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いしいしんじ その場小説「花」③


いしいしんじ その場小説『花』 ③

(前回のお話②は、こちら)



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 演奏のあと、カウンターでいつものように写真を出しかけ、おおかみはとなりの男に、
「そうだ、今日は、何月、何日だい?」
 とたずねた。
「今日かい? ええっと、4月の・・・8日だな」
「そうか」おおかみはうなずき、取り出しかけた写真をポケットの奥におさめ、ジャケ
ットの上からなでさすった。「そうか、4月8日ね。やっぱり、そうか・・・」
「それはそうと、ちょっといっしょにこないか?」 となりの男はおおかみの肩に触っ
た。「正面のホテルで、おもしろい遊びをやってるんだ」
 4階の一室で、賭場がひらかれていた。どこからもちこんだのか、本式のルーレット
が部屋のまんなかに据えられていた。おおかみは、要領をきくと、「あか」「くろ」
「あか」「あか」と、ルーレットの回転がはじまるたびにビットした。はじめは、有り
金を巻き上げようともくろんでいた胴元と常連たちは、鼻で笑っていたが、だんだんと
青ざめてきた。おおかみのビットは、一度としてはずれなかった。掛け金は倍、2倍、4
倍とふえていき、やがて、おおかみのカバンに入りきらないほどになった。みながあっ
けにとられるなか、おおかみは紙幣をつかみ、ギターのなかへ押し込みはじめた。
「悪いね」おおかみはドアをひらき、あとずさりで歩きながら笑いかけた。「うまれつ
き、耳と手だけが頼りなんでね。そういう玉の転がる音は、なによりよく、耳に響くの
さ」
 おおかみはホテルを出、靴をひきずって歩きはじめた。通りかかった女性を呼び止め、
この近くに花屋はあるか、たずねた。2ブロックほど歩いた角に、小さな花屋が一軒あっ
た。
「かんたんな花束を、もらえないかね」おおかみはポケットから紙幣をつかみだしてい
った。「それから、近くで、いちばん空に近い場所はどこだね?」
 おおかみは山道を歩いた。小高い丘の上に東屋があるはずだった。うしろから、ひた
ひたとついてくる足音がきこえた。おおかみは薄笑みを浮かべた。せめて、丘の上まで、
ほっておいてくれないだろうか。
 一発目は無言だった。なにか堅い木のようなものがおおかみの後頭部をとらえた。横
倒しになり、頭部をかかえこむ。罵声とうなり声がきこえた。背中、腹、腰と、靴の先
が何度も何度も、おおかみのからだにめりこんだ。からだのなかで雷鳴が鳴り響いてい
るようだった。からだの内側と外側がどちらなのかよくわからなくなってきた。いま蹴
られているのか、それとも、ただひとり山道に残されているのかも。
 そのうちだんだんと、静寂があたりをつつんだ。おおかみは素っ裸の気がした。どこ
か空の上で星が落ちていく音がする。手を動かそうとするが左は無理だった。もうギタ
ーとはおさらばだなと、おおかみは内心で吐息をついた。右手をそろそろとのばし、ど
こか近くに落ちている花束をさがした。が、みつからなかった。
 おおかみは、ゆっくり、ゆっくりと仰向きになり、みえようのない夜空をみあげた。
真っ暗闇だが、なにか赤いものが、川のように流れるのがみえた。
 白?
 赤?
 おおかみは息を吸った。目の芯に、それまで感じたことのない熱を感じ、ぎゅっと眼
底に力をこめると、やがて、それはひらいた。
 ひとつ。
 またひとつ。
 ああ、これがそうか。
 こんな色なのか。

 花
花花花
花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花
花花花
花花花花花花花花花花花
花花花花花花花花花
花花花花花花






つづく..........

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【今後の公開スケジュール】
④(最終回): 4月20日(木)



【現在開催中の展覧会】
4月1日(土) 〜 23日(日) 11:00-20:00<会期中無休>

いしいしんじ その場小説「花」②


いしいしんじ その場小説『花』 ②

(前回のお話①は、こちら)


