COMMUNITY JOURNAL

BEAMS HISTORYビームスのこれまで。
ビームスのこれから。

創業以来、ビームスはその時代に何を新しく提案できるかを考えながら、さまざまなムーブメントを起こしてきました。時代を象徴するトピックと共に、あのころ何があったかを振り返ります。

1976-1989
TREND TOPIC

1976-1989BEAMSの原点

まだ「セレクトショップ」という言葉すらなく、百貨店全盛のこの時代。バイヤーが厳選したアイテムが並ぶ「品揃え店」として、原宿に生まれた小さなお店がはじまりだった。

1976FIRST SHOPPING BAG

「American Life Shop BEAMS」誕生!

アメリカのライフスタイルを伝えるショップとして、アメリカ西海岸の学生の部屋をイメージした6.5坪の店舗を原宿にオープン。

1976POPEYE FIRST ISSUE

ビームスと『POPEYE』は同じ年

ビームスがオープンした数ヶ月後、マガジンハウスが出版するメンズ雑誌『POPEYE』が創刊。『POPEYE』は若い世代に新しい視点でファッションだけでなくライフスタイルを提案するメディアとして人気誌に。まだ知名度の低いビームスを見つけ、取り上げてくれた存在でもある。

1978Laforet HARAJUKU OPEN

ぼくらの街にあのビル、衝撃的だったよね

原宿のランドマークである「ラフォーレ原宿」がオープン。これまでどこにもなかった、DCブランドのテナントがひしめき、ファッションの流行発信地に。原宿テント村や竹下通りの勃興とともに、原宿はファッション好きの若者の街として確立していった。

1980BEAMS EXCLUSIVE ALDEN

アメトラを代表するあのシューズ

アメリカントラディショナルを象徴するシューズメーカー〈ALDEN〉を、ビームスがセレクトショップではじめて取り扱う。圧倒的なクオリティを持つ〈ALDEN〉は、高額にも関わらず業界人などを中心に人気を博した。以降、40年以上一度も途切れることなくビームスがオーダーし続けている唯一のブランドである。

1981TOWER RECORD SHIBUYA OPEN

カルチャーとライフスタイルは密接に

レコードショップ「タワーレコード」の2号店が渋谷・宇田川町にオープン。単にレコード、CDを販売するショップにまとまらず、音楽のあるライフスタイルの提案にまで踏み込み、カルチャーとライフスタイルが密接であることを示す存在となった。

1982Olive & CanCam FIRST ISSUE

あなたは何系だった?

女性誌でぞれぞれのスタイルを築き上げた『CanCam』と『Olive』が創刊。のちに『CanCam』は「モテ」や「愛され」などがキーワードとなるコンサバ系のファッション誌を総括する「赤文字系」の代表格に。『Olive』はファッションに限らず音楽、映画、インテリアなどのサブカル要素を含んだ独自のガーリースタイルを確立し、「オリーブ少女」という名称を生んだ。

1986International Gallery BEAMS

もうアメリカにとどまらない!

1981年、インターナショナルな感覚で、よりトレンドを意識したインポート商品を中心にスタートした〈International Gallery BEAMS〉は、当時〈GIORGIO ARMANI〉〈MARGARET HOWELL〉〈Jean Paul GAULTIER〉や〈Paul Smith〉など、さまざまなブランドを混在して紹介する、まさに“インターナショナル”な空間として注目を浴びた。

1989ROMEO GIGLI

欧米に引けを取らない早さで

ビームスが日本ではじめて〈HELMUT LANG〉〈ROMEO GIGLI〉を紹介。立ち上がって間もないころから取り扱いを開始した。メゾン系ではなく、それでいてハイグレードなブランドを、欧米に引けを取らない早さで紹介していたことも、当時のビームスの特長のひとつだった。

1989VALOR BEAMS

スタッフ内で紺ブレ大流行

〈VALOR BEAMS〉のオリジナルアイテムであるネイビーブレザーを発売。ロンドンの蚤の市で探してきたアンティークボタンをつけたことによって、通常の紺ブレにはないオリジナリティが生まれ、ビームスが得意とするトラディショナルのスタイルをオリジナルファッションに昇華させるといったデザインはスタッフ内でも大人気に。数ヶ月先、「渋カジ」の台頭で、テーラードな服をカジュアルに着こなすスタイルのアイコンとして大流行した“紺ブレ”の先駆けにもなった。

  • 1976「American Life Shop BEAMS」誕生!

