こんばんは。
岸でございます。
大変お待たせしました。
前回からかなり間が空いてしまいましたが、一部の方に好評をいただいていると噂に聞いた〝伊藤の人気に乗っかり企画〟の完結編をお届けします。
今回は伊藤にインタビュー形式でオーダー遍歴について根掘り葉掘り聞きましたので、その内容をお届け。
長文となりますので、お時間のある時にでもお読みいただければと思います。
それでは、
岸
ーでは、早速ですが伊藤さんが最初にビスポークしたのはいつぐらいの何でしたか?
伊藤
はい、初めてのビスポークは、約20年前に銀座店【ビームス銀座】でアルバイトしてた時に、これはビルポークではないんだけども、スミズーラでCesare Attolini〈チェザーレ アットリーニ〉でジャケットを作ったのが最初ですねぇ。
ーシングルですか?
そう、ネイビーのシングルでパッチポケット。お客様提示額で30万くらいだったかなぁ。これは今でも現役で週に一度か二度は着てますねぇ。
ー今だに現役だったらもう十分に元は取ってますね。
そーですね。笑 気に入って着てますしね。
ーAttoliniはその頃も既製をやってたんですね。
そーなんです。International Gallery BEAMSの方で展開してましたね。他にもSartorio〈サルトリオ〉やISAIA〈イザイア〉もやってました。私の中ではAttoliniが憧れでしたねぇ。
ー当時は他にもビスポークをやってたブランドはあるんですか?
Fallan&Harvey〈ファーラン&ハービィ〉とGeorge Cleverley〈ジョージ クレバリー〉をセットでやってましたね。その頃は私はまだオーダーしてなかったですけど。
ーその後は何でした?
何だったけな?笑 多分、Costantino〈コスタンティーノ〉かAntonio Panico〈アントニオ パニコ〉だったと思います。それも銀座店でしたね。でね、今でも後悔してるんですけど、その当時Costantinoがイタリアの名門シューメーカーのGATTO〈ガット〉を連れて来ていて、それが一足から作れたんですよぉ。本当は三足からでないと作れないですけどね。その時にGATTOを作っとけば良かったなぁって言うのが唯一の後悔ですね。
ーGATTOも作れたんですね、幾らくらいだったんですか?
GATTOはねぇ、えーっと、値段があってないような感じで、多分時価だったんじゃないかなぁ。
ー時価!鮨屋みたいだなぁ。 笑
笑 そー、でね、その時に一緒にシャツもオーダーが出来て、それがイタリアで最古のシャツブランドと言われるLOMBARDI〈ロンバルディ〉だったんですよ。で、その時にシャツとスーツを作ったのが初めてのビスポークですねぇ。スーツはこれもいまだに現役で着てますけど、ブラウンの麻のスーツを作りました。
ースーツは幾らくらいでしたか?
これもねぇ、多分30万くらいじゃなかったかなぁ。
ーで、そこからは?
そこからはですねぇ、Panicoですかねぇ。
ー来ましたね、Panico。私も丸の内【ビームスハウス丸の内】でアルバイトで働いている時にオーダー会してるのを覚えてます。Panicoは何着くらい作りました?
Panicoは何着くらいだろ?秋、冬、秋、冬って作ってましたからねぇ、えーっと、いち、にぃ、さん、ご着かな。ジャケットスーツ合わせて。秋冬物が多いですけどね。
ー春、夏はないんですね。どういった生地が多いんですか?まぁでも伊藤さんはベーシックな生地が多いからやっぱりベーシックな雰囲気なものでしたか?
そーですねぇ、ベーシックが多いんだけど、
その頃はねぇパニコさんが選んだ生地じゃないと作らせてもらえなかったんですよ。笑
それでもね、6プライのガチガチな英国の生地とかを選んでもらって。ちょうど今トレンドにもなってるようなね。英国の生地で作るのがいいよって初めて勧めてくれたのがパニコさんでしたね。今思うと。
ーなるほど。その頃はまだFallan&Harveyは作ってなかったんですか?