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 とある町の教会で眠っているとき、いきなり近所の老人たちが壇上でうたいだ
したことがある。おおかみは身をおこしてきき耳をたてていた。老人たちは、日
々のくるしみ、日々のよろこびについて、自分たちの信じているかみさまに、ゆ
たかな声でかたりかけていた。教会がふるえ、ガラス窓がきらめいた。おおかみ
の手はゆっくり頭上にあがり、そこにただよっているものをつかむと、左右交互
に口もとへはこんだ。まるで、空中に浮かんだ目にみえないパンを頬張るかのよ
うに。
「じっさい、あんなごちそうは、これまでいただいた試しがないね」とおおかみ
は笑う。「あそこの老人たちは、きっと、あの歌声に乗って、しょっちゅう雲の
上まで、だれかさんに会いにいってるんだろうな」

 もちろん、クルマの運転はできない。足がじょうぶに生まれついて、それだけ
は両親に感謝していた。あるとき、干し草の上にすわってうたっていたら、なま
ぬるい息がほっぺたにかかり、ときどき濡れたなにかが額やあごをなめた。馬だ
った。馬というものをみたことはなかったが、鳴き声やひづめの音で見当がつい
た。おおかみのあとを、馬はえんえんとついてきた。盗んだと思われては、ふく
ろだたきにあうので、おおかみは早々に、おんぼろの宿屋に逃げこんだ。翌朝、
宿の外に出ると、またあのやわらかく濡れたものがほっぺたやおでこをぺろぺろ
となめた。
 おおかみはあきらめて、馬を連れて歩くことにした。
 馬はひとに慣れているようで、背中にギターとかばんを置いたまま、おおかみ
の斜め後ろを一定の距離をとってついてくる。半月、ひと月。馬はおおかみの兄
弟のようになった。
 あるとき、クラクションの音をたてて車が真横からつっこんできた。おおかみ
は真後ろから押され、砂の上に突っ伏した。真後ろで、クルマのボンネットにな
にか重いものがぶち当たる鈍い音がして、それっきりなにもきこえなくなった。
ひとびとが集まってきて、なにかの破片を集めはじめた。
 おおかみは砂をつかんだまま立ちあがり、唾を吐いて、ギターとかばんを手探
りで探した。やわらかい濡れたものに、何回もさわった。ブルースは、生きてい
る暮らしの薄皮をはいだところに、ぱんぱんに充満している。

 空気があたたかくなってきて、ひとびとの声も、それまでの三月ほどとは徐々
にちがってきこえだす。桜の花とやらが、ひらきはじめたんだな、とおおかみに
も見当がつく。酒など一滴も口にしたことのない子どもや若い男女が、軽くシャ
ンペンでもあおったみたいに、半オクターブ高い声でしゃべりつづけている。
 油断は禁物だ。おおかみは肩をすくめ、歩きつづける。どんなところに、ブル
ースの野郎がロープを張って、足をひっかけようと待ち構えていやがるか、わか
んないんだから。
 その夜の演奏は、旧いライブハウスで行われた。「白いりんごの木」というの
が、店の名前だった。「りんごの木ってのは、茶色じゃなくて、白いのかね」お
おかみは店主にたずねた。店主は鼻をふくらませて笑い、「木の幹じゃないよ。
花さ。真っ白に咲くんだ」「ピンクでも白でも、黒でも、俺には関係ないね。食
える実のほうがよっぽどありがたい」
 夕方から店はにぎわった。おおかみの名前は、ブルース好きのあいだではよく
知られているのだった。
 ギターはあいかわらず雷のようにうなり、おおかみは、これまでに会ったおお
ぜいのおんな、おとこ、おじいさん、おばあさんの顔に刻まれていた、ことばに
ならない表情を声に乗せてうたった。この夜も、「白いりんごの木」の店内は、
青黒い薄闇で染まっていった。店に集まった誰も、一瞬も目をステージからそら
さなかった。みな、なつかしく、あたらしく、なじみのある音楽に包まれて身を
揺らせていた。流れ、揺れるブルースは、店に集まったひとびとにとって、揺れ
動き波打つ鏡のようだった。





つづく..........

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【今後の公開スケジュール】
③4月16日(日) / ④4月20日(木)



【現在開催中の展覧会】
4月1日(土) 〜 23日(日) 11:00-20:00<会期中無休>

いしいしんじ その場小説「花」①


4月2日(日)に開催された、
佐藤理 展覧会「ALL THINGS MUST BE EQUAL」』のイベント
<Vol.1 エレクトロその場小説・ライブ>は、大盛況に終わりました。
ご来場いただいたみなさま、ゲストでお越しくださった、いしいしんじさん、
ありがとうございました。



本イベントで発表した、いしいしんじさんによる、その場小説『花』を、
本イベント参加できなかったお客様のために、4回に分けて公開いたします。

どうぞお楽しみください。


【公開スケジュール】
①4月9日(日) / ②4月13日(木) / ③4月16日(日) / ④4月20日(木)




