a song of my friend

SHUN 新井 2022.03.12

ご機嫌いかがでしょうか、銀座店の新井です。


ツナギにブレザー。気が付いたらワードローブはブレザー以外ほぼ無くなってましたので、やはり一年中ブレザースタイルでお付き合い下さい。本日は少しおセンチな特攻気分の接客になるかもです。


銀座店でのブログはこれで最後。渾身の商品紹介で締めようと考えてましたがどうやら愛と青春と涙の回顧録ブログとなりそうです。読み切るのは地獄かも知れませんが。



社会人としての始まりに迷ってしまったタイミングで、この銀座ドレスクロージングフロアにスタッフに空きが出来て何とか入り込めた2004年。

夢破れて震災が起きてしまい失意のドン底だった時に優しく受け入れてもらえた2011年。

そしてウィルスという未曾有の災厄になり道に迷ってしまった自分を原点に立ち帰らせてくれた2021年。




考えれば3度にも渡る自分の人生の転機の様な時には、いつもこの銀座店にいる事で前に進む事が出来たと思います。その都度在籍しているスタッフ達は全く違うんですが、皆んな本当に優しく受け入れてくれた事に感謝しか無いです。


思えば大学に入り込んだ二十歳の頃からずーっと銀座って場所に入り浸っていました。学生時代はカフェを掛け持ちでバイトしてましたし。どんだけ銀座が好きなんだよって感じですが、毎回偶然配属になったのも数奇な運命って事なんでしょう。

銀座5丁目のカフェ勤務。

銀座2丁目のベーカリーカフェ勤務。

銀座4丁目のビームスドレスフロアで勤務。

銀座8丁目のセレクトショップで勤務。

銀座6丁目のセレクトショップにたまに勤務。

また銀座4丁目のビームスに勤務。

8年後にまたまた銀座4丁目のビームスに勤務。


場所は違えど7回も銀座に勤務してました。合わせると14年位の期間。

仕事上がりにシネスイッチ銀座、シネパトス銀座、テアトル銀座に映画を観に行ったりとか。歌舞伎座、帝国劇場に観劇に行ったりとか。日比谷公園歩いたりとか、たまに野音にライブ観に行ったりとか。




デカイ餃子やチーズクルチャにおでん食べに行ったりとか。仕事上がりに毎日の様に店の真向かいのやる気満々の居酒屋に入り浸ったりとか。




この20年で銀座の街もめちゃくちゃに変貌を遂げていってますから何百回通って働いて遊んでもまだ飽きてない気がします。なんならお昼ご飯がてらに散策してるだけでも楽しい街。老舗の呉服屋とか和菓子屋とか喫茶店とか百貨店とか。最先端のラグジュアリーブランドショップとかセレクトショップとかハイエンドホテルとか。夜になれば高級クラブホステスやら黒服もわんさか出て来て、正に大人の社交の街になったりとか。

しかしこの銀座という街は本当にドレスアップして歩くのがよく似合う。お気に入りのジャケットを着て同じ様にお洒落をした人達とすれ違いながら颯爽と歩くだけでテンションが上がる街。

ビームスって今や東京周辺でも原宿やら新宿やら丸の内やら六本木やら二子玉川やら横浜とか何処でもある。その中でもビームス 銀座は街自体がハイスペックで大人の嗜みが堪能できて歴史のある風情なんかも感じれるから良いんですよね。きっと仕事関係なく定期的におじいちゃんになっても遊びに来ると思います、銀座には。


先月の<AUBERGE>先行予約会は最後の銀座でのイベントとして非常に楽しくも慌ただしく関わる事が出来ましたし。半年後の納品に立ち会えず残念ですがとても思い出深く、そして大成功のイベントになりましたので心置きなく立川に向かえますかね。

今回の転属での私の人生の新しい旅路へのリスタート地点と言えるこのビームス 銀座は、本当に思い入れのある素敵な場所だと思います。なんて言っても私が人生を2度も救われた懐の深い店なんですから。


銀座の街にやり残した事を挙げるとすれば、やっぱりもう1度自分達でサロンを作り上げる事ですかね。テーラーに携わる洋服屋として、どうしてもここでやりたいって思える魅力があるんですよね、この銀座って街は。現実味は有りそうで無さそうですがその日までサヨウナラ。


表題のその唄は2011年に日本を代表するまでになった臆病者の男達4人のバンドにより紡がれたバラード曲。

その曲はボーカルの彼により22世紀からやってきたネコ型ロボットと友達になるある小学生へ捧げられたのは有名な話。その小学生とロボットと友達3人が巻き込まれる長編映画は私が子供の頃からずっと勇気と優しさを学ばせてもらえたんです。余りにもメジャー過ぎて気恥ずかしくなって人になかなか言えないものですが。ましてやオッサンになると。

あの頃のダメでなんにも上手くいかなかった自分。そんな時にその小学生はずっと側にいてくれたと勝手に思ってた。そしてそんな風に側にいてくれてたのはその小学生だけじゃなく、家族や友人、同僚達も同じ様に少しだけでも側で支えてくれてた筈。

そんな感情が思いっきり内包されたバラード曲。きっとその時の震災だったり失敗だったりで、不安になっていた感情とこの曲のテンションがヤバイくらいにシンクロして自分の心に深く刺さってしまったんです。




銀座店に戻ってきてからの8ヶ月間。

無駄に笑顔を振り撒いて、迷ってる皆んなに寄り添ってあげようと夢中でした。

皆んなの助けになりたくて夢中でした。

その無駄な私の笑顔、時々でいいから思い出して下さいね。






それでは次回は立川にてお会いしましょう。


新井