MENU

Archive

02
Michihiko Kurihara
MR.CLEAN Freelance Buyer
#USED CLOTHING #VINTAGE
Nov. 26. 2015
about
Nov. 26. 2015 / #USED CLOTHING #VINTAGE

02 Michihiko Kurihara MR.CLEAN Freelance Buyer

&Shinsuke Nakada(BEAMS Mens Casual Director) Photography:Shin Hamada
Interview&Text:Takashi Abe
新連載企画 【TALK】第2回目は前回に続き今のファッションのトレンドである“古着”をサブカテゴリーに、現在「ビームス 原宿」、「ビームス ウィメン 渋谷」など旗艦店のみで取り扱う良質な古着をアメリカ各地より集めるバイヤー、“MR.CLEAN” こと栗原 道彦さんとBEAMSメンズカジュアル統括ディレクターの中田慎介の対談形式でお伝えします。古着に携わった経緯やなぜ今古着をセレクトしているのか?など。どうぞご覧ください。

10代は給料すべてを
古着につぎ込んでました

Shinsuke Nakada :
栗原さんが、古着を知ったのはいつ頃ですか?
Michihiko Kurihara :
古着よりも先にアメカジというスタイルを初めて知ったのが、中学3年の頃でした。その流れで古着にも興味を持ち始めました。最初は友達の影響でしたね。夏休みに近所のゲームセンターに行ったら、なんか見たことない格好をした奴がいたんです。ロン毛に<ハーレーダビッドソン>のTシャツを着て、<リーバイス>の517に<コンバース>のオールスターを履いてて、当時地元でそんな格好をする人なんていなかったので、面白そうだから声をかけたら、たまたま小学校時代の同級生だったんです。その彼は、小学5年の時に池袋へ引っ越してしまい、音信不通だったんけど、あまりに素行が悪かったらしく(笑)、夏休みだけ祖父母の家で生活していたようで、久しぶりに再会しました。僕の地元はヤンキーかパンクスばかりだったので(笑)、彼の格好はとにかく衝撃でしたね。その後すぐに、街のジーパン屋へ行き、新品の517を買いました。スニーカーはみんなオールスターを買っていたのですが、僕はまだヤンキーとしての嗜好が残っていたのか、<コカコーラ>を選びました(笑)。あと、そういえばその友達の影響もあり、池袋で<ジャックダニエル>のTシャツを買ったんですけど、それを着てヤンキーの先輩と遊んでいたら“ジャック”って呼ばれるようになりました(笑)。
S.N :
それ、面白いエピソードですね…(笑)それから徐々に古着にも興味を持つようになったんですね。
M.K :
ハイ。やっぱり雑誌『Boon(ブーン)』の影響が大きいですね。津田沼(千葉県船橋市)に『ガレージセール』とか色々な古着屋があったので、古着を買うようになりました。当時は鳶職をしていたので歳の割にはお金もあり、給料すべてを古着につぎ込んでいました。その時に出会ったのが、以前勤めていた『ロストヒルズ』の社長とその弟でした。パルコの中にあった古着屋に通っていたんですが、そこに勤めていた社長の弟から「今度独立するから手伝わないか?」と誘われ、立ち上げから手伝わせてもらいました。元々は北習志野で『ロイヤルクラウン』という名前でスタートし、その後津田沼へ移転し『ロストヒルズ』に店名も変更しました。中田さんも来てくれていましたよね?
S.N :
