三重県出身の僕が
最注目する、
志摩市を紹介します!
SELECTOR

全国津々浦々を訪れてたくさんの良い場所を見てきたのですが、郷土愛も強いんです。三重県出身の僕が、特におすすめしたいのが志摩市。美しい山々とリアス海岸からなり、真珠養殖発祥の地であり、いまだに海女漁や祭りが盛んに行われている、とにかく魅力的な場所。市政20周年を記念して、<BEAMS JAPAN>でも面白いことを仕掛けていきますよ!
明治期の洋館でちょっと呑み。
志摩・波切漁港の名物干物店
GUEST PROFILE
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BRUTUSについて
1980年創刊。ポップカルチャーの総合誌。いつもとちょっと違う、新しい視点で世の中を見たり、深掘ってみたり。情報のスピードより、驚きや面白さを追い求める人に向けて、月2回の特集を発信し続ける雑誌。ウェブメディアBRUTUS.jpも。

BRUTUS編集部が三重県の志摩市へ。ガイドは〈BEAMS JAPAN〉クリエイティブディレクターで、三重県松阪市出身の鈴木修司さん。〈BEAMS JAPAN〉では自然の幸や、郷土料理などの食文化も、土地の歴史を含め幅広く紹介、展開していく、と気合十分。
>> 第一弾の記事はこちら
「ビームスの太鼓判 meets BRUTUS vol.1 真珠養殖発祥の地、志摩市」
ということで今回、鈴木さんが案内してくれたのは志摩半島の南東部、大王町の波切(なきり)漁港にある〈まるいひもの店〉。すぐそばには、岸壁にそびえたつ大王埼灯台、そして山の上(崖の上)には波切神社がある。歴史は古く、志摩は万葉集にも記された、御食つ国(みけつくに)として豊富な海の幸を朝廷に献上していた歴史あり。波切も志摩を代表する漁港のひとつとして知られている。
現在は静かな漁村だけど、かつては“波切千軒、志摩の江戸”と呼ばれ栄えたエリア。カツオ漁をはじめとした沿岸漁業が盛んで、昭和期には旅館や真珠などの土産物店、それに遊郭まで立ち並ぶ、賑やかな場所だったそう。
そんな時代の面影を残す、漁港の目の前に立つ洋館は〈まるいひもの店〉。漁港ではちょっと浮いていたであろう明治期の洋館は、太平洋側でも初期に造られた銀行の建物。過去の漁業の興盛が想像できるかもしれない。〈まるいひもの店〉の創業は1970年で、もともとは定置網の網元。未利用魚を干物にしていたことが由来なのだそうだ。
〈BEAMS JAPAN〉鈴木さんいわく「まず、他では食べられないくらい美味しい」と絶賛。「前回、来た時はちょうど店の横でサメをさばいていましたね。自由に見学させてくれるんですよ。そんな〈まるいひもの店〉は、店先のカウンターで干物を焼きつつ、ビールが呑めてしまう、という知る人ぞ知る小さな漁港酒場でもある。
店主、坂中信介さんいわく「近所の人たちが集まる、居酒屋的な場所にもなってます(笑)」。日本各地の居酒屋を回り、〈BEAMS JAPAN〉でも「居酒屋のススメ」というイベントを立ち上げた鈴木さんが、これを見逃すはずもなく、取材は干物を肴に一杯やりながら、話題は「波切の歴史」から「地域振興」へと続く……。
鈴木さんいわく、〈まるいひもの店〉の坂中さんは店の営業のかたわら、近くの空き店舗を拠点としたボランティア団体〈じゃまテラス〉を運営している。マルシェの開催や地域の高齢者の買い物サポート、地域起こし協力隊の受け入れなど、行政とも連携し、町のこれからを見据えて積極的に活動しているという。坂中さんが言うには、サーフィンの好スポットからもほど近い波切は現在、移住者が増える気配もあるという。
「波切はもともと船が入ってくる漁港ですので、昔からいろんな人たちが集まってきた場所。絵描きが住みついたり、観光客がたくさんいた時代もありました。その名残か、現在も他所からやってくる人たちへの抵抗や違和感がまったくない町。だから移住にも向いていると思います」

〈まるいひもの店〉の店主、坂中信介さん(左)と〈BEAMS JAPAN〉の鈴木修司さん。干物をかじりながら店先で呑みつつ取材。鈴木さんは終始ニコニコである。お店の営業はなんと朝8時半から。

