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ビームスが思う理想の男性像

"MR_BEAMS"とは、ファッションをきちんと理解しながらも、
自分の価値観で服を選べる
"スタイルをもった人"のこと。
と同時に、決して独りよがりではなく、
周りのみんなからも「ステキですね」と思われる、
そのスタイルに"ポジティブなマインドがこもった人"のこと。

今回立ち上げたオウンドメディア#MR_BEAMSには、
私たちビームスが考える理想の大人の男性像と、
そんな理想の彼が着ているであろうステキな服、
そしてMR_BEAMSになるために必要な
洋服にまつわるポジティブな情報がギュッと詰め込まれています。

本メディアを通じて、服の魅力に触れていただいた皆様に、
ステキで明るい未来が訪れますように……。

映画的

a fashion odyssey | 鶴田啓の視点

映画的

 

いつ頃からだろうか、気付いたら僕は映画を観るのが好きになっていた。

確かに高校時代から映画館やレンタルビデオ屋に足を運んではいたものの、同級生のなかには(熊本の片田舎だったにも関わらず)雑誌「スクリーン」を購読しているような(当時15歳の僕から観ると、とても文化レベルの高い)映画好きがいたりして、自分が映画フリークだと認識したことは今日に至るまで一度もない。上(うえ)がいる、という感覚を若いうちに身に付けられたことは、ある意味で幸福だったと言える。結果的に「スクリーン」購読者の彼はカメラマンになった。
大学時代。東京に出てきて友達もいないし専攻にはまったく興味を持てないし、暇に飽かせてキャンパス内にある図書館へ頻繁に通っていた。じゃあ、そこでバルザックやマルクスに読み耽るなど、学生的で反抗的なモラトリアム文学生活を送っていたかというと、そうでもない。なんとなく授業をサボり、なんとなく視聴覚コーナーにあるリクライニングソファでレーザーディスク(実に1990年代の後半らしいメディア)プレイヤーとヘッドフォンを使って延々と映画を観ていた。僕にとって映画は学びの手段でも何でもなく、(多くの映画ファンにとってそうであるように)まずは退屈な日常からドロップアウトする手口として存在したのだ。18歳当時、チャップリン、ヒッチコック、キューブリックなど、今になってみれば「クラシック」と呼べるような監督の作品群を、浴びるように無料(ただ)で初体験した。これにより「映画を数多く観る」という基礎体力を獲得した僕は、ビームスに入社してからも、仕事を終えて帰宅、深夜にレンタル映画を2~3本鑑賞することもまったくの茶飯事であり、入社から約20年の間に(おそらくは)3000本、つまり一年に150本、は観ているだろう。とか言うと後輩の中には「鶴田さん、映画に詳しいですよね~」と言ってくる者もいる。僕はいつも、そんな質問を受けると「俺が詳しいんじゃなくて、お前が詳しくないだけだと思うよ」と答えることにしているし、実際に心底そう思っているのだ。僕は呼吸をするように映画を観るシネフィルには到底なり切れないし、彼らは年間5~600本を当たり前のように観るだろう。大学を卒業後ビームスに入り「少しは映画を見ているつもり」でいた新入社員の僕は、その数倍は軽く映画を見ている先輩たちに出会い、彼らの観察眼の鋭さや想像力の豊かさを前にして、シネフィルどころか洋服屋に対しての敗北感が更に増していくことになる。

では、洋服屋と映画に何の因果があるのかというと、それは「こなし」の部分である。「着こなし」とは単純なコーディネートの話ではなく、ハンガーにつるされた状態では止まっている洋服の「動き」を意味する。ファッション写真でもウインドウディスプレイでも良いのだが、ワンポーズのそれらは静止画、つまりワンシーンの一コマ(1/24秒)に過ぎない。当たり前だが、映画はその前後の動きを連続写真として提示してくれる。もちろん、たった一枚の写真から前後の物語を想像させる作家性の強いフォトグラファーやスタイリストもいると思う。しかし、そのストーリーを読み取るには受け手の想像力が必須でもある。洋服屋の仕事は与えられた洋服をただ販売するだけではなく、布と釦で出来た物質に「物語や動き」を吹き込む作業こそが本質だと僕は思っている。つまり、洋服屋こそ映画的でありたいという願いでもある。

ある映画のワンシーン。ジャン・ギャバンが電話ボックスに入り、胸ポケットから眼鏡を取り出すと、そこに挿してあった白いリネンのチーフがポケットから大きくはみ出してしまう。そんなことは意に介さず、眼鏡を左手で整えながら右手に持った受話器で通話を続けるギャバン。台本や演出には一言も書いてなかったであろう、この密やかなポケットチーフの動きこそ、僕が思う映画的ファッションである。誰が何を着ていた、ということ自体は僕にとって問題ではない。その時、衣服がどのように動いたのかという点に興味がある。そういった意味で、「ストレンジャー ザン パラダイス」の場合はアーガイルのカーディガンよりもゴミ箱に捨てられたドレスの方が映画的であるし、「ダージリン急行」の場合はルイ・ヴィトンのトランクよりもグルグル巻きの包帯や絆創膏の方が映画的である。

ショッピングは人生の一コマに過ぎないが、その続きのシーンにこそ着こなしやスタイルが待ち受けているのである。

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