確認して、二度目のフランスに向かう。
飛行機は、いつだって特別だ。空の上ではどこにも逃げられない。村上春樹の「スプートニクの恋人」を早々に読みきってしまい、雲の地平線をみているといつの間にか深い眠りについていたんだ。
深夜のペンキ塗りのおじさん達を横にイタリアの空港で長い乗り換えをして、シャルル・ド・ゴールから3時間の高速鉄道TGV。駅はジャック・タチの世界だ。
東京から24時間を超えてたどり着いたフランス・レンヌ駅で再会した彼女にカタログを渡すと、小ぶりの花がきゅっと開くように喜んで寮の小さな部屋の机に立て掛けていた。
休みの日に二人でストックホルムへ一泊した帰り、パリのカフェで隣の老夫婦が二人で食べている大きなチョコレートパフェを見て、案の定また私たちは予定していなかったデザートを注文している。
東京へ戻ってすこし経った頃、一人暮らしの小さな郵便受けに大きめの封筒が届く。
開けると、中には見覚えのある展示カタログが入っていた。
1ページ目に挟まった小さな紙にドローイングのような線で、
大切なものを大切な人に
ということばが添えられている。
まわっているのだと感じる。
ことばや物体や気持ちが、人をつたって風を越えて、自分の知らないところでもまたひとつ。
繰り返すようで時は新しくなる。
生きているうち、どんなこころを渡せるだろう。どんなこころを贈りたいだろうと考えたりする。
彼女が日本へ帰ってきてから、あのうどん屋さんで待ち合わせをした。
うどん屋さんの前で立っている彼女を見て、中で待てばいいのにとまた思っている自分がいる。
久しぶりに会った彼女はすこし困ったような顔で、今日は定休日だったよはるちゃん、と言う。