濃厚な風味のアオサなど海藻類もこの地の名産だ。お土産にもばっちり。「干物焼きますよ」と言われたら、つい、吸い込まれてしまう。

サメのみりん干しをはじめ、太刀魚や鯛のお頭の塩漬けなども人気。

店の隣には魚をさばく小屋があり見学は自由。鮮やかな手つきで次々に魚をさばいていく様子に、つい見入ってしまう。

〈まるいひもの店〉奥には小さなギャラリースペースがある。店主の坂中さんの絵が素晴らしいと思ったら、なんと伊勢市の高校で美術を教えているという。

坂中さんたち、20名ほどで運営される〈じゃまテラス〉のスペース。地域活性の拠点となる。
波切は、海と山の起伏に富んだロケーションから「絵かきの町」としても知られている。キャンバスを持った学生たち、そして漁を行う海女たちが交じる風景は波切の日常、というのが、この土地ならでは。なんと波切漁港には「海女専用」の駐車場も。聞けば、志摩をはじめ三重県は海女さんが全国で最も多い地域。減少傾向にあるとはいえ、専業ではない方も含めると現在500名ほどの海女が活躍しているそうだ。海女文化の話も気になって、聞きに行くことにした。

〈まるいひもの店〉の前にも、「海女専用」の看板が。
伝統漁法を今に伝えるレジェンド海女を訪ねて〈海女の庭〉へ
志摩市、御座白浜にもほど近い〈海女の庭〉は2024年3月にオープンしたお食事処。48年間、海女として活躍してきた現役のレジェンド、山下真千代さんらによって運営されていて、漁から戻ってきた後に体を温める海女小屋がある。食事も楽しみつつ、真千代さん自身が海に潜る実演があり、海女文化を広く知ってもらう活動をしている。海外のツーリストたちにもひそかに人気だ。
志摩の海女には2,000年もの歴史がある。この地で、伊勢海老やアワビ、ウニなどを自身の体ひとつで獲ってきた海女は御食つ国・志摩の立役者だといえる。しかし近年は磯焼けにより海藻もかなり減っていて、それが原因で海の幸が獲れにくくなっている現状がある。そこで海女のリアルな文化を後世に伝えるために、この〈海女の庭〉をつくったのだそう。
「海女になるには素質がないと難しい」と話す真千代さん。だけど、後継者を育てるために自身のテクニックを伝授し続けている。いわく、限られた時間内での海中の動きは、経験、技術、勘がすべてだ。
〈BEAMS JAPAN〉鈴木さんは「文化を伝えていくための考え方だけでなく、海女のお仕事は僕らも勉強にもなります」と興味津々。御年75歳、とにかくパワフルな真千代さんからは海女のサバイブ術、いや、どんなジャンルの仕事にも役立つ金言が飛び出す。
「考えてる暇はない。伊勢海老を見つけたら、まずはにらめっこ。すると向こうが警戒して動き出す。その2歩目で胴体を掴む。すべては間合い、タイミング」
「経験を積む必要があるけど、潮の流れの変化を読み取る勘が大事。海中で流されないために、海藻をつかみながら波陰に隠れる。でも、その隠れている間にもサザエを獲るのよ。人の3倍を稼ごうと思ったら、身を守りながらも収穫する。それくらい効率的にやらないといけない」
「いつだって次のアクションを考える。息を残した状態で上がってこないと、すばやく次の動きに移れない。水面に上がりながらも次の獲物を探しておくのよ。周りからは“あんたの頭の中にはコンピュータが入っとるのか?”と言われるけど(笑)」
「真千代さんは観察眼が鋭いと思います。海女の仕事を簡単に話されますけど、普通の海女ではかなり難しいこと。流れの強い海の中で、ピンポイントで自分の位置を把握できる。海の状況を考えて先を読みながら動くことができる。戦国時代だったら武将で天下統一していたと思います(笑)」。そう話すのは隣町で海女をしている新井圭織さん。
新井さんは「自然が生んだ余剰を食べさせてもらう。そんなサイクルのライフスタイルに憧れてこの世界に飛び込みました。自然と人はどうやって付き合っていくのか? それを体感したい」と大阪から移住し転職。現在、海女歴10年目で三重県の漁村女性アドバイザーでもある。
自身がプレイヤーで、かつ志摩の海女文化を継ぎ、広めるための活動を行っている頼もしい存在だ。磯焼けの要因であるウニ科のガンガゼの駆除などを行い、志摩の海が改善されることで、海女さんの活躍の場がこれからより増えることを望んでいる。
鈴木さんは志摩の海の幸を、〈BEAMS JAPAN〉を通じて広めたいと思っている。日々、その土地ならではの自然の幸と周辺文化をリサーチし、商品を開発に勤しんでいる。志摩でも海藻をスナックのように楽しめる商品を企画したり、美味しいお菓子や、ユニークなプロダクトをつくったり。その成果は全国のお店で見られるのでぜひ足を運んでもらいたい。