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世界中を魅了し続ける怪獣、ゴジラ。1954年に1作目が劇場公開されて以来、数々の名作が生まれてきました。なかでも熱狂的なファンが多いのが、シリーズ11作目の『ゴジラ対ヘドラ』です。2021年に公開50周年を迎えたことを記念して、<トーキョー カルチャート by ビームス(TOKYO CULTUART by BEAMS)>では、ポップアップストアとコラボレーションアイテムを制作しました。アニバーサリーを祝うべく本イベントに参加してくれたのは、ロッキン・ジェリービーン(Rockin’Jelly Bean)さんと寺田克也さん。親交が深いからこそ繰り広げられた軽快なトークで、お二人にとっての『ゴジラ対ヘドラ』、今回の作品についてをお届けします。
1990年に活動を開始した覆面のローブローアーティスト。ガレージバンドシーンのフライヤーや、レコードジャケットで人気を博し、海外にも名前を轟かす。2004年には、自身の作品やグッズなどを取り扱うショップ「EROSTIKA」を原宿にオープンした。3人組のインストゥルメンタル・バンド、Jackie & THE Cedricsではベースを担当する。
漫画家、イラストレーター。ゲームやアニメのキャラクターデザイン、器にイラストをあしらった「寺田器」など活動の幅は広く、国内はもちろん、海外にもファンが多い。代表作に漫画『西遊奇伝大猿王』や『ラクダが笑う』、画集には『寺田克也全部』など。キャラクターデザインでは、ゲーム『バーチャファイター2』などを手掛けた。近著は『寺田克也SKETCH』。
ー お二人は、いつからのお付き合いなんですか?
ロッキン・ジェリービーン(以下、RJB) あまり公の場で言う機会無かったんですが実は自分達、いとこ同士なんですよ。昔から絵が上手な“カツヤ兄ちゃん”って呼んでて、いつも背中を追いかけていました。ぼくが上京してきてからもよくご飯とか連れて行ってくれて、お世話になっていました。
寺田 …んー、それ、全部嘘ですよ!
RJB ダメじゃないですか、言っちゃ! まあ、オレが昔から背中を追いかけてきたのは本当です。寺田さんの絵が好きで、寺田さんが描く漫画も読んでいました。いつまでも超えられない目標のひとりです。
寺田 それで言ったらオレも。ジェリービーンは、オレが描こうとしている絵を全部描いてたなー。
RJB え!? それはありえない! 例えば?
寺田 『発狂する唇』とか。
RJB それを言ってくれるのは、レアですね! ずいぶん昔なんですが、『発狂する唇』というホラー映画のポスターを描かせてもらったことがあったんですよ。
寺田 ロッキン・ジェリービーンと書いてあったから、最初は海外の人だと思っていたなー。国籍も年齢も分からないから、ずっと遠い存在でした。作品を観て刺激をもらっていて、すごく影響を受けていましたね。ああいうエロい女の子を描く人を見たことなかったので、参考にしようって。オレは女性を描くのが苦手だったから…。
RJB 女の子を描くのが苦手だったなんて、信じられます? でも、本当に嬉しいです。けど寺田さんは、『激漫』(ワニマガジン社)の表紙でセクシーな女の子いっぱい描いていたじゃないですか。あの時はどういったテンションで描いていたんですか?
寺田 『激漫』というエロ漫画雑誌の表紙を毎月描いていたんですけど、それまではかわいい女の子を描くのは照れがあって避けていたんですよ。でも、表紙だから訴求する表情を描かなきゃいけなくて。オレの中では、当時、リアルと漫画の境界を描いていたのがジェリービーンや村田蓮爾だったから、魂をコピーさせてもらっていました! それでオレも、女の子を描いてもいいのかな、と思うようになったんですよ。
RJB それを観て、オレも勉強して描いていましたからね。
寺田 結局、そうなんだよね、影響しあう。海外の作家も、こっちが参考にしていたら、向こうもオレのことを知ってくれてたりね。
RJB 好きなものが似ていると、会ったことがなくてもシンパシーを感じますよね。
寺田 それは、どうしても作風に出てしまうものだと思います。
ー 話が盛り上がりすぎて入る隙がなかったです(笑)。では、本題の『ゴジラ対ヘドラ』のお話を。初めて観たのはいつごろでしたか?