はい、大学時代、宇都宮から通わせていただきました(笑)。元々『ロストヒルズ』を知ったのは、それこそ『ブーン』の誌面だったんですけど、一際目立っていたんです。クオリティもプライスも。で、バイトで貯めたお金を『ロストヒルズ』含め津田沼で使っていました(笑)。まだその頃の古着屋さんって怖いイメージが強かったんですよ。無愛想というか、試着するにも緊張するような。そういう時代だったんですけど、『ロストヒルズ』のスタッフさんは、みんな気さくに話しかけてくれて、それがとても印象的でした。僕も訛りが出ないように気をつけながら話していたのを覚えています(笑)。ちなみに栗原さんといえば、バイイングというイメージが強いんですが、前職時代もよく買い付けには行かれていたんですか?
M.K :
そうですね、手伝い始めてからすぐに連れて行ってもらいました。元々社長がアメリカにアパートを借りていたので、そこを拠点に動いていました。1度の買い付けで3ヶ月滞在し、それを年に数回といった感じです。もちろんアメリカへ行くことなんて、それまでなかったので英語も全く話せず…。僕の場合、中学1年の2学期には「自分の人生において英語は不要な言語」だと悟ったので、全く勉強しませんでしたし(笑)。なので、完全に社長が話しているのを、見よう見まねで学びました。ちなみに中田さんが古着に影響を受けたのはいつ頃ですか?
S.N :
僕も中学生の頃ですね。セオリー通りでちょっと恥ずかしいんですけど、<リーバイス>501の赤耳を買ったのが最初です(笑)。ちょうどその頃、北関東ではロカビリーブームだったので、バンソンのライダースやスイングトップを着て、足元はサドルシューズみたいな人がメチャクチャいたんです。宇都宮にオリオン通りっていう商店街があるんですけど、その通りに怖い人たちがたむろしてましたね。で、その頃、デニムは色落ちしたリーバイスじゃないとカッコよくないっていう風潮があり、色落ちした赤耳を買いました。
M.K :
近所のジーパン屋で新品の517を買った僕とは大違いじゃないですか(笑)。ファッション自体に目覚めたのも早かったんですか?
S.N :
多分早かったと思います。うちの母親は建築士なんですけど、学生時代に洋服屋でバイトをしていたそうなんです。で、父親はオーディオメーカーで指導員をやっていたんですが、若い頃シカゴに転勤をしていたので、アメリカのファッションにはそれなりに影響を受けていたようです。なので、二人とも洋服にこだわりを持っていたので、自分でいうのもなんですが、ファッション英才教育を受けていたんだと思います(笑)。物心ついた頃には、自宅に<フォルクスワーゲン>の黄色いビートルがありましたし、初めて乗ったチャリもBMXでしたし、普通よりはお洒落な子供だったと思いますよ(笑)。
M.K :
ちょっとムカつきますね(笑)。
S.N :
多分その頃、栗原さんと出会っていたら、間違いなくイジめられていたと思います(笑)。千葉じゃなくて良かったです。とはいえ、両親は古着には興味がなかったので、そういう部分で影響を受けたのは同級生でしたね。最初に買ったのが、先ほど言った501の赤耳。これ以上落ちないでしょっていうくらいライトブルーの赤耳を¥9,800で買いました、お年玉で(笑)。その後、高校へ進学してから。さらに古着にハマりました。宇都宮北高校っていう県立の学校だったんですけど、他校に比べて割とお洒落な人が多かったと思います。BEAMSにも自分の母校の出身者が何人かいますけど、当時旧ロゴの<グレゴリー>を持っていたのは、うちの高校か、近くの私立の学校くらいだったと思います。宇都宮なのでヤンキーもいたとは思いますが、完全に行動範囲が違ったので、あまり怖い思いをしませんでしたね。ああいう方々はバスを利用していることが多かったので、バス停には近づきませんでした(笑)。…ま、僕の話はいいとして、話を戻しますが、栗原さんは「ロストヒルズ」時代、メインの業務はバイヤーだったんですか?
M.K :
はい、最初の何年かは他のスタッフと交代でアメリカへ行ってましたが、5,6年目からはほぼ毎回買い付けに行っていました。その頃は1度の買い付けでの滞在が2週間くらいだったので、結構お店にも立ってましたね。

