夏の思い出 終戦記念日編その②

森 正博 2019.09.04

今日は前回のペリリュー島で迎えた終戦記念日の続きです。


最後まで読んで頂けたら嬉しいです。


日米両軍が最も激しい戦闘を繰り広げた飛行場跡地。ここに旧日本軍の戦車が残されていました。




近づいて触れる事が出来ます。3人乗りの戦車ですが、装甲が薄く、なぜか小さく感じました。どのように戦ってこのような状態になってしまったのか。色々と想像しながら見ていたら胸が苦しくなりました。


一方、アメリカ軍の戦車も放置されていました。10人以上が運べる車両だったそうです。




砲弾が貫通したのでしょうか。側面には生々しく穴が空いています。状況を考えると恐怖でしかありません。


こちらは撃墜されたゼロ戦と旧日本軍陣地にあった大砲。





他にもたくさん兵器の残骸がペリリュー島全土にそのまま残されています。

2度と過ちが繰り返される事がないように、訪れる人々に語りかけているように感じました。


日米両軍の3ヶ月に渡る死闘で多くの命が失われました。島の南端には兵士を

悼んで西太平洋戦没者の碑があります。



2015年には天皇皇后両陛下が慰霊、献花に訪れた場所です。碑文にはこう記させています「さきの大戦において 西太平洋の諸島及び海域で 戦没した人々をしのび 平和への思いをこめて この碑を建立する」


碑の下には雲の上に矢印を刻んだ石があります。その矢印は日本の方角を指しており、亡くなられた方々が迷わず帰って来れる事を願って作られております。




碑の中央には菩薩様の目を模したモチーフが

島全体を優しく見守っていました。


戦った日米両軍のトップが残した言葉が石碑に残されていました。


 



上)「人は憎しみでもっては戦えない。愛のために戦うのである。」中川州男 陸軍中将


下)「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心を持って戦い そして玉砕したかを伝えられよ」

米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ


ペリリュー島に降り立つと、当時どれだけ激しい戦闘であったか、75年経った現在でも伺い知る事が出来ます。その状況を見て聴いて触れて強く思いました。どんな理由であっても2度と戦争を起こしてはいけません。




当たり前に過ごしている今の時間がどれ程幸せな事だろうと噛み締める事が出来ました。


ペリリュー島での体験は話せる機会があれば

伝えて行く事が大切だと思いました。


この夏のパラオ旅行は、私の人生にとって最も心に響いた夏の思い出になりました。


森 正博



次回は格闘技について書きたいと思います。


服着て無くてごめんなさい 笑