「那覇の台所」として知られる大きな第一牧志公設市場内にアトリエを構えるメリットを生かし、外国から市場に届く輸入品のダンボールを素材にしたコラージュ作品を制作する沖縄在住のアーティスト、儀間朝龍さん。その背景には、アメリカのポップカルチャーへの深い愛情と、環境への強い意識が常に存在しています。自身を形成した文化と、身の回りに置かれる問題。胸の中にずっと引っかかっていた2つの要素を作風として表現できる術を見出した儀間さんのアートには、迷いのない勢いがあります。『SOME POP』と題した初の個展を「Bギャラリー」にて開催し、大盛況のもとに終えたいま、多くの人から注目を浴びたコラージュがどのようにして生まれたか、改めて聞いてみました。


「絵の具で描いていた作品にダンボールの切れ端を貼り付けたら、 僕の中ですべてがつながった」

 ━ 儀間さんのルーツである、アメリカのポップカルチャーとの出会いについて教えてください。
GIMA:美術専門の高校に通っていた16歳のときに『POP ART』という本に出会って衝撃を受けました。マリリン・モンローが表紙で中に有名なキャンベルスープの絵が大きく掲載されていたのをよく覚えています。沖縄に住んでいた僕にとって、キャンベルスープはまるで味噌汁のように日常的な存在。しかも上手に絵を描くことが美術と思っていた頃に、コカ・コーラやペプシなどのロゴまでもがアートとして認識されていることが当時は理解できませんでした。でも、高校3年生くらいになると、それがすごくかっこいいなと思えるようになりました。


━ 美術の高校ということは、子供の頃から絵を描くことは好きだったんですね。
GIMA:そうですね。あとアメリカのカルチャーへの憧れや理解もあったと思います。僕は南城市の中でも大きな森に囲まれた、自然しかないような知念村で育ちました。人口も少なく、辺鄙な場所でしたが、子供の頃に家の裏に住んでいた親戚のおじさんが、いつもレーザーディスクで映画を観ていたんです。毎週末のように上映会が開かれて(笑)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『スター・ウォーズ』とかを観せてもらいました。ど田舎で、情報が少ない分、アメリカ映画の刺激は強かった。アートに興味をもつ潜在的なきっかけにもなっていたと思います。

 ━ その後、高校を卒業してからは?
GIMA:1995年に名古屋の美大へ進学し、ちょうど大きなスニーカーブームを経験しました。ナイキのエア マックスやヴィンテージのスニーカー、エア ジョーダンの人気がすごくて、よく古着屋店に通っていました。大学を卒業してからは東京に出て、スニーカーショップでアルバイトを始めます。そこには古着好きの人もいっぱいいて、高円寺のお店とか案内してもらいました。そんな体験も作品と繋がっているかと。


━ 沖縄に戻ってアーティスト活動を始めた理由は?
GIMA:30歳までには沖縄に帰ろうと決めていたんです。その前に1年間、NYへ留学し、いろんなアートを観ることができました。沖縄に戻ってからはイラストレーターとして活動を始めました。人のために絵を描く楽しさの一方で、今まで以上に自分らしい表現を模索するようになり、たどり着いたのがダンボールでした。

コラージュのシリーズは2014年ですが、2011年からダンボールを使った作品をアクリル絵の具のイラストと並行して販売していたんです。ダンボールを水に浸けると一枚一枚がきれいにはがれ、乾かすと紙のようになることを知りました。それをアイデアだけで終わらさず、ノートなどに商品化することで、自分たちで紙を製造できないアジアの国々の役に立ちたいと思ったんです。そのためにブランドを立ち上げ、タイやベトナム、フィリピンやインドネシアへ実際に赴き、障害をもった人たちの団体や施設を紹介してもらい、教えに行きました。彼らが作った商品を買い取って、日本で売る活動も続けています。