キツイことも多いけど、
これが天職

S.N :
長年勤めていた『ロストヒルズ』を退職して、独立しようと思ったのはなぜですか?
M.K :
これ、本当の話なんですが、退職しようと思ったのは、独立するためでもなければ、転職するためでもなく、単純に辞めようと思ったのがきっかけだったんです。33歳の時ですね。辞めた後に他の会社からお話をいただいたことは事実なんですけど、なんかあることないこと色々な噂が広まって、某有名ブランドから引き抜かれたとか、関西の有名古着屋さんから月50万円でオファーがきてるとか、好き勝手に言われてました(笑)。ただ最終的にお世話になろうと思っていた会社の話が急遽流れてしまったんです。それもあり、知り合いから買い付けの手伝いを頼まれたことが、独立のきっかけですかね。フリーのバイヤーになりました。
S.N :
独立されて、良いことや悪いこと、そして大変なことなどありますか?
M.K :
とりあえず一人なのでなんでも自分の思い通りにできるというのがイイですね。他の人に気を使わず、自分の好きなように仕事ができるので。あと『ロストヒルズ』時代から思っていたのが、「僕は販売に向いてないのかな」と。やっぱり古着を買い付けている時が一番楽しいですし、何より貴重なアイテムを安く見つけたりするとアガりますからね。やっぱり天職だと思いますよ。悪いことというか、辛いのは、やはり買い付けはギャンブルみたいなものなので良い日もあれば悪い日もあります。悪い日が続くことも少なくありません。そんなこともあり、買い付け中に一番気をつけているのは、今行動しているルートを別のバイヤーが先にまわってないかどうかですね。
S.N :
お店で出くわしたりしたらもちろんわかると思うんですが、他に気づく方法とかあるんですか?
M.K :
色々ありますよ。同じエリアを廻っていると思われる人のSNSをチェックしたり、ディーラーに尋ねたり、あとはスリフトの駐車場に同業者とおぼしき車がないか気にしたり、エントランス等に日本のタバコの吸い殻があるか確認したりなどなど(笑)。もしもお店に入って先客の日本人がいたら、ばれないようにこっそり退店して、次のエリアへ向かいます。同じルートを廻っていても時間の無駄ですからね。
S.N :
バイヤーさんって大変ですね。栗原さんの場合は、基本クルマ移動と聞きましたが、1度の買い付けでどのくらい運転されているんですか?
M.K :
距離的にいうと、だいたい13000~14000キロですね。簡単に言うと、東京からニューヨークまでの距離が11000キロ弱なので、クルマで東京からニューヨークへ行くようなものかと(笑)。ちなみに1回の仕入れで30万円くらいガソリン代を使ってますね。時間帯でいうと、朝9時から夜9時まではバイイングをしているので、移動は夜から朝方にかけて。必然と睡眠時間が削られるので、車中泊することも多いです。夏場の5日連続車中泊とかはかなりきついですね(笑)。もちろんその間はシャワーも浴びられないので。買い付けの資金として現金で数万ドル持ってる時もあるんですが、わざと小汚い格好をして狙われないように気をつけてます(笑)。
S.N :
過酷なお仕事ですね…(笑)。

