理不尽の正体。

大久保 マキ 2019.12.14

私は「理不尽」に敏感だ。

日常には、これでもかというほどに「理不尽」がうごめいている。

「理不尽だ」と嘆く。

「理不尽だ」と、成すすべもなく落ち込む。

嘆いても、落ち込んでも、理不尽は消えない。

むしろ膨れ上がって怪物のように大きくなる。


そもそも「理不尽」とはなんだろう?

たくさんの理不尽に触れて嘆いてばかりいたけれど、最近は「理不尽」の正体について考えはじめた。

私はどれだけ「理不尽」をわかっているのかな。

試しに国語辞典で調べてみると、<物事の筋道が通らない。他人の行動に対して用いることが多い>と書いてあった。

活字として私の中に入ってきた理不尽は、なぜかすとんとおさまった。

今まで漠然と感じていた恐怖感ではなく、目を向けられるもののように感じた。

少しだけ「理不尽」に近づけたような気がした。




基本的に「理不尽」に直面すると、巻き起こる現象がある。

それは、愚痴といえるもの。

「理不尽なことがあってさ」「大変だったね」「もう最悪だよ」「わかる」

こんな会話が定型文のように繰り返される気がする。

理不尽に直面するときは、いつも突然なのだ。

突然他人からの悪意が体中に侵入してきて、自分を支配してしまう。

まるで風船みたいに体中が悪意でぱんぱんに膨らみ、破けないようにと悪意が口から溢れ出してくるのかもしれない。

そう思うと人間の自己防衛機能として、愚痴を吐き出すということはとても正しい気がする。

人間は、他人の悪意を自分の中には置いておけない。




だけど、もっと厄介なのは自分の悪意だ。

人は他人の悪意には敏感だけれど、自分の悪意には気がつかない。

それは、自分が正しいという正義があるからかもしれない。

悪意は悪意と手をつないで、さらに強力になる。

他人の悪意が、自分の口を通して愚痴になって流れ出る。

悪意が流れ出た先で、愚痴を聞いてくれる相手に入って行くのは、愚痴をこぼしている自分の悪意だ。


結局は、みんな理不尽でできている。

理不尽なのが人間。

1人がそうなんだから、4人家族なら4理不尽。

職場の同僚が10人なら、10理不尽。

クラスメートが25人なら、25理不尽。

このあたりで、もう「理不尽」という単位を正式に作ってもいいんじゃないかとすら思いはじめた。




それでも、私は「理不尽」でいたくない。

そのために、自分は理不尽だと自覚してみた。

理不尽、愚痴、我慢の負のスパイラルから抜け出せない、それは自分の中の理不尽のせいだ。

抗わないのに文句を言う、自分の理不尽のせいだ。

変えたいか、出口を探すか、そこで埋もれていくのか。

それはすべて自分で決めないといけない。

自分の世界を自分で選びたい。

自分で決める。自分で考える。それをしていくことでしか、理不尽なんて馬鹿みたいな怪物に立ち向かう術はない。

自分の理不尽さに負けることもある。

悪意に溺れて、愚痴をこぼしてしまうときもある。

強くいたいのに、そんな自分に負けてしまうこともある。

最大の理不尽は、自分の中にあるものなんだ。


ようやく「理不尽」の正体がわかると、あんなに恐ろしかった怪物にはじめて向かい合えたような気がした。

今見えている世界がすべてじゃない。

すぐには変わらなくても。

それでも何かは必ず変わってゆくんだよ。

たくさん考えてみてよかった。

なんだか今日は、いつもよりよく眠れそうだ。




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