寺田 ゴジラシリーズをきちんと観たのは二十歳を過ぎてから。映画館に行く習慣のない家庭だったので、子どものころに劇場で『ゴジラ対ヘドラ』を観ていないんですよ。でも、本で観てて、もちろん当時から知っていましたよ。写真でヘドラを観て、想像するだけでもおもしろかった。
RJB うちもゴジラを観に行く家庭じゃなかったから、同じく友達の家にあった本でヘドラを観ていました。最初に『ゴジラ対ヘドラ』を観たのは20代。絵描きの仲間のあいだで、『ゴジラ対ヘドラ』は異色だと話題になって。怪獣映画としてではなく、サイケデリックな側面から入りました。
寺田 子どもの頃に映画を観ていたら、あのサイケデリックな映像を受け入れられなかったかもしれないね。
ー 1971年公開という時代性もあって、サイケデリックな要素やヒッピーカルチャーといった部分も感じる作品ですよね。
RJB 公害をテーマにしていて、かなり時代性が強い作品だと思います。
寺田 一周回って、現代の環境問題ともリンクしているようにも感じますね。そういった意味では、現代版のヘドラを観てみたい。
RJB おもしろそうですね! 現代版のヘドラ。
ー 印象に残っているシーンはありますか?
RJB バーのシーンですね。都会には、あんなにきれいな姉ちゃんが踊っているお店があるんだ!って子どもの頃に、写真を観て思ってた。あとはゴジラがヘドラの目玉をくり抜くところね。
寺田 あの残酷な描写ね。オレはヘドラの造形が印象に残っています。ヘドラの形態が変わっていくのもいい。だから、今回の作品にはヘドラの4形態を描いてみました。
ー ヘドラは、ゴジラシリーズに登場する他の怪獣の中でも異質な印象ですよね。
寺田 縦になっている赤い目なんて、子どもは怖がりますよ。でも、ドロドロしているシルエットにその目を描くだけでヘドラになるからすごい。
RJB 確かに。あまり意識していませんでしたが、縦になっている目って、他にあまり思いつきませんね。
寺田 そこもまた、サイケっぽいデザイン。日本は延々と、怪獣や怪人を生み出し続けていて、そのデザインが素晴らしい。アメリカなら怪獣を人型や恐竜型や昆虫型など、存在するものを大きくしているイメージです。でも、日本の場合は少し違ったデザインに仕上がっていると思う。
RJB そうですね。日本の怪獣には芸術性を感じます。
寺田 ヘドラは怪獣としては異質なデザインだけど、それをスッと受け入れられるのもすごいところ。それに、ヘドラって名前もいいよね。
ー 寺田さんは、映画『ゴジラ FINAL WARS』でモンスターXをデザインされました。ゼロから怪獣をデザインするのはやはり難しいものですか?
寺田 商業作品なので、観る人ありきでデザインしなければいけません。完全に空想のものをデザインすると、観る人は付いていけなくて、理解できなくなってしまう。だから、現実に存在するものを少しだけフックに使うテクニックもあるんです。単純に犬をそのまま巨大化させるのではなく、犬の要素を少し入れるだけで、犬っぽい怪獣として受け入れてもらえる。みんなが持っている共通認識をどこかに入れると、少しだけ親和性が上がります。
ー そんな中、ヘドラはヘドロがモチーフで、一見して分かりにくい造形です。それでもヘドラにファンが多いのは、デザインが優れている証拠なのかもしれませんね。今回『ゴジラ対ヘドラ』をテーマに描いていただきましたが、お互いの作品を改めて観て、いかがでしたか?
寺田 あいかわらず構成がかっこいいと思いました。パッと観ただけで迫るものがあります。
RJB そう言っていただけると、本当にありがたいです。
寺田 これで何色使っているの?
RJB 13色ですね。だから、シンプルなビジュアルなのに、いつも以上にシルクスクリーンの版をつくる作業に時間がかかってしまって。寺田さんの20倍くらいの時間がかかりましたよ(笑)。
寺田 失礼だな! 3年くらい掛かったよ。
RJB 3年って(笑)。ポップアップのビジュアルが完成するまで寺田さんの作品を観ていなかったんですが、観たらヘドラがカッコいいし、女の子はかわいい。やられた〜、さすがだなと思いました。
寺田 色が対照的だから、二つ並べて飾ってもらいたいですね。
ー では、お二人にとってゴジラとはどういう存在なのでしょうか?
RJB 現実でも、ビルの影からゴジラが出てくるんじゃないかと思わせてくれるところがいい。ゴジラが街をめちゃくちゃにしてくれるデストロイなところも好きですね。想像を巡らせてくれる、夢のような存在です。
寺田 オレもそう。ゴジラは現代社会に出てくる怪獣だから、いろんなものに置き換えることができると思います。圧倒的な力の象徴として、唯一無二の存在。ジェリービーンが言ったように、街中に出てきそうと思わせてくれる怪獣は簡単につくることができませんし、ゴジラに代わる怪獣はなかなか現れない。そんなキャラクターを描いてみたいなと、ふとビルの向こうを眺めるたびに思ってしまいます。
カルチャーは現象。誰かと何かが出合って、
気づいたらいつもそこにあった。
世界各地で生まれる新たな息吹を、
BEAMS的な視点で捉えて、育みたい。
きっと、そこにまた新たなカルチャーが
生まれるから。