AKANKO and AINU
写真 : 和田裕也/編集 ・ 文 : 小澤匡行
自然の神秘を感じることができる
道東の阿寒湖温泉街には
アイヌの尊い文化が継承されています。
祖先の教えを受け継ぎ、自らをとりまく
すべてとの調和と
共生を目指すことで
確立された工芸の独自性に注目しました。
選ばれた作家とfennicaとの協業により、
伝統に新しい価値を加えた
商品が誕生します。
Part 1
自然に囲まれた場所で受け継がれる、
ものづくりと文化
写真提供 : NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構
人間を意味するアイヌは、縄文文化を発展させた続縄文文化や擦文文化、オホーツク文化を取り入れながら、古く、鎌倉時代以降から文化を育んできたと言われています。深い山や森、川や湖で暮らす野生の動物や魚などを狩り、山菜や果実を採集してきた長い歴史において、アイヌはずっと自然と共生し、自然を敬ってきました。彼らにとっては自然界だけでなく、道具や身に付けるものなどすべてが神であり、姿やかたちをもって人間の世界に現れたものと信じられてきました。その神々を、アイヌは「カムイ」と呼んでいます。
生きるために必要な、身の回りにある衣・食・住すべてと密接に結びついた神秘的な信仰が、アイヌに多くの文化遺産や伝統芸能を残してきました。文字を持たなかったことで祖先から受け継がれてきた口承文化は、感情を体いっぱいに表現する歌や踊りを発展させ、自然への畏怖は、祭祀や儀式を欠かせないものとしました。神々との仲に立つ儀礼具や装身具は、アイヌの祈りが込められています。作りは細やかで美意識は高く、一つ一つの色や柄には、意味があります。
全域が国立公園内にある阿寒湖の南岸は温泉街であり、道東を代表する観光地として栄えてきました。ここには36戸、約120人が暮らすコタンと呼ばれるアイヌの集落があります。入り口には、見守り神でもある大きなフクロウが羽を広げて人々を迎え、傾斜のある道沿いには、20以上もの民芸品を扱う土産店や飲食店が立ち並びます。坂を登りきった先には「阿寒湖アイヌシアター イコㇿ」が2012年にオープン。ユネスコ世界無形文化遺産に登録された古式舞踊や、現代的に解釈されたプログラムなどを閲覧することができます。また、時代の流れとともに姿を消してきたアイヌの伝統的家屋「チセ」を復元した「アイヌ生活記念館」では、代々受け継がれてきた暮らしの習慣や生活の知恵を学べるなど、新しいものと古いものが混じり合うことで、文化的な背景を総合的に知ることができます。
Part 2
新しい価値を吹き込む、
作り手の美学
アイヌのものづくりは文化的で情緒的であり、生活に根ざした素朴な民芸品とはまるで考え方が異なります。多くのアイヌの人々にとってそこに商売の概念はなく、彼らが彼らであり続けるために必要なものを、親や祖父母、地域の人々を見て育ちながら学びます。伝統にこだわる理由は、見えないものに向き合い、自然への深い慈愛を表現するため。文様の柄は細かくて複雑です。製作にたくさんの時間を費やすことで、大切な人への愛情と祈りを込めています。日常の暮らしの中で継承されていった、独自のものづくりの文化を、どうプロダクトとして成立させるべきか。fennicaは作り手たちと一緒に考えました。
木彫瀧口 健吾
偉大な父が残したサラダサーバーと、
新しいバターナイフ
アイヌにとって木を扱うのは男性の仕事。有名な木彫りの職人、瀧口政満さんの長男である健吾さんが、木彫を本格的に始めたのは高校を卒業してからのこと。一度は別の道を歩みましたが、再び阿寒湖へと戻り、今は亡き父が残した「イチンゲの店」を支えています。
今回のために製作したのは、店に吊るされていた父が作っていたサラダサーバー。少し北欧らしさを感じる、シンプルで丸みがあるデザイン。そしてアイヌの文様を持ち手に入れたバターナイフ。アイヌの女性が何よりも貴重だった針を入れ、肌身離さず持ち歩き、紐で首からぶら下げたりもした仕事道具の「チシポ」を、アクセサリーとして提案。さらに立ち姿に心が和む、新しい木彫りの熊を製作しました。