━ 環境保全に役立ち、仕事にもつなげる。素晴らしいアクションですね。
GIMA:ノートを製作する時に裁断した際に出るたくさんの端切れから、きれいなものだけを残して集めていたんです。あるとき絵の具で描いていた作品に切れ端を貼り付けたら、僕の中ですべてがつながった気がしました。で、ちゃんとコラージュをしてみようと真っ先に思い浮かんだモチーフがキャンベルスープでした。沖縄には、世界から色んなダンボールが、缶詰が集まってくる。そこには僕がこの世界に入るきっかけとなった缶詰がある。勢いよくガーッと作って、何かが弾けました。この今までと違う作品を人に見せたら、反応も上々で。で、今のコラージュへと発展していったんです。

 ━ ダンボールはやはり輸入品のほうが作品に適しているのですか? 日本のダンボールでは表現の限界を感じますか?
GIMA:作れないわけではないですが、日本のダンボールは茶色が多いですよね。でも海外のものは白とか赤とか黄色とか、色をたくさん使っています。ダンボールを紙にする作業は僕のライフワーク。色毎に分けてストックしているから、コラージュの幅も広がる。他の地域でやるよりメリットは大きいし、この海外のダンボールが集まる第一牧志公設市場にアトリエがなかったら、思いつかなかったと思います。

 — 初個展となった『SOME POP』のメインは、スニーカーでした。
GIMA:僕自身、バスケットが好きなこともあり、ほぼコンプリートしているナイキのエア ジョーダンシリーズには強い思い入れがあります。せめてマイケル・ジョーダンが現役時代に履いていたエア ジョーダン18までは作品にしたかったのですが、今回の個展はジョーダンが最初の引退から復帰して、2度目のスリーピート(NBAのプレイオフ優勝を3年連続で成し遂げること)を達成したときに履いていたエア ジョーダン14まで製作しました。これはまず2〜3日かけてスニーカーをデッサンする作業から始まります。その後にパーツ毎の型を作り、そこに実際の色のダンボールをコラージュしていく。1モデル完成するのにかなりの日数を要しますが、いつかはマイケル・ジョーダン本人に自分の作品を見てもらう夢を見て、頑張っています。

 ━ 縦に線が入っているように見えるのは作風でしょうか?
GIMA:これは油絵に打ち込んでいた時に、滴るものをあえて残して描いていた当時の雰囲気を表現しています。だからコラージュといっても絵を描く感覚に近いかもしれません。ただルールを決めると良い意味で自由度が狭まるし、全体に統一感が生まれる。それが作品の個性へとつながっていく。「縦の線は儀間っぽいね」と多くの方々に認識してもらいたいですね。

 ━ 実際に個展を終えて、率直な感想は?
GIMA:今まで、沖縄と九州でしか展示をしたことがなかったので、新宿の「Bギャラリー」で開催できたことは、素直に嬉しい。国内外問わず、多くの人の目に触れてもらえるよい機会になりました。たくさんのフォードバックが、自分の中で化学反応を起こせるといいですね。海外の展示も視野にいれたくなりました。


━ 最後に、儀間さんの作風を確立させたダンボールとはなんですか?
GIMA:高校生の頃から地球が汚れていく映像や本に興味がありました。アクリル絵の具を水に流すことも地球に悪影響を及ぼしていて、自分のしていることに矛盾をずっと抱えていたんです。環境問題を考えると、ゴミの増加問題の一つでもあるダンボールにネガティブな感情を抱く人も多い。でも誰かが使った跡というか、人の気配が残っている素材の温もりが好きだから、何かに生かせないかなって思っていたんです。結果的に自分の作品に不可欠な存在になって、ゴミの量を減らすことに少しでも貢献できているなら、とてもラッキーなことだと思います。

儀間 朝龍(ぎま ともたつ)

1976年沖縄生まれ。1999年名古屋芸術大学美術学部を卒業。
2004年より米国ニューヨークの留学を経て、沖縄にてアーティスト活動をスタート。2006年にトヨタ主催の「トヨタ・子どもとアーティストの出会い〜子どもの可能性を開くアートの力」(沖縄)に参加し、頭角を表す。2015年には雑誌『NYLON JAPAN』で木村カエラとコラボレーション。数々のグループ展への参加を経て、今回「Bギャラリー」にて“流通”と“消費”をテーマに、自らが影響を受けたカルチャーやロゴをモチーフにしたコラージュ作品を販売する初個展『SOME POP』を開催。
http://gimabox.com/

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