    FIRST SHOPPING BAG

  • 1976ビームスと『POPEYE』は同じ年

    POPEYE FIRST ISSUE

  • 1978ぼくらの街にあのビル、衝撃的だったよね

    Laforet HARAJUKU

  • 1980アメトラを代表するあのシューズ

    BEAMS EXCLUSIVE ALDEN

  • 1981カルチャーとライフスタイルは密接に

    TOWER RECORD SHIBUYA OPEN

  • 1982あなたは何系だった?

    Olive & CanCam FIRST ISSUE

  • 1986もうアメリカにとどまらない!

    International Gallery BEAMS

  • 1989欧米に引けを取らない早さで

    ROMEO GIGLI

  • 1989スタッフ内で紺ブレ大流行

    VALOR BEAMS

  • 1976

    BEAMS創業、原宿に1号店「アメリカンライフショップ ビームス」を開店

  • 1978

    トラッドなメンズスタイルを提案する「ビームス F」 をビームス原宿の一角に開店

  • 1981

    メンズデザイナーズウェアを扱う「インターナショナルギャラリー ビームス」をビームス原宿2階に開店

  • 1984

    初のウィメンズ 単独店舗「レイ ビームス」を原宿に開店

TREND TOPIC

1990-1999知らない「生活」がたくさんあった

ショップがトレンドを発信できるようになったころ、ビームスはファッションにとどまらず新しいライフスタイルの提案へと突き進む。取り扱い領域も増え、個性的なレーベルも生まれていった。

1990SHIBUYA KOEN DORI

みんな渋谷に集合ね

DCブランドのカウンターカルチャーとして生まれた「渋カジ」スタイル。「渋カジ」から派生した、紺のブレザーに軍パンやジーパン、ローファーをコーディネートする「キレカジ(キレイめのカジュアル)」スタイルは、ビームスがパイオニアの一人である。

1990HUSKY

いまや当たり前なアウターの着こなし

“キルティングジャケットをアウターとして着用する”というスタイルが知られていなかった時期に、ビームスでは〈HUSKY〉のキルティングジャケットを取り扱い始め、のちに〈LAVENHAM〉を通じて広く世に浸透させた。着こなしとしては、テーラードジャケットと合わせる英国式を提案した。

1990MADDEN

新しいアウトドアの定番をつくる

ビームスではアウトドアブランドの扱いにおいて、すでに知られた老舗だけではなく、オーセンティックであろうとする新鋭のブランドを、“新たなクラシック”という見立てで積極的に紹介。その象徴が〈GRAMICCI〉のパンツと〈MADDEN〉のバックパックだった。

1991EMILIO PUCCI

何度でも新しい角度で見ています

〈柳宗理〉や〈MARIMEKKO〉同様、ビームスが再評価することで一躍日本で日の目を浴びたブランドの代表的なひとつが〈EMILIO PUCCI〉。エミリオ・プッチ自身が存命だった1991年から、1960年代の〈EMILIO PUCCI〉の商品を再評価し取り扱いを始めた。当初すぐには売れなかったが、その後、かなりの時間を経て誰もが知るブランドとなっていった。

1994SORI YANAGI

かっこいいじゃん、民藝品!

〈fennica〉の前身である〈BEAMS MODERN LIVING〉がスタートし、民藝品にいち早く注目。現在の〈fennica〉のコンセプトである“クラフトとモダンデザインの融合”といったスタイルがポピュラーになった背景には、この時期にビームスがさまざまなブランドを再評価しリスタイルしたことが大きく寄与している。

1995HIGH-TECH SNEAKERS

びくびくしながらも履いたもんだ

90年代は高い機能性と近未来的なデザインを兼ね備えたスニーカーがブームに。なかでも〈NIKE〉が発売した「エア マックス95」は“イエローグラデ”と呼ばれるカラーリングが人気を博し、日本ではプレミア価格がつくほどに。あまりに手に入らないことから盗難・強奪事件が起こり「エアマックス狩り」という言葉が生まれるほどの社会現象となった。

1995BEAMS EXCLUSIVE RED WING

裏原文化に一石を投じて

裏原宿文化が日本中を席巻し始めた時代、原宿の表通りに店を構えるビームスは、時流から外れた印象を持たれかねない状況だったが、そんなイメージを尻目に〈RED WING〉に別注したブラックのアイリッシュセーターやプレーントゥシューズが裏原系にも人気となりストリートファッションの一翼を担うことに。