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『花』     著者:いしいしんじ



その黒人のブルースマンは、桜の花をみたことがなかった。桜どころか、花自体、
いっさいみたおぼえがなかった。なぜなら盲目だったからである。
「雷が、目にはいってね」
仲間には、笑いながらそう話した。
生後すぐのとき、山の上で空がごろごろ、うなり声をあげるのをきいた。なんと
はなしに目をむけた瞬間、そら全体に稲光がかがやいた。それ以来、いっさいの
物象を、彼の目がとらえたことはない。
畑仕事や荷車ひきは、無理だった。働き手として、まったく役にたたない彼は、
村のやっかいものだった。ギターを手に、うたうことしかできなかった。そのう
ち、村を出て、田舎、町中、港に都会と、放浪しながら演奏する毎日にはいって
いった。

男の声は、まるでケモノがうたっているようだった。いつのまにか男は「おおか
み」というあだ名で呼ばれるようになった。おおかみのギターは、空の上で鳴る
雷鳴にそっくりだ、というものもいた。
「あたりまえじゃないか」おおかみはサングラスのむこうで笑う。「うまれつき、
雷とは、兄弟みたいな仲なんだぜ」

ライブハウスからライブハウスへ。酒場から酒場へ。おおかみの演奏する音楽は、
ひとの気持ちを陽気にするものではなかった。が、かといって、薄暗い気分に駆
られるわけでもなかった。
ギターの弦が揺れ、空間に弦の音とケモノの声がこだまする。穴蔵のような部屋
の空気は、だんだんと青黒く染まっていく。酒瓶が光り、グラスの縁がにぶく輝
く。男たち、女たちは、青白い目をひらいたまま、おおかみの歌声をからだのな
かに注ぎいれる。
おおかみの意見では、どんなところでも、人間がそこにいれば、きっとブルース
が必要なんだ。水のあるところ、目に見えない塵やプランクトンがうごめいてい
るように、人間の吐く息、吸う息のなかには、かならず、ブルースのかけらが浮
かんだり沈んだりしている。
「寒いところにいったよ。吐いた唾やしょんべんが、空中でこおっちまうくらい。
暑いところにもいったさ。そこらじゅうで木の枝が勝手にもえあがっちまうくら
い。どんなところであろうが、夜はくるだろう。ブルースも、それと同じこった」

酒場で演奏が終わり、くつろいだ気分でウイスキーをすすると、おおかみはジャ
ケットのポケットから、ぼろぼろになった写真をいちまいとりだす。そして、と
なりにすわった誰かに、
「なあ、なにがうつってる? あんたには、どんなものがみえるね。さあ、いっ
てみてくれ」
 語りかけながら見せる。
 大きな麦わら帽子。オレンジ色のバンダナ。ぶかぶかの帽子の下には、顔じゅ
うで笑う少女の姿がある。どこか、青い空の下の木陰。風が吹いているのか、少
女は両手で、麦わら帽子のつばをおさえつけている。
 目にみえた、写真のままの様子を、おおかみに語るひとがもちろん多い。けれ
ども、
「まっくろい、ヘビがみえるね。とぐろをまいて、目をぎょろつかせて」
 なんてことをいうやからもいる。
「やせっぽちで、うすぎたないこどもがひとり、うつってるな。はらぺこで、し
んじまうんじゃないかな」
 どんなことをいわれても、おおかみは微笑みながら大きくうなずき、写真をジ
ャケットのうちポケットにもどす。そして、
「ありがとうよ」
 そうささやき、ウイスキーを一杯、その相手におごる。
「もうずいぶん、遠くまで来たもんだ」 おおかみはバーテンダーに話しかける。
「おれには、地図も、駅の名前もよめないし、町並みってものも、気にしたため
しがないから、実感はないんだが、『遠さ』の感覚だけはあるんだよ。なにしろ、
うまれてこのかた、さわれるかどうかだけを頼りに、息をつないできたんだから」
 調子がよいときには、「ブルースにさわれる」とおおかみはいう。「ほんとう
だぜ。目がみえると、わからないかもしれないが、ふっとしたとき、目の前の空
気に手をつっこんでみな。そこで、ブルースが、びんびんふるえてるから」 



つづく.....

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【現在開催中の展覧会】

   4月1日(土) 〜 23日(日) 11:00-20:00 <会期中無休>