イルミネーションはいまや倦んだ現代人の点眼薬のようなものだ。コンビニエンスストアの陳列商品のように二十四時間営業で白く青く馴らされた光を浴びる日々に息がきれ、ふいに樹木や船舶や建造物に巻きついた光を眺めにいく。光に目を灼きくたびれながら、それでも光を見ようとする生態とは不思議なものだ。「東京の空はピンク色」と歌手がうたったのは三十年前のことで、「東京には空がない」と女優がつぶやいたのは六十年前だった。いまから七十五年前、祖母は空を見あげてトテモキレイナと思った。そのことは誰にもいわずに眠りについた。朝になると、土は焼けて畑には穴が空いて、親族に怪我人が出ていたりして、あちらこちらと修復するのに駆りだされ、夜襲の閃光について話している人などいなかった。あなた、目が潤んでるわよ、きっと熱が出てるのよ、ゆうべの爆風にやられたのね、横になって休みなさい、と隣人たちは祖母をいたわった。彼女は恋に落ちていた。秘密の恋だ。やがて戦地から夫が帰り、子供を迎え、家庭というものをこしらえて、人々はもう躊躇することなく部屋に灯りをともした。けれども人知れず恋をしていた彼女は夜を求めて空を見あげた。子供たちが流れ星を指さすと、彼女は微笑みを返すだけですぐに何もない空に視線を戻した。町中は街路灯や照明看板や電光掲示板などにあふれ、しだいに夜空が薄れていく。空はもう彼女が待ち望んでいるものを映してくれそうになかった。これが幸福だと誇るように平和だと塗り替えるように光に埋めつくされていく時代を、彼女は瞼を閉じてやりすごした。ふたたび目を開いたのは大地震のときだった。家が揺れ、街は暗がり、贅沢は敵になり、女たちがスカートからズボンに履き替えたのを見て、彼女はアノトキミタイと夜空を見あげた。空はわずかに濃い闇をとり戻していたが、でもやはり、彼女の恋した光が空から舞い降りてくる気配はなかった。たぶん二度となかった。彼女は本格的に目を閉じて、瞼の裏で好きなだけ戦火を見つめた。十二月、カウントダウンするように一つまた一つと電飾が灯されていく。人間はイルミネーションに群がって背景にある闇のほうに慰められているのかもしれない。