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04
Yoshio Kataoka
Author
#IN THE CITY #CULTURE
Dec. 17. 2015
about
Dec. 17. 2015 / #IN THE CITY #CULTURE

04 Yoshio Kataoka Author

&Shuji Nagai(TOKYO CULTUART by BEAMS Director) Photography:Shin Hamada
Interview&Text:Daisuke Kawasaki
ビームスが発行する文芸カルチャー誌『インザシティ』は、この冬で創刊5周年を迎えました。そこで創刊号からずっとご寄稿されている作家の片岡義男さんをお迎えして、『インザシティ』のプロデューサーでもある、<トーキョー カルチャート by ビームス> ディレクターの永井秀二とおこないました対談をここにお届けします。司会およびまとめは、『インザシティ』の発起人でもあります作家の川﨑大助さんです。
片岡さんの作品の数々は、70年代の後半から80年代、当時の若者層から絶大な支持を獲得しました。81年に映画化されて社会現象ともなった『スローなブギにしてくれ』を始め、オートバイやサーフィンが、アメリカ大陸を駆け抜けるグラン・トリノが、無二のリアリティで描写された「カタオカ・ワールド」は、いまもなお多くの人々の心を惹きつけてやみません。ビームスが支援するカルチャーの中に「文芸」が入ってきた、その5年間の歩みだけではなく、原宿と片岡義男さんとの関係についてもお聞きしました。

サリンジャーの小説から
「ビームス」になったんだ
と思いました

創刊五周年記念号
Vol. 14 Winter Issue ‘Coffee Table Literature’ インザシティ第十四集・冬号
「コーヒーテーブル文学」
定価:本体1,000円
http://www.beams.co.jp/news/detail/5947
「IN THE CITY」 Facebook
Shuji Nagai :
片岡義男さんは昨年(2014年)、作家生活40周年を迎えられましたが、ビームスは来年の2016年が創業40周年なんです。ビームスが始まったのと、雑誌『ポパイ』が創刊されたのがほとんど同じころで、そのころからよくフィーチャーしてもらっていたんですが、その同じ誌面には片岡さんの連載があったんですよね。「片岡義男のアメリカノロジー」というエッセイが、『ポパイ』の創刊2号から載っていました。
Yoshio Kataoka :
ありましたね。やってました。70年代後半、『ポパイ』に載るような文化が一気に伸びていったような時代がありました。ビームスもその流れの中にあったということですね。
Daisuke Kawasaki :
そのわりには――というか、とても不思議なのが、僕が片岡さんにお声がけして、『インザシティ』にお誘いするまでは、片岡さんとビームスのあいだに接点はなかった、ということなんですが。当時、たとえば年末に『ポパイ』編集部主催の忘年会があって、そこでビームスのスタッフと片岡さんが和気あいあいとか、なかったんでしょうか?
Y.K :
ないです。僕は原稿ばかり書いていましたから。ブルーカラーの労働者ですから。ああ、でも数人の仲間と「ビームスという名前の由来はなになのか」と、話し合った思い出があるなあ。あのころ。
S.N :
そんなことが! ビームスの由来は親会社の旧社名(新光)から来ているんですけども。
Y.K :
そのとき僕が思ったのは、「サリンジャーの小説から取ったんだろう」と。「ビームス(BEAMS)」というのは光線ではなく、家の「梁(はり=Beam)」だろうと。ありますよね、タイトルに「梁」が出て来る小説、サリンジャーに。
D.K :
もしかして、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア -序章- (原題:Raise High the Roof Beam, Carpenters, and Seymour: An Introduction Stories)』のことですか?
Y.K :
そうです、そうです。
S.N :
それはかっこいい! これからは「由来はサリンジャーの小説だ」ってことにしましょう! ところで、『ポパイ』が提唱する「シティ・ボーイ」という言葉の最初の発案者が片岡さんだったというのは本当ですか?
Y.K :
ええ。僕はそのとき、ハワイにいたんですよ。マウイ島で長く過ごして、真っ黒に日焼けしてから、ホノルルにやって来たんですね。そこで用事があってタクシーに乗ると、運転手さんが僕に聞くんです。「お前はラハイナ・ボーイなのか?」と。僕は胸に「LAHAINA」とプリントされた、よれよれのTシャツを着ていましたから、運転手さんはきっと僕を、マウイの日系人青年だと思ったんでしょう。そこで僕は「違います。東京から来ました」と言ったところ、彼が言ったのが「なんだ、CITY BOYか」というひとことでした。それを聞いた瞬間、英語の音の響きと同時に、僕の頭の中には「シティ・ボーイ」というカタカナの文字が浮かんだんです。これは面白いな、と。都会っ子、街っ子という言い方は日本語の中にすでにありましたけれども、「シティ」ナカグロ「ボーイ」というのは、日本では新しい意味を持つのかもしれない、と。そう思って、そのときの話を、当時僕が関わっていた『宝島』の編集後記に書いたら、それを見た編集者の北山耕平という人が「片岡さん、これ使えますよ」と言って、それで彼が使ったんです。
D.K :
それが『宝島』の「シティ・ボーイ特集」になって、すぐあとの『ポパイ』創刊にまでつながっていくんですね。英語の文脈の中での「CITY BOY」だったら、たんに言葉そのものの意味しか感じられませんが、日本語の中でカタカナの「シティ・ボーイ」とくると、たしかに当時、すごく開明的で文化的な、ポジティヴなイメージを持つフレーズだという気がしました。そのころは僕はたんに一読者の子供でしたが。しかし瞬間的にカタカナの字面までイメージされるなんて面白いですね。ごく普通に「日本人だったら、こう受け取るはずだ」と、片岡さんが想像することが出来る、というのは興味ぶかいです。というのも、片岡さんの中にはアメリカへの憧れというか、仰ぎ見るような視線ってないじゃないですか。お父様が日系アメリカ人二世だったわけですから。
Y.K :
憧れはありませんでしたね。英語なり、アメリカの生活様式やモノなんかは、物心つく前から、当たり前のように身の回りにありましたから。だから、冷静に書くことが出来てよかったんでしょう。『ポパイ』の連載で書いたような、いろいろなことについては。