「できるだけ細かく、その中で個性を表現することを心がけています。中でもくるっとした「モレウ」の文様が好きで、いつも思い浮かべるのはアンモナイト。銀河系も同じことですが、渦のあるところには力が宿ると言われています。サラダサーバーはアイヌの民具によくみられるイチイの木を使いました。柔らかく、彫りやすいのが特徴です。バターナイフはエンジュを使うことが多いですが、今回は白樺を選びました。この近くには、木を手に入れる木工所がたくさんあるので、気になる素材はすぐに買って、使い勝手を試しています」
チシポの針を入れる布の刺繍は、健吾さんの母によるもの。サラダサーバーと同じイチイの木を使い、先端には鹿の角を使用しました。刺繍や織物が生活の一部でありながら、金属文化を持たないアイヌにとって、針は交易のみで手に入れる貴重な存在でした。その昔は、針一本と3枚のキツネの毛皮、もしくはクマの毛皮一頭分と同等の価値をもっていたそうです。
「60年も木彫をしていた父には手が届きませんが、続けることで自分にも新しい何かが生まれるかもしれない。難しいことを考えず、好きなようにやっていくことも大事だと思うようになりました。もともとアイヌの世界にバターナイフがあった訳ではないし。その中で伝統も学んでいきたいと思います」
織物郷右近 富貴子
素材集めから始まるブレスレットは、
伝統の刀下げ帯を応用
手芸が好きだった母がお店を営んでいた影響で、小さな頃からものづくりが身近にあった郷右近富貴子さん。子供の頃は、毎年母が編んでくれたセーターを着て冬を越すのが楽しみでした。「趣味として編み物を始めたのは高校生のとき。当時は木彫りをしている人が父を始め、周りにたくさんいましたので、そこら辺に落ちている木を拾って彫刻刀で遊んでいました。ものづくりの環境に囲まれたアイヌコタンでは、お店の什器づくりや改修も自分たちでしてしまう。器用な人が多いんです」
夫婦でアイヌ料理のお店を経営したり、姉妹でユニット「カピウ&アパッポ」を結成し、アイヌの唄を多くの人々に披露しています。何でも器用にこなす多才な郷右近さんには、祖母から作り方を習ったという、アイヌの伝統的な刀下げ帯「エムシアッ」を応用したブレスレットを作ってもらいました。fennicaを象徴する藍色を使った美しい色の組み合わせが、手首を彩ります。
「私が何を作れるか、色々と考えて提案しましたが、ブレスレットは誰に習ったものではなく、自分で考えた作り方だからやりがいがありました。縦糸にオヒョウ、横糸に草木染めした綿糸を使うことで、使い込むほどにしなやかになり、腕にフィットするんです」
素材だけでなく、柄にももちろんこだわりが。郷土資料館で見た、祖母に「エムシアッ」を教えた人の偉大な作品に影響を受けた4色の柄、そして伝統的な「アイウㇱ」、そしてオリジナルで考えた柄。鹿革と鹿の角も使っています。地道で、気の遠くなるような素材集めから始まり、細かな作業を経てやっと一本が完成する作品に、一つとして代わりや複製はありません。そこにアイヌのものづくりの魅力があります。
「手間のかかるアイヌの工芸品は、本来売るためのものではありません。渡したい人がいて、儀式で身につけて欲しいとか、一生使って欲しいとか、を思いながら地道に作るから、どうしても細かくなるし、時間もかかる。値段で価値をつけることがとても難しいことであることを、多くの人に理解してもらえたらうれしい」
織物下倉 絵美
美しい文様のゴザを、
自由な発想でカゴバッグに