1996NICK ASHLEY

フリースなのにサマになる

ローラ・アシュレイの息子が立ち上げたブランド〈NICK ASHLEY〉のフリースを用いたテーラードジャケットが大ヒット。当時の日本では海外で名を馳せていないブランドはすぐには売れなかったが、「ハイパフォーマンス&ローメンテナンス」というコンセプトでベーシックかつアクティブなメンズファッションを提案したことが日本でも多くの支持を集めた。

1999BEAMS EXCLUSIVE WILD THINGS

“クレイジー”を着こなす

複数の色や柄をアトランダムに配した“クレイジー”は1980年代からビームスの十八番で、さまざまなレーベルの別注品としてオーダーされた。1990年代は、こういったビームススタッフ内の流行と、実際に商品が売れ始めるタイミングにタイムラグがなくなり、ファッションに興味のある若者がビームスに集まってきた時期でもあった。

  • 1990みんな渋谷に集合ね

    SHIBUYA KOEN DORI

  • 1990いまや当たり前なアウターの着こなし

    HUSKY

  • 1990新しいアウトドアの定番をつくる

    MADDEN

  • 1991何度でも新しい角度で見ています

    EMILIO PUCCI

  • 1994かっこいいじゃん、民藝品!

    SORI YANAGI

  • 1995びくびくしながらも履いたもんだ

    HIGH-TECH SNEAKERS

  • 1995裏原文化に一石を投じて

    BEAMS EXCLUSIVE RED WING

  • 1996フリースなのにサマになる

    NICK ASHLEY

  • 1999“クレイジー”を着こなす

    BEAMS EXCLUSIVE WILD THINGS

  • 1990

    初の飲食業態「ルーセントカフェ」を「ビームス 福岡」に併設

  • 1993

    初のコンセプトショップ「ビームス 東京」を渋谷に開店

  • 1996

    飲食業態「タイム カフェ」を併設、クリエイターの家具、雑貨、洋服もセレクトする「ビームス タイム」を渋谷に開店

  • 1997

    「B・E」を渋谷に開店

TREND TOPIC

2000-2009ぼくらのカルチャーをつくる

目利き集団としての信頼を得たビームスは、豊かな人材と企画力をもって新しい文化を生む「カルチャーショップ」をめざし始める。ジャンルの垣根を超えたコラボ商品開発も勢いを増していった。

2000IRONY

ガーリーなモードに方向転換

MAGOこと南馬越一義がレディース部門のクリエイティブディレクターとして抜擢されたことでベーシックなスタイリングに定評のあった〈Ray BEAMS〉が方向転換。〈IRONY〉〈COSMIC WONDER〉〈X-girl〉など、いわゆる“ガーリー”な方向に大きく舵を切った。

2001BEAMS EXCLUSIVE LEVI'S®

人気メーカーと手と手を取って

ビームス25周年を記念するアイテムとして、当時すでに確固たる地位を確立していたグローバルブランドである〈LEVI'S〉とのコラボレーションが実現。日本人の体型に一番合うと言われている「505」を、一度色を落として黒を入れ、アタリを入れるという3回の工程をかけて作り出した力作。ペイント具合も◎なのだ。

2002POULSEN SKONE

わたしだけの一足を

ドレスウエアをはじめとする、大人の装いを提案する大型コンセプトショップ〈BEAMS HOUSE〉がオープン。カジュアルイメージだけではないビームスを打ち出した。もとよりビームスは1990年代から〈POULSEN SKONE〉のビスポークシューズの受注会を行っており、“ビスポーク”という言葉を日本に浸透させた企業のひとつであると言っても過言ではない(2006年に受注会は終了)。

2005FAST FASHION

はやくはやく! はやすぎる!?

〈BANANA REPUBLIC〉日本初出店を皮切りに、最新の流行を取り入れながらも低価格で、展開のサイクルが早いファストファッションが日本でもブームに。2008年に〈H&M〉、2009年に〈Forever21〉が日本に初上陸し、よりいっそうファストファッションブームが加速していった。

2005TOKYO GIRLS COLLECTION

リアルクローズの最前線

「日本のガールズカルチャーを世界へ」をテーマにした史上最大級のファッションフェスタ『東京ガールズコレクション』がはじめて開催された。プレタポルテではなく、日常で着られるリアルクローズを発信するファッションショーとして誕生。第1回目にはビームスも協賛企業として参加した。

2008iPhone 3G RELEASE

あれはデジタル革命だった

Apple社の製品であるMac、iPodが日本でも浸透してきたなか、iPhone3Gが日本上陸。直感的な操作で使いやすく、パソコン同様の利便性を備えたスマートフォンの登場によって、コミュニケーションの在り方が大きく変わっていくこととなった。