ディテールは
重要なんです

S.N :
片岡さんは、お洋服はどういったところで買われているんですか?
Y.K :
お店はほとんど見ませんね。輸入通販ばかりです。でも頼んだままで、忘れていることも多いんです。届いた箱を開けて、びっくりするのが楽しいですね。洋服はねえ、兵隊さんと同じやり方にするといいんですよ。下級兵士のパターンがいい。クローゼットに並んでいるものを、なにも考えずに、毎日順番に着ていく。まさに僕がそうなっています。
D.K :
そういったアメリカ製の品々が影響しているんでしょうか、片岡さんの文章は、小説でもエッセイでも、モノのディテールが詳細に記されていることが多いですよね。
Y.K :
ディテールは重要なんです。僕の中には書くことはなにもありませんから。外側にあるものについて書くわけだから。ディテールからすべてが出来上がってくるわけです。
D.K :
いわゆる、日本語の世界での典型的な小説の書き方とは完璧に逆ですよね(笑)。だから僕は、片岡さんのディテール重視論は、ときに、作家のメカニズムというよりは、ビームスのようなセレクト・ショップのあり方と一脈通じているような気がするんですよ。ビームスの創業当時、お店の作りは「アメリカ西海岸の男子学生寮の一室」をイメージされていた、と聞きます。当然そこには、ありとあらゆる「ディテール」が必要だったわけで。
S.N :
そうですね。創業当時のビームスは「アメリカンライフショップ ビームス」と謳ってましたから。ひとつひとつの「モノ」から、その向こう側にある文化が伝わればいいな、というイメージですね。
D.K :
「モノ」の向こう側にある文化、それはつまり「ストーリー」でもあると思います。この点でビームスが『インザシティ』を創刊して、まさに「物語そのもの」、活字による芸術を支援することを始めたのは、自然な成り行きだったのかもしれませんね。そこに片岡さんが加わってくれたのも、これまた必然だったのかもしれません。ただ僕が不思議なのは――最初に片岡さんを誘った僕が言うのもナニなんですが――よく乗ってくださいましたよね。創刊号から。まだ海のものとも山のものともつかなかったのに。
Y.K :
創刊なんだから、実績がなくても当たり前でしょう。それよりも、自由にやれる場だという感じがよかったですね。自由にやれること、これは重要です。ビームスが『インザシティ』を出す、その場所がある、これはとてもいいことです。
S.N :
ありがとうございます! しかし片岡さん、『宝島』『ポパイ』、それから『インザシティ』と、つねに新しい雑誌のお側にいらっしゃって、文章を書かれていたんですねえ。
D.K :
それってきっと、めずらしいことですよね。一般的に日本の作家の人って、決して街には出ずに、座敷牢みたいなところに入っては、自分の殻の中に閉じ籠って思い悩みながら書くのがいいんだ!というのが正道というか、メインストリームだって感じ、あるじゃないですか? だから片岡さんみたいに、ちょっと軟派な雑誌の編集部に出入りしたり、いろんなトピックに目を配ったり、ハワイで「シティ・ボーイ」なんて言葉を気に留めたり、とか……変わってますよねえ。変わってて、いいんですけども(笑)。ところで、このたび、『インザシティ』に片岡さんが発表された短篇小説を集めた単行本、『この冬の私はあの蜜柑だ』(講談社)が発売されました。あらためて読み返してみて僕が感じたのが、片岡さんが『インザシティ』に発表された小説は、ほかの文芸誌に書かれたものと、どこか違うなあ、ということだったんですよね。片岡さんの小説は、いつどんなときも片岡さんらしい、変わらない、といえば、それはそうなんですが――しかし「違うといえば違う」。これはどういうことなんでしょう? 
Y.K :
それは、僕は小説を書くときに、渡す人、担当編集者の顔を思い浮かべながら書いているからですよ。小説を受け取ったときに、その人がどんな顔をするか、僕が想像している部分が、それぞれの小説の違いになっているんでしょう。
D.K :
まるで、かつてのニューヨークのティン・パン・アレイのソングライターみたいですね。依頼があるままに、次から次へと、いろいろな歌手やバンドやお芝居のために、作詞作曲し続ける人、というか。
Y.K :
そうです! そんな感じですね。
D.K :
で、その中でも『インザシティ』にいただいているもの、というのは、じつに自由闊達で融通無碍な、風通しのいい感じがするのですが……。
Y.K :
それは、川﨑さんがそういう人だということですよ。『インザシティ』での担当、原稿を受け取っている人は川﨑さんですから。だからそうなるんです。
D.K :
なるほど……どうも僕の書く小説は、日本においてはすごく変わったものだ、といろいろな方から言われることが多いんですが、今日はその理由がわかったような気がします。僕は9歳のときから片岡さんの文章を読んでいますから、きっとそのせいだったんですね。
撮影協力 カフェ・グレ
S.N :
ところで、いま東急プラザ表参道原宿がある場所に建っていた、クリエイターが集っていた伝説的なビル、原宿セントラルアパートに、70年代、片岡さんがお友達といっしょに事務所を構えられていた、というお話を聞いたんですが、これは本当ですか?
Y.K :
ありましたね。それは高平哲郎さん(編注:たかひら・てつお。編集者、放送作家、劇作家。『宝島』の創刊にも関わる)の事務所ですよ。僕は名前を入れてくれと言われて、入れただけです。
S.N :
みなさんがそういうことやりたくなる気持ち、わかります(笑)。それはセントラルアパートの全盛期のころですか?
Y.K :
全盛期は過ぎたころかなあ。70年代の半ばぐらいです(編注:75年に設立された同事務所は、一時期タモリが在籍したことでも有名)。事務所の名前は僕が付けたんですよ。「アイランズ」という名前を。でもそこには、あまり僕はいなかった。
D.K :
そこでお仕事をされていたというわけじゃない?
Y.K :
してません。
D.K :
じゃあ、ときどきあらわれては、「こんちは」(と、右手を軽く上げる)とか?
Y.K :
そうそう。「こんちは」。そんな感じですねえ。
S.N :
片岡さんがそんな時代に闊歩されていたなんて聞くと、原宿を見る目もちょっと違って来ちゃいますね。今日はどうもありがとうございました!
Yoshio Kataoka
Yoshio Kataoka
作家
片岡義男.com : http://kataokayoshio.com/

