× Michihiko Yanai (Creative Director)

17 “YACCO” Yasuko Takahashi Stylist
& Yosuke Fujiki (B GALLERY Curator) Photography & Text : BEAMS 日本ではじめてフリーのスタイリストとして活動された方をご存知ですか?今から50年近くも前にそのキャリアをスタートさせ、数々の作品を手がけ、そして今もなお現役として活躍されています。その名は、高橋靖子。“表参道のヤッコさん”の愛称で親しまれる彼女は、多くの人から尊敬され、そして愛され続けています。日本を代表するクリエイティブディレクター、箭内道彦もそんなヤッコさんのファンの一人。今回はそんなお二人のスペシャルトークです。彼女がなぜこんなにも多くの人に愛されているのか、その答えはここにあります。
まだまだ上手になりたいし、やりたいことも沢山あります
- Yosuke Fujiki (以下、Y.F) :
- 本日はよろしくお願いします。まずは、お二人の出会いを教えていただけますか?
- Yasuko Takahashi (以下、YACCO) :
- それがね、全く覚えてないんです(笑)。
- Michihiko Yanai (以下、M.Y) :
- 僕も完全に覚えてないんですよね。
- YACCO
- フリーペーパー「月刊 風とロック」でお仕事をした時は、既に知り合っていました。
- M.Y
- そうですね。既に知り合っていたから、ヤッコさんが僕のところにきて“一緒にやりたい”ってお願いしてくれたんですよね。だからいつの間に知り合って、気づいたら仲良くさせていただいた感じです。
- Y.F
- ではこの雑誌「風とロック」が最初のお仕事ということですか?
- YACCO
- はい。ここに登場している「エイプリル・フール」という伝説的なバンドをアラーキー(荒木経惟)が撮りたいと言い始めたのがきっかけです。普通の音楽雑誌だったら4ページくらいだと思うから、それなら箭内さんに相談してみようということになって、私が相談したんです。結局表紙を入れて、60ページ以上の特集にしていただきました(笑)。
- M.Y
- いやぁ、これは僕も嬉しかったですね。ヤッコさんが僕のことを信頼してくれたからこそ、相談してくれたと思うと。
- YACCO
- 私はこの時スタイリングはほとんどやってなくて、みんなを結びつけるのが仕事みたいになっていましたね(笑)。
- M.Y
- でも、かっこよく言えば、それもスタイリングですよね。みんなを結びつけて、どういう笑顔になるのかをスタイリングする、という仕事。大半は荒木さんが撮影されたんですけど、荒木さんが写っているページは僕が撮影して。僕自身、貴重な経験をさせてもらいました。
- Y.F
- 聞いているだけでとても楽しそうな撮影だったことが伝わります。今回、「ビームス ジャパン」でヤッコさんのショウをやらせていただくにあたり、「ビジュアルデザインをどなたにお願いしましょうか?」とヤッコさんに相談したら、即答で箭内さんの名前が挙がったんです。ご自身のショウのデザインをするわけですから、やはり信頼のおける人じゃないとお願いできませんよね。
- M.Y
- それは嬉しいですね。だってヤッコさんは色々なデザイナーさんとお知り合いでしょうし、その中から僕を選んでもらったなんて、本当に光栄です。逆に別の方がデザインしていたら、きっと焼きもちを焼いていたと思います(笑)。
- YACCO
- 箭内さんにお願いしてなければ、フライヤーの写真が、こんな笑顔じゃなかったと思いますよ(笑)。
- Y.F
- 今回のショウのフライヤーは、ヤッコさんも長いお付き合いの写真家、鋤田正義さん(http://sukita.jp/)に撮影していただきましたが、これも箭内さんからのご提案でしたよね。
- M.Y
- そうですね。ヤッコさんと鋤田さんが仲良しなのは知っていたし、ヤッコさんもきっといつか撮影してもらいたいと思っていたでしょうし。とはいえヤッコさんは、絶対にそれを自分から言う人じゃないって知っていたので、僕からお願いしました。