そう、まだ作ってなくて、Fallan&Harvey もGeorge Cleverleyもねぇ、作るのが私結構遅くて。これもねぇ、もっと作っておけば良かったなぁって思います。
ーじゃ、英国物だとGeorge Cleverleyも作ってました?
作りました。Fallan&Harveyとセットで。
ーサイドエラスティックですか?
サイドエラスティックも作りましたし、あとはねぇボタンナップブーツも作りましたね。
ー伊藤さん、ケリーグラントみたいなショートブーツも持ってなかったでしたっけ?
ありましたね。それは豚革で作りましたね。
ー戻りますけどボタンナップブーツってすごいですね。笑 履いてるのあまり見たことないですけど。
あまり履いてないですね。あれは履くのに時間が掛かっちゃうんですよね、20分くらい。笑
ー20分!笑 しかし、それを作ろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
それは当時、先輩に菊地さんって方がいて、もう辞めちゃったんですけどね、その人が履いてるのを見たのがきっかけですね。カッコイイなぁって。
ーそれはあれですか?サンプルとかがあったんですか?あっ、ビスポークだからサンプルはないのか。サンプルはなくてサイズを測ってボタンはいくつでとかイメージを作りながらって感じなんですか?
そう、そんな感じですねぇ、でその時にねFallan&Harveyのスタッフがね、その靴は自分で履く靴じゃなくて召使いに履かせてもらう靴だけどお前は召使いいるのか?って言われたっていうね。笑 そんな事がありましたねぇ。
ー笑
でね、その時に中島さんがね、【弊社メンズドレス部門ビジュアルマーチャンダイザー統括担当 中島信司】ボタンを引っ掛ける道具もくださいっていったらそれもアンティークのを一緒にくれたんですよ。
ーそんな道具もあるんですねぇ。それは20分掛かりますね。笑
でね、それがね、これは嘘か本当か分からないんだけどぉ、オーダーしてから何年後だったか忘れましたけどビームスのスタッフの人とロンドンに旅行に行ったんですよ。そしてね、クレバリーも覗いたらね、それは私が直接聞いたんじゃなくて一緒に行った人が聞いたんだけど、伊藤ちゃん凄いじゃん!って。何が?って聞いたら、伊藤さんがオーダーしたボタンナップブーツの仮縫いを見たデイビッドベッカムが俺にも一緒のを作ってくれって言ってオーダーしたらしいよ。って。
ーえ!マジすか!凄いじゃないですか伊藤さん!世界のベッカムに影響を与えたんですね!
まぁ、本当かどうかは分からないんですけどねぇ。
ー真偽のほどは分からないと。まぁ当時はインスタとかもないですからね。今だったら直ぐにアッ!俺のと一緒だって分かりますけどね。でも、凄いですね。
はい。では、次なんですが、色々と作ってきた中で伊藤さんの中でのイタリア物と英国物の違いって何ですか?
えーっと、今はそうでもないんですけど、当時は英国物は私にとっては着丈が長く感じたんですよねぇ。ショートジャケットでオーダーも出来たんですけどあまりいい顔されないって聞いたんで。じゃぁ作らない方がいいんじゃないか。って当時担当していた先輩スタッフからも言われちゃったりして。苦笑
後はイタリアに比べると構築的というか、肩まわりとかがね。
ーですよね。鎧みたいだっていう人もいますよね。
中にはね。あとは胸にワタを入れてボリュームを出すイングリッシュドレープっていわれるような感じもね。今だとそっちの方が好きなんだけど、当時はねー、そういった雰囲気の物よりはどっちかというとソフトなナチュラルな物の方が、当時は好きでしたね。
ー時代的な背景もあるんですかね。クラシコイタリアブームとか。
うーん、クラシコイタリアブームはもうちょっと後だったですね。LUIGI BORRELLI〈ルイジ ボレッリ〉やISAIAなんかのクラシコイタリア協会のね。流行りましたもんね。
ーLUIGI BORRELLIでもオーダーはしてるんですか?