池や湖の水辺に群生する、ガマの太い茎や葉を使った「チタラペ」(ゴザ)はアイヌの代表的な民具のひとつ。無地のものは壁にかけたり床に敷いたりして日常的に使用しますが、文様を作ったゴザは儀式の際に用いられ、儀礼具の下に敷いたり、壁に掛けて彩ります。かつて柄の部分には赤や紺などに染色したシナノキの繊維を使っていましたが、今では綿が主流になりました。いずれにせよ、人間の背丈をゆうに超える大きな「チタラペ」は、マス目に沿って配色されているかのような文様に歴史を感じるだけでなく、まるでピクセルアートのような美しさに圧倒されます。
かつては東京で生活し、東京で結婚した下倉絵美さんは、東日本大震災を機に故郷の阿寒湖で暮らすことを決めました。現在は唄い手として、アイヌ音楽を発信しています。そんな彼女も、母や祖母に教わりながら、さまざまなものづくりを日常的に楽しんできました。今回はこの「チタラペ」でカゴバッグを製作するという自由なアイデアで、難易度の高いものづくりにチャレンジ。一枚の「チタラペ」とは違い、角を作って頑丈に象る作業は、想像以上に複雑です。
「採れたガマを自分たちで乾燥させて、自分の指で割き、素材を作るところから始まります。だいたいの太さを決め、茎の青い部分を3本重ねた上に、根っこ部分、つまり水に浸かっている色の白い茎が表面に出るように重ねるのですが一本一本の厚みや太さが違うので、均一に編もうとしてもずれてしまう。今回はカゴにするため、四隅を作るのですが、素材を曲げると膨らみが出てしまい、角張らせるのが大変でした」
形を固定するために考えたのが、開口部に白樺の内皮で縁を作ること。これもまた、友人からもらった板状の白樺を剥がすことから始まります。日本だけでなく、北欧にも白樺の樹皮をつかったカゴバッグはありますが、どれも編み地がざっくりとした、素朴で柔らかさを感じるものばかり。しかし下倉さんの手織りのカゴは端正で、凛々しい姿に仕上がっています。
「魔除けの意味があると教えられてきた赤を組み合わせた伝統的な色柄だけでなく、fennicaらしい藍を組み合わせたものも作りました。ガマは茎の中がスポンジ状態なので、見た目以上に軽いんです。サンドイッチを入れてピクニックに出かけたい」
刺繍鰹屋 エリカ
阿寒湖の自然から
インスピレーションされた
色彩を文様に
伝承された法則を組み合わせるアイヌの文様には、どこか規則性を感じさせます。ベースは渦巻きを表す「モレウ」とトゲを表す「アイウㇱ」の二つ。「モレウ」には秘めたるパワーを、「アイウㇱ」には外敵や病気から身を守る魔除けの意味があると言われています。
独特の色彩感覚をもつ鰹屋エリカさんには、このアイヌの伝統的な刺繍を施した巾着と、<ロッキーマウンテン フェザーベッド>の半纏型のダウンに施した、刺繍のテープを製作してもらいました。アイヌの着物には、襟の部分にアイヌ文様を施した共地、もしくは別生地の当て布が多くみられます。生地の重なりは負荷を軽減する補強の役割があり、柄は魔物の侵入を防ぐためと伝えられています。
巾着の藍色はfennicaのアイコン。浴衣などの和装に合う色をイメージしました。柄の中には、エリカさんの祖母が身につけていたマタンプシ(鉢巻き)に刺繍されていたフクロウの模様をアレンジしたものも。フクロウ、とりわけ翼を広げると2mにも及ぶ大きなシマフクロウは、アイヌ文化にとって神。不思議な力をもち、暗い時でも目を光らせて村を守ってくれると伝えられています。
「18歳まで針を持ったことはなかったけど、母に教わるようになり、自分で描いた模様を刺繍するようになりました。四季によって色が移ろう山をいつもぼうっと眺めていて、中でも赤や緑や茶色が混ざった秋の紅葉の時期がやはり一番好きです。そうした日常が、色彩のインスピレーションになっているのかもしれません。文様は、一筆描きで表現できることが前提だから、左右対称になりやすいけど、あえてちょっと変えてみたりします」
