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2021年1月から3月にかけて、写真家・山本佳代子さんは北海道の旭川にいました。50日以上という月日をそこで過ごす中で、自身が見て感じたことを写真に残すためです。そうしてできた作品群が『満塁』。「B GALLERY」では、旭川で撮影された写真100点以上を3月21日(月)まで展示しています。今回は、そんな『満塁』の制作の裏話を聞いてきました。ちなみに、野球はまったく関係ありません。
埼玉県出身、東京都在住。レコード会社勤務を経て、2011年よりフォトグラファーとして活動をスタート。主に著名人やミュージシャンのポートレートやライブ写真を手掛ける。2020年、コロナ禍のなか、バルコニー越しで友人たちを撮影した「#balconyshootingtour」が話題となる。
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ー 山本さんの撮る写真は、今回の『満塁』や過去の作品を見ても、人を被写体にされていることが多いですよね。
山本 撮影していて、面白いと思えるのが人なんです。今回の『満塁』は笑顔の写真が多いですけど、笑顔が撮りたいわけじゃなくて。被写体の一番らしい表情を撮りたい。それが寛いでいるときかもしれないし、ちょっと抜けている表情かもしれない。そういう瞬間を撮れたときは、本当に気持ちいいんですよね。
ー 山本さんの写真の中の人たちは、みんなリラックスした表情をされていると思うんです。なにか秘訣ってあるんでしょうか?
山本 とにかく、自分がゆるゆるになるっていうか。アホになります(笑)。あとは、女性っていうのもあるかもしれません。男性よりは威圧感はないですからね。
ー 昨年、山本さんが撮影された『バルコニー・シューティング・ツアー』も、みなさんいい表情でした。そして企画力もすごいなと思ったんです。
山本 コロナ禍って、世界中のみんなにとって初めての体験じゃないですか。家から出ちゃいけないっていう。私もコンビニに行くのすら怖かったし、人にも全然会ってなかったんです。だけどあるとき、写真を無性に撮りたくなって。でも、人を撮るにしても外に出ちゃいけないし、近づけない。となったときに、私が出向いて、遠くから撮ればいいんじゃんって。それで、「私が遠くから撮りに行くから、バルコニーで待っててくれる人いる?」ってインスタで聞いてみたら、いろんな友達たちから「撮りに来てよ」と言ってもらって、あの作品ができました。
ー そうして、『バルコニー・シューティング・ツアー』から派生して、BEAMSでは動画企画「会いたい。」を一緒に制作させていただきました。
山本 SNSに写真をアップしていたら、知り合いが繋いでくれて。そのまま、あれよあれよという間に決まりましたね。写真をアップした1週間後ぐらいには、BEAMSで動画がアップされるくらいのスピード感で。それがBEAMSさんとのはじめての取り組みでしたね。
ー ここからは、『満塁』の制作秘話を伺っていきたいのですが、まず、ことのはじまりを教えていただけますか?
山本 旭川のアーティスト・イン・レジデンス(クリエイターを一定期間その土地に招聘し、作品の制作をサポートする事業)に選んでいただいたんです。ビル一棟がアーティスト・イン・レジデンスの持ち物で、1階がギャラリー、 2階と3階が住居という場所で。
ー 山本さんが旭川にゆかりがある、とかではないんですよね?
山本 実は旭川に友人がいまして。私が以前勤めていたレコード会社の元同僚なんですけど。彼女は旭川出身で、会社を辞めてUターンしていたんです。それで、運営を手伝っていた彼女から「佳代子も呼びたい」と言ってもらって。
ー 1月13日から3月7日までの54日間、滞在されていたと。ちょうど一番寒い時期ですよね。
山本 マイナス20度の日もありましたからね。ただ、寒いは寒いですけど、風はないし、シーンとしていて、キンキンに冷えたあの感じは好きでした。もう一回戻りたいと思うくらい。
ー まったく知らない土地にいきなり放り出されて、戸惑いはなかったですか?
山本 東京はコロナ禍でピリピリしていたときだったので、旭川の人たちが東京から来る私を怖いと思わないかと心配してたんですけど。着いた初日に、ウェルカムパーティーを開いてくれたんです。暖かく歓迎してもらって、不安はすぐになくなりましたね。
ー 杞憂に終わったわけですね。『満塁』のなかで撮影されている人たちとは、どういう風に出会っていったんでしょうか?
山本 誰々に会わせたいとか、どこどこに連れて行きたいとか、旭川の人たちみんなが提案してきてくれて。いざ撮影をはじめたら、超忙しかったんです。1日3箇所を回ったりなんかして、それが毎日。写真だと楽しそうですけど、日々の生活は予想以上にハードでした(笑)。
ー ほかにも、人と出会う方法はあったんでしょうか?