2008TOKYO CULTUART by BEAMS EXCLUSIVE M1GO

カルチャーを生み出せ

文化と芸術という視点から領域を広げ、日本のアート、カルチャーを東京から世界に向けて発信するプロジェクトとして〈TOKYO CULTUART by BEAMS〉が始動。アーティストやクリエイターとともに“生み出す”ことに力点を置いた。

2008FIRST WEB SITE

ECサイトなんて言葉もなかったなあ

iPhone3Gの発売だけでなく、Facebook、Twitter(現X)といった大型SNSの日本語版サービスがスタートした2008年、ビームス公式WEBサイトがローンチ。ブランドサイトとして自社でコンテンツを制作運用。デザインスタジオ〈TWOTONE〉によるWebサイトは斬新で先進的なUIであった。

2008Kodomo BEAMS EXCLUSIVE STRIDER

“私”がビームスの子ども服がほしい

2006年に短時間勤務制度が採用され、その年に復職した初代こどもビームスディレクターが「ビームスにも子ども服があればいいのに」という想いからスタート。当時「ファッションの最先端を扱うビームスには合わない」という意見もあったなか、徐々に子どもを持つスタッフたちから賛同の声が広がり、2008年に代官山に出店した。

  • 2000ガーリーなモードに方向転換

    IRONY

  • 2001人気メーカーと手と手を取って

    BEAMS EXCLUSIVE LEVI'S®

  • 2002わたしだけの一足を

    POULSEN SKONE

  • 2005はやくはやく! はやすぎる!?

    FAST FASHION

  • 2005リアルクローズの最前線

    TOKYO GIRLS COLLECTION

  • 2008あれはデジタル革命だった

    iPhone 3G RELEASE

  • 2008カルチャーを生み出せ

    TOKYO CULTUART by BEAMS EXCLUSIVE M1GO

  • 2008ECサイトなんて言葉もなかったなあ

    FIRST WEB SITE

  • 2008“私”がビームスの子ども服がほしい

    Kodomo BEAMS EXCLUSIVE STRIDER

  • 2000

    「ビームス ニューズ」を原宿に開店

  • 2002

    Tシャツに特化した「ビームスT」を原宿に開店

  • 2002

    大人の装いを提案する大型コンセプトショップ「ビームス ハウス」を丸の内に開店

  • 2002

    「ビームス ストリート」を池袋に開店

TREND TOPIC

2010-2023この指止まれでコミュニティに

SNSによって「個」の時代が確立し始めるなか、ビームスは「個」から生まれた熱が「コミュニティ」を形成し、さらに社会へ波及していくと確信。「コミュニティブランド」として更なる創造へ向かう。

2010FIRST APP

はじめてのツイート、なんだっけ

ビームスが公式Twitter(現X)アカウントを開設。同年、公式アプリをローンチ。公式アプリには世界主要国の時刻を見ることができるワールドクロック機能や、ショップ検索ができるストアロケーター機能などが搭載されていた。

201135th CAMPAIGN

ね、「恋をしましょう」

3.11東日本大震災を経て、ヒト・モノ・コトとのつながりをあらためて意識したビームスが、35周年キャンペーンとして「恋をしましょう」という印象的なコピーを打ち出し、さまざまなコンテンツを展開。人や洋服との出会いが生活にもたらす喜びやときめきを「恋」の場面を通して表現した。

2016BEAMS JAPAN EXCLUSIVE CHUGAI TOEN

刺激的な出会いは(当たり前だけど)日本にも

“日本”をキーワードに“モノ、コト、ヒト”をキュレーションするプロジェクト「BEAMS TEAM JAPAN」がスタート。アメリカをはじめとする海外のカルチャーやライフスタイルを日本に伝えてきたビームスが、日本に目を向けたプロジェクトをスタートさせたことが話題となる。

2017BEAMS COUTURE

デッドストックってどうなってるの?