- YACCO
- いつも仕事の時は鋤田さんの後ろにいるのに、まさか私が被写体となり、面と向かって撮影していただくなんて思ってもいなかったです。
- M.Y
- あの撮影の時、ヤッコさん泣いてましたよね(笑)。
- YACCO
- そう、泣いちゃったんですけど、これ以上泣くと撮影に支障をきたすと思って、ずっと我慢してました(笑)。
- Y.F
- 撮影する前から泣かれていたので、みんな心配してました(笑)。あの表参道で撮影したのは良い思い出ですね。
- M.Y
- 表参道で撮影するっていうのは、元々僕の希望だったんです。表参道を颯爽と歩く笑顔のヤッコさんがいいなぁって思っていたので。で、誰が撮るんだろうって思った時に、一瞬“俺かな”という考えも出たんですけど、すぐに“鋤田さんが良い!”って。
僕思ったんですけど、鋤田さんとヤッコさんって似てますよね?2人とも少年少女の心を忘れてないし、とってもチャーミングだし、良い意味でミーハーだし、常にドキドキワクワクしながら暮らしているのが、すごい伝わるんですよね。だからデヴィッド・ボウイや忌野清志郎さんもお二人のことが好きだったんだと思いますよ。
誰もやっていないことをしていたら、徐々にお仕事に依頼が増えて…
- Y.F
- デヴィッド・ボウイや忌野清志郎さんのスタイリングはヤッコさんが担当されていたんですよね。そんなヤッコさんといえば、日本第一号のスタイリストということでも有名ですが、そもそもスタイリストになろうとしたきっかけって何だったんですか?
- YACCO
- きっかけは……まったく思い出せないんです(笑)。元々学生時代に久保田宣伝研究所のコピーライター養成所に通ったんですね。他の生徒さんはみんな社会人だったので働きながら通ってたんですが、私は学生だったのでコピーを考える時間が十分ありました。そんなこともあり、コピーコンテストを1年間やったんですが、私が1番になりました。そうしたら電通から“うちに10年いたら部長にしてあげる”というお誘いをいただき、大学卒業後に入社しました。ま、実際は8ヶ月しか在籍しなかったんですけどね(笑)。
- Y.F
- 電通時代にスタイリストとして活動し始めたのですか?
- YACCO
- いえ、電通を辞めた後ですね。電通で働いていた頃、原宿にあったセントラルアパートでよく夜遊びをしていたんです。セントラルアパートにあったレマンという広告会社の人と出会って、その人が飲んだくれながら「ヤッコさんもうちに来れば?」って言ったんです。ちょうどそれが12月の暮れのことだったんですけど、1月4日にはレマンに出勤してました(笑)。そしたらその誘ってくれた人が「ヤッコさん、何しに来たの?」って(笑)。
- Y.F
- その言葉を真に受けて、レマンに入社されたんですね(笑)。それからスタイリストとして活動されたと。
- YACCO
- そうですね。もちろんスタイリストといっても、前例があるわけでもなかったので、いろんなことをやっていました。初めてお仕事させていただいたのが、ヤマハさんだったんですけど、たまたま私が一番若かったから、自主的に衣装を作ったりしただけなんです。また衣装だけでなく、ロケハンやお使いなど、色んな仕事を自主的にやりました。そんなことをする人はいなかったから、徐々に私にお願いしてくれる人が増え始めたんです。それでレマンを辞めて、フリーランスで仕事をするようになりました。
- Y.F
- ご自身でスタイリストという職業の勉強をされたりしたんですか?
- YACCO
- 勉強って程ではないかもしれませんが、ニューヨークに行って、色々なスタイリストにくっついてアシスタント的なことをやったりもしましたね。確か1968年だったと思います。そのおかげでリチャード・アヴェドンのスタジオに入ったりすることもできて、良い経験ができました。
- Y.F
- ニューヨークでスタイリストという職業に触れた時の衝撃は大きかったでしょうね。その時に学んだことはたくさんあったのでは?