片岡義男/1940年生まれ。東京都出身。作家。75年『スローなブギにしてくれ』で野性時代新人文学賞受賞。著作は『ぼくはプレスリーが大好き』『ロンサム・カウボーイ』『ボビーに首ったけ』『波乗りの島』『彼のオートバイ、彼女の島』『湾岸道路』『日本語の外へ』『文房具を買いに』『ミッキーは谷中で六時三十分』『たぶん、おそらく、きっとね』『去年の夏、ぼくが学んだこと』ほか多数。近著に短篇小説集『この冬の私はあの蜜柑だ』(講談社)がある。

Shuji Nagai
Shuji Nagai
(TOKYO CULTUART by BEAMS ディレクター

大学卒業後「Uniform Circus BEAMS」にてSPグッズのデザイン、企画開発等を経て、2000年、Tシャツ専門レーベル「BEAMS T」を立ち上げ、商品企画、エキジビションのプロデュース等を行う。2008年TOKYOクリエイションを世界に発信する「TOKYO CULTUART by BEAMS」を設立。店舗の運営、展示のキュレーション他、文芸誌「IN THE CITY」、作品集「BARTS」シリーズのプロデュース、発行を行う。

Shuji Nagai
Daisuke Kawasaki
作家
日本のロック名盤ベスト100 : http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883290
東京フールズゴールド : http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309022208/

川﨑大助/1965年生まれ。東京都出身。作家。88年、音楽雑誌『ロッキング・オン』にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌『米国音楽』を創刊、執筆・編集やデザインを手がける。同時にレコード・レーベル〈カーディナル〉も主宰、バッファロー・ドーターを世に送り出したほか、プロデュース作品も多数。2010年からは『インザシティ』に短篇小説を継続して発表。著書に評伝『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』、長篇小説『東京フールズゴールド』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)がある。

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BEAMSにまつわるモノ・ヒト・コトをあらゆる目線から切り取り、
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様々な職種のプロフェッショナルから
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