ボレリはねぇ、ウチじゃなくて他社でしましたね。
ー凄い、どこでもオーダーするんですね。
それはね、ビスポークじゃなくてパターンオーダーでしたね。仕上がりまで2年待ちましたけど。
ー2年⁉︎忘れられてたんですかね?
どーだったんだろ。オーダーした店の人がわざわざ謝りに来てもらっちゃって。
で、LOMBARDIはビスポークですね。仮縫い付きのね。
ーLOMBARDIはどんな型を作ったんですか?
型はねぇ、周囲は反対したんだけどねドゥエボットーニで作りました。当時はドゥエボットーニはちょっとダサいってイメージで、それで反対されたんだけども、中村さん【弊社ディレクター 中村達也】がね、伊藤は首が長いからいいんじゃないかって。いってくれてね、そこからですねドゥエボットーニを着るようになったのは。で、無地だったりチェックだったり、何枚ぐらいだろ?7枚ぐらいは作ったのかな、今も着てますけどね。後は襟を替えたりしながらメンテナンスして着てます。
ー?エリを替える?
あのー、襟をね、生地が駄目になってくるとね、オックスだったらオックスの生地だけを買ってきてね、付け替えるんですよ。型紙を取っといて。クラシックカーみたいに駄目になったパーツだけ交換するみたいなね。
ーへぇーっ、そんな事出来るんですね。
で、パニコさんの時はAnna Matuzzo〈アンナ マトォッツォ〉を作りましたね。これもねパニコさんとセットでやってましね。Anna Matuzzoはパターンオーダーでした。6万くらいだったかなぁ、コレも直して着てますね、襟が駄目になっちゃったから今はクレリックになってますけど。笑
ー伊藤さんすみません、話しを戻しますけどエリを直すって具体的にどうやるんですか?エリだけ作り直すんですか?他のシャツのエリを移植するんですか?
えーっとね、移植というかね、襟の表の生地だけを替えるんですよね。裾だったりとか生地を取れる所から持ってきたり、無ければ生地だけ買ってきたりして貼り替えるんです。まぁ移植かな。笑
ーへぇーっ、なるほど、そんな事が出来るんですね。サスティナブルですね。
で、最近はね、これは最近知ったんだけどね、このねヨークからも取れるみたいなんですよ。【身振り手振りで説明する伊藤】これはまだやったことないんですけど。
ーあー、ヨークが2枚仕立てになってるシャツから生地を取れると。それにしても色々手出しますねー。Anna Matuzzoはあれですよね、Matuzzo女史ですよね。私も既製で持ってます。
そうそう、でもAnna Matuzzoで作ったのは一回だけですね。
ーなるほど。すみません、本題DALCUOREになりますけど、DALCUOREは順番的には最後ですか?
最後ですね。これはね、丸の内【ビームスハウス丸の内】でしたね。
ー計何着くらい作ったんですか?
何着くらいだろ、これもねぇ秋冬が多いんだけど、うーん、、15着くらいかな?
ー15⁉︎
まぁでも、1年に1着か2着っていうのを10年続けてたらこうなってったっていうねっ。
1番最初にオーダーしたのも気に入って着てますしね。

ーCesare Attoliniに始まりDALCUOREと来ましたけど、仕様の違いというか作りの違いっていうのはどうなんですか?なんか伊藤さんが着るとどれも一緒の見え方するんですけど。
あっ、それはねぇ、そのあとに修理しちゃうからかしらねぇ。笑
でね、今までやってきてイタリアの巨匠の中で唯一リクエストを聞いてくれたのが、ダルクオーレさんでしたね。
と、ここですみません。
今回で完結しようと思いましたが、思いのほか長くなってしまったので続きは完結編第二弾として近日中にお届けします。
いったい伊藤はどんなリクエストをしたのか?
では、
また次回。