人の手による刺繍だからこそ、どれだけ丁寧に針を進めても、機械のようなシンメトリーにはなりません。むしろ少しの歪みが揺らぎとなり、そこにエリカさんのやさしい色彩が加わることで、落ち着きを与えます。半纏のサイズによってテープの長さが微妙に異なるため、模様の大きさを少しずつ変えることで収まりがよく見えるようにこだわりました。テープは1940年代のアメリカ軍のダッフルバッグのストラップを、オリーブドラブに染色したもの。これほど分厚い布に刺繍することは、今までなかったそう。大胆かつ繊細な仕事が魅力です。
「初めてのことが多くて戸惑いもありましたが、発見も多くて楽しめました。この経験を生かして、次はベルトとかにも刺繍してみたいです」
彫金下倉 洋之 (Ague)
ジュエリーのようなシルバーに、
抽象的なアイヌのモチーフを
Agueさんは神奈川県出身のアーティスト。一度は別の職に就いたものの、ジュエリー作りへの興味は尽きることなく、専門学校の道へ。卒業後、いくつかの工房で修行した後に東京で自身のお店を構えるように。そんな頃、妻の絵美さんとの出会いがありました。東日本大震災をきっかけに移住を決意し、現在はアイヌコタンから少し離れた場所で工房とショップ、そしてこだわりのコーヒーが飲めるカフェを構えています。代表的な作品は、毛並みを精巧に表現した熊の手のリングや、アイヌの文様を取り込んだシルバーアクセサリー。驚いたことに、Agueさんがこれらを作り始めたのは、絵美さんと出会う前からだそうです。
「家族で北海道へ旅行した時に木彫りの熊を見て、欲しいと思ったときが、すべてのはじまり。学生の頃にデザインやアートのイベントに作品を出展する機会があり、自分らしさを模索して辿り着いたのが熊の手のリングでした。その後、バイクで北海道を横断している途中でふらりと立ち寄った阿寒湖で、木彫家の藤戸竹喜さんなど、いろいろな出会いに刺激を受けて、アイヌの模様を入れるようになったんです」
伝統的なアイヌの文様にアレンジを加えた抽象的なモチーフは、妻の絵美さんから教わることも。細やかで正確無比なAgueさんの作風に、絵美さんの自由でおおらかな感性が加わりました。あえて隙の残すようなヘアラインの仕上げ加工は、銀細工と彫刻の背景をもったデンマークとスウェーデンの皇室御用達、ジョージ・ジェンセンのタッチに影響を受けたという。すべてが手作りによるAgueさんの作品は、一点に多くの労力と時間を要します。fennicaでは、その魅力を生かしつつ、より多くの人の手に行き届くよう、ちょっとシンプルなデザインを提案しました。
「奥さんや奥さんのお母さんが描くアイヌ文様は、整えようなんて気がまるでない。そういう大胆なところに惹かれます。細かさを追求し過ぎると時間もかかるから、どうしても金額にも反映されてしまうと同時に、何かを表現しきれない自分に抱えていたモヤモヤとしたものも、今回のプロジェクトでよりすっきりしたというか。この発想の転換が、多くの人にアイヌの魅力を知ってもらえる機会につながるといいですね」
編物木村 多栄子
伝統的な民具の一つ、サラニプを
今に生きる形に。
アイヌの人々が山菜などの収穫物や作業道具の持ち運びに使っていたサラニプ。伝統的なサラニプは、木の樹皮から糸を紡ぎ、編んでいきます。用途によって存在する様々なかたちに、アイヌの人たちの発想の豊かさが表れています。この伝統的な民具をベースに、普段使いできるカゴバッグを木村多栄子さんにお願いしました。
若い頃から祖母や母の影響で、生活の一部として自然とアイヌ文化に触れ、ものづくりを身につけてきた多栄子さん。小学生の頃にはチシポ(針入れ)の刺繍のお手伝いを始め、高校生でオヒョウの樹皮で紡いだ糸を使う伝統的なサラニプづくりを習いました。それから麻紐を使うなど、独自のアレンジを加え、普段使いのできるものを作り始めます。二十代は半ば、国内外を旅して出会った人々が抱くアイヌ文化への強い興味に驚いたことが、今まで家族との暮らしの中で自然に身につけてきたものと、もう一度向き合うきっかけになったそうです。