ビームスの倉庫に眠るデッドストックアイテムを中心に、手仕事によりアップサイクルすることで、新たな価値を持った一品へとよみがえらせるレーベル〈BEAMS COUTURE〉が始動。アップサイクルという考え方が浸透していなかった当時、先進的な取り組みとして注目を浴びる。

2018Ziploc® × BEAMS COUTURE Collaboration

こんな使い方もあったんだ

〈BEAMS COUTURE〉が食品保存袋として広く知られている〈Ziploc®〉とコラボレーションし、スペシャルアイテムを発売。ファッションアイテムでもないプラスチック・バックとのコラボで、新しいアップサイクルを提示した。

2019BEAMS GOLF

いいでしょ?これ、ゴルフウェア

従来のゴルフウェアにビームスならではのストリート感覚を取り入れ、機能性とファッション性を両立させた、ビームス初のスポーツレーベル〈BEAMS GOLF〉。2019年の『AIG全英女子オープン』にて優勝した渋野日向子選手が〈BEAMS GOLF〉のウェアを着用していたことでも注目を集めた。

2020“AITAI” MOVIE TRILOGY

「会いたい。」って伝えてみよう

新型コロナウイルスのパンデミックにより人と人が距離を取らざるを得なくなった日常の中で、ビームスはメッセージとして「会いたい。」というコピーを打ち出した。35周年の「恋をしましょう」キャンペーンも手がけた高崎卓馬さんがクリエイティブディレクターを務め、ビームスのスタッフが出演するWEB動画の3編を公開した。

2020Y2K FASHION

まわるまわる時代はまわる

2000年前後のファッションリーダーであったブリトニー・スピアーズやパリス・ヒルトンなどの海外セレブが着ていたタイトなTシャツにローライズのデニムといったファッションに加え、当時の日本のギャルファッションが「Y2Kファッション」として再注目。1990年代半ばから2010年代序盤に生まれた年齢層のZ世代の間でブームとなった。

2020BEAMS ARCHIVES

積み重ねをカタチに残して

ビームス創業50周年に向けて、自社アーカイブズ事業「BEAMS ARCHIVES」を2020年にスタート。約420点のアーカイブ品を展示する専用スペースを設置(一般非公開)。さらにビームスが辿ってきた歴史やファッションをビームスのキーマンに聞くポッドキャスト番組を開始。創業から育んできた企業文化を未来につなげる活動をはじめた。

  • 2010はじめてのツイート、なんだっけ

    FIRST APP

  • 2011ね、「恋をしましょう」

    35th CAMPAIGN

  • 2016刺激的な出会いは(当たり前だけど)日本にも

    BEAMS JAPAN EXCLUSIVE CHUGAI TOEN

  • 2017デッドストックってどうなってるの?

    BEAMS COUTURE

  • 2018こんな使い方もあったんだ

    Ziploc® × BEAMS COUTURE Collaboration

  • 2019いいでしょ?これ、ゴルフウェア

    BEAMS GOLF

  • 2020「会いたい。」って伝えてみよう

    “AITAI” MOVIE TRILOGY

  • 2020まわるまわる時代はまわる

    Y2K FASHION

  • 2020積み重ねをカタチに残して

    BEAMS ARCHIVES

  • 2011

    初のスポーツレーベル「ビームス ゴルフ」をスタート

  • 2012

    「ビームス ライツ」をお台場に開店

  • 2012

    「ビームス&ウィンズ」、「ビームス&ウィンズ ゴルフ&ランニング」を有楽町に開店

  • 2012

    多様なライフステージに寄り添う「ビーミング ライフストア by ビームス」をららぽーとTOKYO-BAY に開店

ABOUT
OUR FOUNDER

創業者 設楽悦三について

ビームスは1953年、創業者 設楽悦三が新宿区大久保に段ボールケース及び各種パッケージの製造販売を行う「新光紙器株式会社(現在新光株式会社)」を開業したことに始まります。1970年代に入るとオイルショックの影響から事業を多角化することになり、1975年に「日本の若者の風俗・文化を変えよう、その旗頭になろう」という想いをもとに、新規事業としてアパレル事業部を開設しました。その後、1976年に東京の原宿に僅か6.5坪の店舗を構え、アメリカの洋服や雑貨を売る「American Life Shop BEAMS」を開業します。

ファッションを通して人々が幸せに生きることを願い、それまでになかった文化を生み出したいという思いからスタートしたビームス。新光株式会社の社是「絶えざる前進」には設楽悦三の想いと、未来へのビジョンが詰まっています。なかでも三つ目の信条である「ここに働く人が ここに関係ある人が 幸福になる会社にしよう」という一文は、現在に至るビームスの原点と言っても過言ではありません。悦三の想いは今の社員へと脈々と受け継がれ、現在のビームスが掲げるビジョン「Happy Life Solution Communities」へとつながっています。

新光株式会社 社是

「絶えざる前進」

  1. 我々は良品を少しでも安く
    需要者に提供しよう
  2. 和の精神を尚び 
    常に創意工夫を重んじよう
  3. ここに働く人が ここに関係ある人が 
    幸福になる会社にしよう