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クリエイターたちの制作活動の拠点となるアトリエ。その空間づくりは、個性豊かで千差万別。この企画では、作品が生まれるワークスペースを訪ね、つくり手のパーソナルな一面を探っていきます。今回は、P&A名義で陶芸教室、陶器のプロダクトデザインという二足の草鞋をはく、ご夫婦を訪ねます。
現在、ここ「P&A Pottery Class」の空間は非常に活気のある場になっていますが、もともと陶芸教室を開くために借りたんですか?
康太郎 いえ、最初は100パーセント自分の制作場所にするつもりでした。友達と一緒にここを借りて、最初の3年くらいは自分の制作のためだけに使っていたんです。ただ、作品制作だけでは食べていけなくて、別のシェア工房で陶芸スタッフとしてアルバイトをしていました。
その経験が、教室を始めるきっかけに?
康太郎 はい。しばらくスタッフとして働いているうちに、「自分の使っているスペースの空いている場所で、陶芸教室ができるんじゃないかな」と思いついたんです。ただ、規模としては本当に自分の手の空いた時間で、知り合いに教えられたらいいな、くらいのごく小さな感覚でした。
最初はどのような方が来られていたんですか?
康太郎 宣伝も報告も一切していなかったので、本当に周りの知り合いだけです。「陶芸できるの?」と興味を持ってくれた友達や、その紹介で数人がちょこちょこ来てくれるような状態で。当時はまだ教室として生計が成り立つレベルではありませんでした。
麻美 出会った頃は、一部屋だけで完結するような小さな教室だったよね。
麻美さんが運営に加わったのはどのタイミングだったのでしょう。
麻美 私はもともとギャラリーに勤めていて、とある仕事の依頼で彼を訪ねたのが最初の出会いです。
康太郎 アトリエを借り始めてから2、3年ほど経った頃に、麻美と出会いました。付き合い始めてから、僕一人で小さく教室を始めたんですが、次第に利用者さんも増えていって。「本格的に教室としてやっていきたい」と次第に思うようになり、彼女に話をしたんです。
麻美 結婚を機に私も仕事を辞めて、今の形にコミットすることになりました。
大井町という場所を選んだ理由についても伺わせてください。
康太郎 一緒にアトリエの物件探しをしていた友人がこの場所を見つけて。内見に来るまで大井町駅で降りたこともなかったです(笑)。ただ、今は逆にこういうカルチャーの色がついていなかった場所だからこそ、良かったのかなと思っています。世田谷や杉並といった若い人が多いエリアからもわざわざ通ってくれるひともいますよ。
麻美 最近はワークショップだと日本各地や海外から旅行ついでに来てくれる方も多いですね。品川や羽田空港からも近いですし。
現在はどのようにお二人の役割を分けていますか?
麻美 運営は二人三脚ですが、彼は教室の中で一番知識と経験、技術がある。だから彼が講師に教え、講師が生徒さんに教えるという体制を作っています。私はギャラリー時代の経験を活かして、イベントの企画やポップアップ、SNSの更新、お客様の窓口といったPR周りを担当しています。
康太郎 僕は運営やPRが本当にド下手で(笑)。そこは麻美が加入してから、役割がすごく明確になりました。
麻美 私が入る前、彼はInstagramに影を活かした渋い写真ばかり載せていて(笑)。
康太郎 それを見た麻美が「生徒さんはこんなに可愛いものを作っているのに、なんで宣伝しないの!」と。
麻美 実際に教室の窯の中を見てみたら、(SNSの写真に反して)本当に可愛い作品がいっぱい入っていたんですよ。「立体作品を作りたいけど、普通の教室では無理だと言われて断られてしまった」という人たちが、ここに集まってきていることを知って。ちょっとした使命感というか、もっとこの魅力を発信すべきだと思って口出しし始めました。
「P&A Pottery Class」には、イラストレーターやアーティストといった表現者の方が多く通っていますよね。これは狙ってのことでしょうか。
康太郎 偶然と必然の両方ですね。もともと僕は、実用的な器よりもオブジェ寄りの彫刻作品をずっと作ってきました。伝統的な技法を重んじて、こうあるべきと実践するタイプでもないので、教室をやる時も「なんでも作っていいよ」というスタンスだったんです。僕がカリキュラムをしっかり組めなかったというのもありますが、生徒さんの話を聞いて「それならこうやったらできるかもね」という、ゆるい雰囲気で始まったんです。
それが、表現に飢えていたクリエイターたちのニーズに合致したと。
康太郎 はい。教室を始めた当初からイラストレーターやアーティストが通ってくれていたこともあり、自由な空気が育まれる土壌はすでにありました。
麻美 決定的だったのは、〈TOKYO CULTUART by BEAMS〉ともゆかりの深いイラストレーターのHONGAMAさんですね。彼女がうちで作ったオブジェを展示した時に、同業種の方々が「これ、どこで作ったの?」と興味を持ってくださって。そこからだと思いますね。
そういった方々をはじめ、「P&A Pottery Class」で生徒さんが作られたものを見ると、陶芸教室=お皿を作るというイメージとは一線を画していますよね。
麻美 彼の教室が自由な方針だというのはもちろんですが、同時にInstagramで見た、海外のアーティストが作ったDIY感溢れる陶芸作品がかわいいなと思っていたんです。日本だとどうしても「型から入る」「使いやすさ重視」という側面が強いですが、もっと自分の価値観で、自由に楽しみながら作れる場所があってもいいなと。だから、アーティストでもそうじゃない人でも垣根なく、誰でも自由に表現できる場所にしていきたいとは思っていました。
スタジオの空間作りで、特にこだわっている部分はありますか?