「サラニプは母から教えてもらいました。今回のプロジェクトにあたり、改めてアイヌの伝統的なものづくりを見たいと旭川の博物館に行ったんです。そこで収蔵目録を見つけ、収蔵されている一部のサラニプを見せてもらいました。そこで気づいたのは、作り手が、住んでいる地域それぞれの生活スタイルによって、自由な発想でものづくりをしていたのではないかと。ひとつとして同じものはないそれらを眺めているうちに、「伝統とは何か」を考えるようになりました。」
多くの人がイメージする、底が丸く、首や肩にかけるための長い紐がついたポシェットのようなサラニプを、今回は持ち運びやすいハンドルに変えました。チシポで使われる刺繍を施した布を巻き付けたものや、エムシアッ(刀下げ帯)を取り付けたものも登場します。
博物館で見た長方形の底面の編み方を応用することで、新たにA4サイズの書類もすっぽり入る大きなサイズ展開など、トートバッグとしての機能を持たせることができました。素材にはネパールヘンプを使い、オヒョウの樹皮の糸で作られたサラニプの風合いにできるだけ近づけるように作られています。
「かつてはオヒョウやシナの樹皮から紡いで作られた糸で編んでいましたが、ひとりでも多くの方に使ってもらえるように、ネパール製のヘンプを選びました。手で撚っているから太さもふぞろいで有機的です。均一に編めない分、いい意味で味のあるものになりました。この仕事をもらってから、博物館へ行ったり、改めて母に話を聞いてみたりして、ただ物を入れるための袋なのに、遊びやおしゃれも編み込まれていることに気づかされました。その時々の用途によって変化していくサラニプ、今に生きるサラニプを楽しく作らせてもらいました。」
Part 3
ものづくりを支えるカムイ
アイヌにとって、自然界の多くのものには「カムイ」が宿っているとされています。カムイとは、アイヌ語で人知の及ばない、神のような存在のこと。だから彼らは人間に恵みを与えてくれる動植物や自然、そして普段食べているものや着ているものすべてに対して感謝の意を込め、敬意を払っているのです。このカムイに対して、アイヌはしばしば祈りを捧げます。それを「カムイノミ」と言います。代表的な大きな祭りは、コタン(集落)の長老であるエカシが祭主となり、季節の変わり目に先祖の供養を兼ねた。また、人間の世界におりてきたカムイを神の世界に送り返す「イヨマンテ」とよばれる盛大な儀式もあります。
彼らは、こういったカムイへの感謝を伝統的な工芸や織物などで表現してきました。アイヌの工芸家たちは、決して富を得るためにものづくりをしていたわけではありません。故に大量生産するものは一つとしてなく、手作りで細かい柄を描き出す。つまり精神的な信仰をかたちにかえているのです。彼らの独自性豊かなものづくりを支えるものを、最後に紹介します。
イナウは、一本の木の棒を削り出したアイヌの代表的な祭具のひとつ。そこには、カムイと先祖の間を取り持つもの、という意味が込められています。もともとイナウはアイヌの男性による仕事のひとつとされ、祭礼を控えると皆で作成していたそう。取材各所の家やお店の入り口などで見られたイナウは、売り物ではありません。「カムイモシリ」といい、儀式で祭壇に置いたり燃やすことで、神の世界に戻るカムイに渡すお土産品のようなもの。また魔除けの役割を果たしたり、家の守り神として祀るなど、用途はさまざま。
通常、イナウにはヤナギの木を使いますが、天で銀に変わると言われる白いミズキや、金に変わると信じられている黄色いキハダなども用いられます。木をしっかりと乾燥させ、彫刻刀のような小刀で薄く削ることで、枝の先に木がくるくると垂れ下がる。それは工芸品のような美しさです。
阿寒にあるアイヌコタンの周りには、まるで大自然に飼いならされているかのように、動物たちが自由奔放に暮らしています。朝や日中には鹿やキツネやリスを森で見かけたり、冬になると白鳥などに出会えることも。ちなみに阿寒では珍しいフクロウは、アイヌ語で「コタンコロカムイ」と言い、家や村を護神として崇められ、親しまれています。つまり縁起の良い、幸せを運ぶ鳥。クマと同じように、いろいろなお店では木彫りのフクロウを目にすることができます。
