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ビームスが思う理想の男性像

"MR_BEAMS"とは、ファッションをきちんと理解しながらも、
自分の価値観で服を選べる
"スタイルをもった人"のこと。
と同時に、決して独りよがりではなく、
周りのみんなからも「ステキですね」と思われる、
そのスタイルに"ポジティブなマインドがこもった人"のこと。

今回立ち上げたオウンドメディア#MR_BEAMSには、
私たちビームスが考える理想の大人の男性像と、
そんな理想の彼が着ているであろうステキな服、
そしてMR_BEAMSになるために必要な
洋服にまつわるポジティブな情報がギュッと詰め込まれています。

本メディアを通じて、服の魅力に触れていただいた皆様に、
ステキで明るい未来が訪れますように……。

翻訳不能②

a fashion odyssey | 鶴田啓の視点

翻訳不能②

 

前回からの続きである。
つまり「ロスト イン トランスレーション現象」と「フレンチアイビー」について。

何のことだか?という読者の方々は「翻訳不能①」から読み進められるとよい。

映画に見るフレンチアイビースタイルの代表格といえば、一般的には『冒険者たち』(‘67)『太陽がいっぱい』(’60)『死刑台のエレベーター』(’58)『男と女』(’66)ほか、ゴダールやトリュフォーの初期諸作品などが挙げられる。いずれも大戦後にフランスに流入してきたアメリカの文化が市民にまで行き渡った1950年代後半(つまりヌーヴェルヴァーグの勃興)からの約10年間に撮られた作品群である。すでにベテランの域に達していたルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』に関してはヌーヴェルヴァーグ派には数えられないものの、この映画が出世作となったアラン・ドロンによるボタンダウンシャツやレジメンタルストライプのジャケット、ホワイトジーンズの着こなしが印象深い。映画の主な舞台はイタリアのリゾート地であるが(アメリカ帰りの役柄を二人のフランス人俳優が演じるためか)やはりムードとしては色彩豊かなフレンチタッチが強く香るものとなっている。

 一方で、日本。みゆき族の台頭は東京オリンピック直前の1964年。この頃に「アイビー」という言葉が日本に浸透したのだとすれば、『太陽がいっぱい』を鑑賞しながら「アイビー」をリアルタイムで感じた日本人はいなかったことになる。実際に「フレンチアイビー」という言葉が日本のファッションシーンに登場するのは1980年代。1975年に刊行された「チープシック」やピエール・フルニエ氏によるエミスフェールをヒントに、日本のセレクトショップ黎明期を支えた人々や雑誌「POPEYE」が、アメリカンアイテムをノンシャランかつシックなムードで着こなすフランス人の姿を通して「パリ経由で再発見したアイビースタイル」であったと言える。1980年代の日本人は上記の映画作品などを教本代わりにしながら、1960年代にも「パリ感覚のアイビー」があったことを、後追いで知った。では1960年代の「フレンチアイビー登場」に“間に合わなかった”日本人が、1980年代に最も「フレンチアイビー」を感じた同世代のアイコンとは(ジャン=ルイ・トランティニャンでもモーリス・ロネでもジャン=ピエール・レオーでもなく)一体、誰だったのか?ご存知、ポール・ウェラーである。スタイルカウンシル時代の彼の着こなしは、今見ても確かに新鮮。どこからどう見ても洒落ている。

スタイルカウンシルがパリに急接近した『Café Bleu』(‘84)リリース時には若干6歳、1978年生まれの僕は考える。たしかに今僕らの脳裏にある「パリっぽさ」のすべてをこの時期のウェラーは体現している。そっけないバルマカーンコートも、チビ襟のシャツも、タッセルローファーに合わせたホワイトジーンズも、真っ白なソックスも、カラフルな肩掛けニットも…。「パリっぽさ」の象徴として見事に刷り込まれている、とすら言える。

 だが、僕は信じない。「勝手にしやがれ」と同じ1977年に(パンク色が強い性急なR&Bサウンドを誇る)ザ・ジャムとして19歳でデビューした英国人のポール・ウェラーはフレンチスタイルのアイコンではなく、むしろ独自の言語感覚を持った確信犯的な翻訳者なのではないか?という疑問が起こる。シド・ヴィシャスをビール瓶で殴りつけた男とシックに気取ったBCBGではイマイチ同一人物感がない。(生粋のパリジャンなどでは勿論ない)英国人、ポール・ウェラーはスタイルカウンシルの「ファンクやソウル、ブルーノートまで多様なアメリカをすべて飲み込む雑食感覚サウンド」を増幅させるために、自らもまたパリっぽく装っていたのだろう。そして、雑食的に伝統を編集するこの感覚こそが「フレンチアイビー」の特徴でもある。加えて、当時スタイルカウンシルのアルバムジャケットなどでスタイリングを務めていたのは現・ビームスロンドンオフィス在籍でFennicaディレクターを務めるテリー・エリス。ジャマイカ系イギリス人であるエリスとパンク上がりのイギリス人であるスタイルカウンシルが作り上げた「英国から見たフレンチスタイル」は、フレンチアイビーの代名詞的ブランドとされたオールドイングランドが誇る「パリから見た英国スタイル」の見事なクロスカウンターとして成立するように思う。英国のパンクやジャマイカのレゲエなど、カウンターカルチャーを下敷きにしている点でも二人の間には共通点が見いだせる。そう言えば、ほぼ同じ時期にパリへ急接近した英国人がいる。セックス・ピストルズのマネージャーでもあったマルコム・マクラレンである。マクラレンの場合は悪意や皮肉がたっぷりと表に出過ぎて、フレンチスタイルのアイコンには成り様もなかったが。

 つまり、日本人が1980年代に恋い焦がれた「フレンチアイビー」の図式(あくまでも仮説)とはこうだ。

 「英国からアメリカへ渡った伝統的なメンズアイテムを下敷きとしながら独自の発展を遂げたニューイングランドWASP文化としてのアイビーアイテムを柔軟な感覚で取り入れた1960年代のパリジャンへのオマージュとしてアーバンなフレンチムードを演じて見せた英国人ポール・ウェラーの少し皮肉っぽいエスプリを遠く離れた島国の外国人(日本人)が勝手に感じた」=「フレンチアイビー」である、と。

幾度となくメディア変換を繰り返し、何人の翻訳者を挟んでいるのか分からなくなるほど、入り組んだ構造になっている。ここで誤訳が発生しないわけがない。そして、誤解がないように付け加えておくが、僕はこの手の誤訳が大好きである。世界には70憶もの人が住んでいる。それぞれが想うそれぞれのパリがあったところで、なんの不思議もないのである。「セックス・ピストルズが解散した1週間後に熊本で生まれ、中学生の頃に見たフリッパーズ・ギターの㎹に早回しで映る街並みとベレーと黒いタートルネックと18歳の時に初めて見たゴダール映画のトリコロールがパリの全てだと思い込んでいた」僕が言うのだから、間違いない。正しい事実確認よりも、強いあこがれだけがスタイルを作る。

結局は、勝手にしやがれ、なのである。

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