康太郎 もともとこの建物は廃墟同然の荒れ様だったので(笑)、毎年ひたすら自分たちで改装して片付け続けて、ようやくこのシンプルな形になりました。カウンターのある部屋は、もともとシェアしていたメンバーが「プライベートで中国茶を出す空間」として作った内装なんです。そのメンバーが抜けた後、居抜きのような形で僕らがカスタマイズして使わせてもらっています。
麻美 陶芸って「ストックの場所」が命なんです。乾かさないと焼けないし、絵付けを待つ作品もある。ほっとくと自分が何を作ったか忘れてしまうので(笑)、常に整理整頓して、空間に余白を持たせるように意識しています。あとは“掃除命”。女性のお客様が多いため、清潔感にはかなり気を配っていますね。
棚などもDIYで手作りされているそうですね。
康太郎 はい。工芸の世界では、土を削る道具なんかも自分たちで作ります。その延長で、大家さんの協力もあって自由に空間を育ててきました。改装業者に頼むお金はなかったけれど、自分たちで少しずつ資材を買って直していく楽しさはありましたね。外界から少し隔絶された、ヒッピーコミュニティのような独特な時間の流れがこの場所を作ってきた気がします。
〈P&A CERAMIC WARE〉名義のプロダクト活動についても聞かせてください。制作において、どのようなアプローチをとっているのでしょうか?
康太郎 プロダクト制作は、好奇心と実験から始まります。例えば「バーチャルろくろ」を使用して制作したマグカップ。パソコンの画面内で手を動かして形を作り、それを3Dプリンターで出力して原型にするんです。僕は普段から電動ろくろの“回転”に意味を見出して作品を作っているので、この次世代のろくろ体験にはすごく興味をそそられました。
麻美 あとは「再生土」を利用したプロダクトですね。教室を運営していると、どうしても大量に余った土や、削りかすが出るんです。
康太郎 それを乾燥させて砕いて、泥状にしてからまた水分を抜いて粘土に戻す。いろんな種類の土が混ざるので、時期によって色が微妙に違うのですが、それを一つの味として花瓶や湯呑みなどのプロダクトに落とし込んでいます。
教室を運営することで、ご自身の作家活動にフィードバックはありますか?
康太郎 大いにあります。僕はいろんな技法を試したくて手を出しては、中途半端になってしまう器用貧乏なところがあって。でも、教室で生徒さんの多様なリクエストに応えるうちに、その引き出しの多さを持ち味だと肯定できるようになりました。また、生徒さんたちの作品はどれもポップでカラフルで、自分からは出てこない発想や表現ばかりで、いつも刺激を受けています。
最後に、これからの展望について教えてください。
康太郎 陶芸は本来、その土地の土や薪から暮らしに必要なものを作り出す土着的な営みです。では東京ではどうかと考えた時に、東京に土や薪はないけれど、面白いアイデアを持った人々がたくさん暮らしている。そういう人たちが集まって土に触れ、アイデアを形にできる場所づくりを続けていくことで、東京らしい陶芸の営みを実践していきたいですね。
康太郎さん自身の作家活動としては?
康太郎 大学時代からずっと「仮面」と「うつわ」というものを追いかけてきました。食器が食べ物を入れるうつわであるように、仮面は人の表情や心を収めるうつわでもある。最近はその二つが自分の中で合流し始めています。そして、この教室もさまざまな個性と表現の混ざり合ううつわとして捉えることもできると思います。教室の運営から受ける影響も受け入れながら、彫刻としてのうつわを追求し続けたいですね。
カルチャーは現象。誰かと何かが出合って、
気づいたらいつもそこにあった。
世界各地で生まれる新たな息吹を、
BEAMS的な視点で捉えて、育みたい。
きっと、そこにまた新たなカルチャーが
生まれるから。