山本 旭川市内にたまり場みたいな場所があったんです。奥がライブハウスで、手前がバーになっている「ボーフラ」っていうお店で。週2日だけ、大皿でお料理が振舞われる日があって、音楽好きとかカルチャー好きが集まるんです。そこでの出会いも多かったですね。
ー 人との出会い方も、東京とはまた違うんですね。
山本 東京だと音楽もファッションも、すべてジャンルで分断されているじゃないですか。ジャンルによって集まる場所が違ったり。でも、「ボーフラ」にはパンク好きも、ヒップホップ好きも、ハードコアの人もいてみたいに、ジャンルの隔てがなく人が集まっているんですよ。それも、なんだか新鮮でした。
ー 小さな街だと、そうした分断はないかもしれないですね。もっと大きなくくりで集まるというか。
山本 そうなんです。あと、滞在してしばらくすると、「何時に、佳代さんが来るよ」みたいな話もされていたみたいなんです。その頃はたぶん、街で一番有名人だったんじゃないかな(笑)。そうして、みんなが自主的に会いに来てくれてたところもあります。
ー 山本さんはそもそも、なぜ写真を始められたんでしょうか?
山本 中学生ぐらいから写真が好きで、修学旅行とかで撮影してたんです。それをクラスの子達みんなが欲しいって言ってくれて。その喜びを体験してから、ずっとカメラを持ち歩くようになりましたね。
ー それが、フォトグラファーの原体験になったんですね。
山本 そうです。大学に入ってからは、写真部で現像なんかも勉強したり、より一層のめり込むようになっていって。でも、卒業後はカメラマンになるなんて考えも及ばず、レコード会社に就職しました。
ー レコード会社でも撮影をされていたんですか?
山本 いや、全然です。あるとき宣伝部に異動になって、取材を取り仕切る側になり、カメラマンと接する機会が増えていったんです。そのときに「本当は私、こっちをやりたかったんだよな」って気付いて。だけど、いまさらアシスタントについたりは難しいななんて考えていたときに、東日本大震災が起こったんです。そこで、自分が後悔しないように生きなきゃと思って、会社を辞めて独立しました。
ー いきなり仕事は来るものでしょうか?
山本 レコード会社にいたこともあって、コネクションだけはあったんですよね。皆さんのやさしさでちょこちょことお仕事をいただけるようになって。だからいまも、アーティストやライブ写真を撮ることが多いんです。
ー そうしたクライアントワークとは違って、今回の『満塁』では一般の方が被写体になっていますよね。出会ったすべての方を撮影するってわけにはいかないと思うんですけど、撮る撮らないの基準ってあったりするんでしょうか?
山本 私も興味があるし、向こうも私に興味を持ってくれているっていうのが分かった時かな。お互いに想いが通じ合ってる人を撮影していた気がします。
ー 『満塁』制作時で、一番思い出深いエピソードはありますか?
山本 一番というのは難しいですけど、ハマっていたのが男の子3人組です。『3人のたばこ』ってユニットで。
山本 写真右からタトゥーを彫っているFLATくん、真ん中が茨城から木工を勉強するために来ていた舘くん、いちばん左が古着屋で働いていたりイラストを描くすぐるくんです。みんな23、4歳くらいだったかな。彼らは、今後も撮り続けたいなと思っています。
ー どこに魅力を感じたんですか?
山本 私は埼玉生まれで、東京にずっと憧れがあったし、東京が一番なんだっていう感覚でずっと生きてきたんです。だけど、彼らは別にそんな感じでもなく、自分にとって心地いい場所を旭川のなかでつくっていて。東京も旭川もフラットに見ていて、どちらにも執着していないんですよね。そういう自分の芯があって、メディアとかに流されない姿勢に惹かれましたね。
ー 写真からでも、3人がそれぞれ自分のスタイルを持っているのが分かります。
山本 東京にいなくても、これだけお洒落で、スタイルがあるっていうのが素敵ですよね。だけど早速、タトゥーを彫っている子が、東京に来るとか言い出していますけど(笑)。
ー (笑)。その揺らぎもまた、いいですね。
山本 彼には、今回の展示に合わせて、 Tシャツのイラストを描いてもらったんです。会場で販売しているので、ぜひみなさんに見ていただきたいです。
ー そもそも、なぜタイトルが『満塁』なんでしょうか? 野球は関係ないですよね?
山本 深い意味があるわけじゃないんです。とにかくもう、旭川の日々が濃厚過ぎて幸せで。心も体力も脳ミソもパンパンで「もう無理です」って感じだったので、『満塁』になりました。
ー 山本さんが命名されたんでしょうか?
山本 旭川での展示のタイトルを決めるときに、私が悩んでいることをみんな知っていて、じゃあみんなで考えよう、となったんです。その中で「私のいまの状態を野球に例えたら」という話になり、「それはもう満塁だね!」、みたいな(笑)。
ー 旭川での滞在は山本さん自身にどういう影響を与えましたか?
山本 たぶん私、東京で暮らしすぎていて、自分を守るための分厚い鎧を着ていたんです。自分を愛してあげられてなかったなって。今までは年齢を気にしたり、自分の名前も表に出さないようにしていたんですけど、それがほぐれてきた感じがします。
どうあがいても、自分は自分だから、受け入れなきゃなと思うようになりましたね。ただ、今日もなんですけど、写真を撮られるのはいまだにちょっと、苦手です(笑)。
– 会期
2022年2月18日(金)〜2022年3月21日(月)
– 場所
B GALLERY
カルチャーは現象。誰かと何かが出合って、
気づいたらいつもそこにあった。
世界各地で生まれる新たな息吹を、
BEAMS的な視点で捉えて、育みたい。
きっと、そこにまた新たなカルチャーが
生まれるから。