みなさん、こんにちは。
2ヶ月振りですが、今回も温かい目でよろしくお願いします。
たまに「インディアンジュエリー」の在り方について議論されてるのを見かけます。血統、技法、デザイン等々いろんな項目を条件に絞り込む、振り分ける、割と真剣な口調です。「○○のコダワリは○○族では1番でしょ」「○○技法なら○○族じゃないと」「やっぱり行き着くのは○○なんだよな〜」ボクは苦手なんで加わりません。でも小声で「それ楽しいの?」とだけ。
京都で仏閣に熱心な外国人に話しかけられて「よくご存知ですね〜でも日本独自の宗教観ですから、他所の方には…」あ〜ツマラナイ。美味しいカルボナーラを平らげて「美味しかった〜でもシェフが日本人だから本場のじゃないけどね…」あ〜バカバカしい。逸れましたが、どれも口先ばかりで愛情が足らない気がしますね〜
そういえば、ローマッ子が東京に来て、パスタに感動した、イタリアよりも美味しくて毎日通ってるって言うので、そんな名店いったいどこにあるんだ?って聞いたら、誰もが知る近所の和風パスタの店だったっていう。(実話) でもコレ、日本人とイタリア人の柔軟な感性がうまく混ざった文化交流です。
ボクのハンドメイドに対する愛情表現は、モノに出会ってしまったら、まずは財布とよ〜く相談する。運良く手に入れたからには作り手の喜ぶ顔を思い浮かべながら身に付ける、愛用する、だけです。わざわざ作り手の出自にまで踏み入って、ジュエリーを格付けしたり、定義したがるなんて余計なお世話じゃないかな…と思いますね〜
モノに惹かれていくうちに作り手のコトもゆっくりと知りつつ理解を深めていくのがフツウの愉しみ方です。ただ、作り手が名高いからイイ物だとすぐに信じ込んだり、逆に見慣れない新しい試みを、容易く異端だと決めつけてしまう考え方は、どこか豊かじゃない、愉しんでない気がします。まあ、思い込みに縛られるのも縛るのも一方でご自由だとは思います、肝心のジュエリーが活きるのであれば。
ある日の右手。上からナバホ族、コチティ族、ノンネイティブ、ラグナ族。指輪は左からホピ族とノンネイティブ
ボクはビームスのスタッフなので、服と同じでジュエリーの組み合わせにも意外性が少しはないと愉しくないな、と。どうせなら先入観にとらわれず、自分の好きなようにジュエリーを組み合わせて、それまでになかった相乗効果、イイ表情が生まれたらな〜とフザケ半分マジメに思っています。
ある日の左手。入れ替わって加わったのはナバホ族作者不明のブレスレット、ノンネイティブ×ナバホ族のターコイズ付きリング※和風パスタ
最近では、インディアンジュエリーを音楽や料理と似通ったモノだと感じるようになりました。もちろん古典、定番はありますが、様々な偶然、空気、試みが混ざって生まれる意外性、独創性も大きな魅力の一つだと感じています。
ビームス プラスも揺るがない軸足を基点に、絶えずイイ音、イイ味を探し続けている点では少し共通しています。新しさを追求していたはずが古き良さを見直していたり、古きを訪ねていたら新しいアプローチになっていたりと。
自分が新しさと古さのどちらに向かっているのか、好みなのか、綴っていてもさっぱり分かりませんが、新しくも古くもない半端者であるコトを痛感してはいます…駄文はさておき、インディアンジュエリーフェアにお越しいただくと、どちらも豊富に取り揃えておりますので、目と手でお確かめいただくのが最善と思う次第です。
ビームス 神戸は14日(日)までの開催です。ぜひ、気軽にお立ち寄りください。
コヴァ ヤジー