一番リアルなセレクトショップだと思っています

M.K :
ありがとうございます(笑)。ところで、今回BEAMSで古着を取り扱おうとしたのはなぜですか?
S.N :
栗原さんの古着を扱わせていただいているのは、今のところ原宿店と渋谷のウィメンズだけなのですが、簡単に言うと、路面店を面白くしたかったんです。2,3年前から考えていたことなのですが。今原宿店の1階は年に2回テーマを掲げて展開しているんですね。今回が “FITTING CLUB” で、前回が “THE PX” というように、それぞれコンセプトを掲げてやっているんですが、現行のアイテムとヴィンテージを一緒に並べたら面白いんじゃないかって思ったんです。比較することでお互いの良いところをお客様に伝えることができますし。セレクトショップだから新品だけを扱うというのではなく、セレクトショップだからこそ古着を提案すべきだと。栗原さんは誰もが知っているヴィンテージだけでなく、次世代のヴィンテージとなるであろうアイテムも提案されたりしていて、そういう部分で僕らセレクトショップと感覚が似ていると思ったんです。それで栗原さんにお声掛けをさせていただきました。セレクトする商品だけでなく、栗原さん自身も古着界における次世代のカリスマですよね(笑)。そんな栗原さんにとってBEAMSってどんなイメージですか?
M.K :
まずカリスマとか、勘弁してください(笑)。BEAMSのイメージは…長く勤めているスタッフさんが多いですよね。それってやっぱりイイ会社なんだろうなぁって思います。あとは他のセレクトショップに比べて、古着が好きな人が多い気がします。ショップとしてのイメージは……あまり偉そうなことは言えませんが、個人的に一番好きなテイストですね。他のショップに比べて、一番リアルな感じがします。それは商品のセレクトだけでなく、スタッフの個性も含めてだと思うんですが。そんなショップで僕が買ってきた商品を扱ってもらえるのは、本当に嬉しいですね。セレクトショップが古着を扱うことで、今まで古着に興味なかった人に知ってもらうきっかけにもなり、逆に古着好きな人がお店へ行って、新品の面白さを知ることもあるでしょうね。なのでこういった取り組みは本当に素晴らしいと思います。
S.N :
そういうこともあり今回は栗原さんから買わせてもらった商品にはすべて “MR.CLEAN” というタグを付けさせてもらいました。おかげさまで大変好評です。しかしながら、古着を扱うという点は、まだテストマーケティング的な段階なので、これからずっと取り扱うかはまだ未定です。表現方法を模索中というのが現状でしょうか。あくまで個人的な意見としては、僕自身が古着好きなので、古着屋さんがやらない、もしくはやれないようなBEAMSならではの打ち出し方で展開できればいいと思っています。栗原さんはどうお考えですか?
M.K :
そうですね、先ほども言いましたがBEAMSさんが古着を扱うことで、新しい古着の見方が生まれると思うので、それはとても楽しみです。僕自身、新品の洋服と古着を合わせることが好きなので、これからのBEAMSさんに期待しています。僕個人としては、これからも色々な古着をアメリカで見つけてきて、古着の楽しさを一人でも多くの人に知ってもらえたらと思っています。なので、できる限り非売品はないようにしようと思っています。
S.N :
(ショールームの壁にかかっているTシャツを指差し)ちなみにあれはお幾らですか?
M.K :
あ、あれは……非売品ですね(笑)。
Michihiko Kurihara
Michihiko Kurihara
(Mr. Clean フリーランスバイヤー

栗原道彦/1977年生まれ。千葉県出身。中学卒業後、高校には進学せず、鳶職となり、その給料で古着を買うというサイクルをおくる。当時常連だった古着屋に勤める店長に誘われ、後の『ロストヒルズ』となる『ロイヤルクラウン』のオープン立ち上げから参加。33歳の時に独立し、現在は1年の半分近くをアメリカで過ごすという多忙な日々を過ごす。今や誰もが認める敏腕バイヤー。

Shinsuke Nakada
Shinsuke Nakada
(BEAMS メンズ統括ディレクター

中田慎介/1977年生まれ。栃木県出身。学生時代に地元宇都宮のセレクトショップにてバイトをし、2000年BEAMSに入社。「ビームス プラス 原宿」のオープニングスタッフとして参画し、オリジナル商品の企画やバイイングなどに携わる。その後、2012年よりBEAMS PLUSのディレクターに就任。現在はBEAMSのメンズ統括ディレクターとして多忙な日々を送る。

About 

BEAMSにまつわるモノ・ヒト・コトをあらゆる目線から切り取り、
ヒトとヒトとのお話から”今気になるアレやコレ”を
紐解いていく連載企画 【TALK】。

洋服のデザイナーからバイヤー、フォトグラファーやモデルなどなど。
様々な職種のプロフェッショナルから
”今気になるアレやコレ”を伺います。

close