私は最近、ひとつのダウンベストについて考えている。〈BEAMS BOY〉の、赤と紫が表裏になったリバーシブルのやつだ。
考えるといっても、別に哲学的な意味じゃない。ただ、朝の駅のホームでこのベストを裏返して着てみるだけで、ちょっとだけ世界の輪郭が変わって見える、という話だ。たとえば、紫の面を外にして歩き出すとする。紫は不思議な色で、どこか余裕がある。ほどよい距離感で、街の喧騒を一歩引いたところで眺めさせてくれる。人混みの中に立っていても、ちょっとした個室を背負っているみたいに落ち着く。道を歩く私を、通りすがりの誰かがじっと見ても、「まぁそういう日もあるさ」と流せる気がする。紫を着る人間の心は、なぜかそういう柔軟さを持ち合わせている。でも、そのまま電車に揺られているうちに、妙に胸の奥がそわそわしてくる時がある。変化を求めるほどじゃないけれど、少しだけ自分に追い風を吹かせたいとき。そういう時に、このベストはいい。降りた駅で裏返して赤を外側にする。もうこれは軽い魔法だ。赤の面を着ると、風景がひとつぶ分だけ鮮やかになる。普段なら見落とす看板の赤文字とか、駅前の果物屋のリンゴの色とか。
世界の赤い部分が全てこちらへ寄ってくる。「今日はちょっと頑張ってみるか」と思わせてくれる赤だ。大げさじゃなく、ほんの少し背筋が伸びるような。紫が静のエネルギーなら、赤は動のスイッチといったところ。ある日、友人に言われた。「裏表でそんなに違う?」私は笑って肩をすくめる。「もちろん。人間なんて、ちょっとした色の違いで気分なんてすぐ変わるんだ。」街を歩いていて、店のウィンドウに映る自分をふと見るときがある。赤の私は少し勇敢で、紫の私は少しだけ優しい。
そして、どちらの私も案外気に入っている。リバーシブルって、結局は自分の中にある二面性をそっと許してあげる装置なのかもしれない。世界に静けさを求めるなら紫を。ちょっとだけ速度を上げたいなら赤を。このベストは、そんなふうに気分で世界を選べる、小さなスイッチみたいなものだ。裏返すだけで少しだけ生きやすくなる。服って時々、不思議な力を持っている。このベストはそのひとつだと、私は密かに思っている。