狩猟採集を基本とするアイヌの食文化は、飢餓に備え、寒い冬を乗り越えるために採れたての食材であっても長期間保存する知恵にあふれています。春から秋にかけて採取する山菜や果実は主に乾燥させ、温かい汁物のオハウや、炊き込みご飯のアマムといった伝統料理の具に使われます。中でも風味豊かなギョウジャニンニクは、伝染病が流行った際には村の入り口に飾られるなど、魔除けとしても活躍しました。獣肉や魚は、アイヌの生活に欠かせない囲炉裏の煙に当てて燻製に。肉や身はもちろん、内臓も塩漬けするなどして各部位に合わせた加工を施します。かつて余った皮は、寒さをしのぐための衣類や靴に使われました。いただいた命をすべて余すことなく使うことが、カムイへの感謝と、生活の手段となるからです。
郷右近好古さん・富貴子さんご夫婦による「民芸喫茶アイヌ料理の店 ポロンノ」では、祖母の味を受け継いだという昔と変わらない素材や調理方法で、アイヌの伝統的な家庭料理を食すことができます。おすすめは、鹿肉が入ったスープ、ユㇰオハウのセット。「オハウの調理方法や具材は、地域や家庭によって異なります。このユクオハウは塩と昆布のシンプルな出汁に、ユク(鹿肉)の油の味が奥深い風味を引き出してくれる。他には、ギョウジャニンニクとフキノトウ、コゴミという山菜、芋と人参が入っています。そして鮭の背わたを塩漬けしたメフンを小皿に添えて。ギョウジャニンニクと雑穀のイナキビ、そして豆を炊き込んだご飯、アマムと相性がいいんです」と好古さん。
かぼちゃとコーン、雑穀のイナキビ、金時豆、シケレベの実を煮た”ラタスケプ”もアイヌの伝統的な料理。素朴ながらしっかりとした味わいだ。
鹿肉が入った”オハウ”は、あっさりとしたスープ。炊き込みご飯”アマム”、鮭の塩辛”メフン”とセットで提供する人気メニュー。
約40年前にお土産屋から始まったポロンノ。今のスタイルは20年前から変わらない。店内にはアイヌの工芸品が所狭しと。
Information
北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4丁目7-8
営業時間 : 12:00〜15:00、
18:30〜21:00 ※冬季は要予約
TEL : 0154(67)2159
道東を代表する観光地、阿寒湖は、周囲26kmもある大きなカルデラ湖。標高1370mのピンネシリ(雄阿寒岳)、1499mのマツネシリ(雌阿寒岳)に囲まれ、太陽が覗く日はなだらかな山容を描き、美しい山肌の筋を見ることができます。また、球状のマリモの群生地としても有名で、湖に浮かぶチュウルイ島には、生態を展示する施設が平成8年に作られました。アイヌとマリモに直接的な関係はありませんが、阿寒湖や深い森や山々は、アイヌ文化を強く感じる場所でもあります。もしここに訪れる機会があれば、遊覧船に乗ってこの神秘の湖を一周するのもおすすめです。5月から11月までの運行期間中は、1時間おきに就航しており、約85分かけて18kmをゆっくりと周遊します。季節によって、天気によって、時間によってその表情を変える阿寒湖をとりまく自然とその現象は、アイヌにとってかけがいのないカムイです。
AINU CRAFTS from Lake Akan
Tradition and Innovarion
アイヌ クラフツ 伝統と革新-阿寒湖から-
新宿「ビームス ジャパン」5Fの「フェニカ スタジオ」と「Bギャラリー」にて、アイヌ文化を紹介するイベントを共催します。「フェニカ スタジオ」では工芸品を中心に本イベント用に製作したコラボレート商品を販売。「Bギャラリー」では、今では目にすることが難しいアイヌ関連の貴重なアイテムを展示いたします。
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作家紹介