- YACCO
- “好きなようにやればいいんだな”ってことを確信しましたね。その考えが仕事のベースになっています。
- M.Y
- だって先生のいない唯一のスタイリストですもんね。独学で始められているスタイリストさんもいますが、ヤッコさんの場合はスタイリストという職業が日本に存在する前から始めているわけだし、完全にゼロからのスタートですもんね。パイオニアというのはもちろんですが、誰もやっていなかったことを怖がらずに始めたというのが、本当にかっこいいです。
- YACCO
- ありがとうございます(笑)。そういえば伊丹十三さんに「ミスター・チャオっていうのがロンドンにいるよ」って言葉を聞いて、何のツテもなくロンドンへ行ったこともありましたね(笑)。
- Y.F
- スタイリングだけでなく、ロケハンもやっていたと言われていましたけど、ヤッコさんご自身も色々なアイデアを出されていたということですよね?そういう積極的な一面もヤッコさんならではなのでしょうね。
- YACCO
- スタイリストという肩書きがなかったというのもありますが、クライアントさんも何を頼んで良いのかわからなかった時代ですからね。最近よくひとつの撮影で何人かのスタイリストさんと一緒に仕事をすることがあるんですね。今では普通の光景だと思いますが、私の場合は、何十人もの群像をすべて一人でやっていたんです。それを考えるとよくやっていたなって自分でも思います。
見ている人が元気になる、そんな展覧会になってくれたら
- Y.F
- スタイリストというお仕事は黒子的な存在だと思いますが、今回のショウはヤッコさんが主役です。ご自身をスタイリングするショウでもありますが、その点についてはどうお考えですか?
- YACCO
- このショウの開催を藤木さんからご提案いただいた時にひとつお願いしたのが「過去の作品を額に入れるということができないから、洗濯物みたいにロープに写真を洗濯バサミで留めるようにして飾りたい」ってお願いしたんですよね。そもそも自分のショウをやるなんて思ってもいなかったから、本当にビックリしました。なんでこうなったんでしたっけ(笑)?
- Y.F
- 僕自身が見てみたかったからです(笑)。ヤッコさんはスタイリストだけでなく、書き手として色々な本を出版されていたりするなどマルチな方なので、ヤッコさんを平面ではなく立体的に表現できたら面白いと思ったんです。箭内さんは、このショウで期待することはありますか?
- M.Y
- そうですね。僕がヤッコさんといて楽しいのは、会う度に色々なことを教えてもらえるんです。色々な人との思い出や昨日見たライブの話、そしてこれからのことなど、毎回新しい発見があるんです。で、このショウでは、その感覚をそのままお客さんに味わってもらえたらって思いますね。だから、さっきヤッコさんが額縁はいらないって言っていたと思うんですけど、それは多分そういうことなのかなって。
- Y.F
- 箭内さんと最初に打ち合せをした時に、ヤッコさんの声を録音して、ボタンを押すとそれが聞けるようにしたら面白いんじゃない?って言われたんですけど、それがとても印象的でした。
- M.Y
- 言いましたね。もちろん実際にヤッコさんの声は流さないかもしれませんが、この空間からきっとヤッコさんの声が聞こえてくると思いますよ。ヤッコさんと話しているととても元気になるんです。きっとお客さんもそんな気持になってもらえると思います。
- YACCO
- 今回お話をいただいてね、写真を色々掘り返したんですけど、まだ5分の1しか紹介できてないんです。だから、2年後にまたやりましょうって藤木さんと冗談で話してるんです(笑)。
- M.Y
- 絶対やるべきです。
- Y.F
- 箭内さんがおっしゃったように、言葉が聞こえてくるショウにしたいと思っています。この1年でヤッコさんには過去の作品や写真を振り返ってもらってるんですが、ヤッコさん自身、過去の写真や資料などを整理することで、何か新しい発見などあったりしましたか?
- YACCO
- あります。蹴散らかしていた自分の過去をちょっとですけど整理していたら、色々と忘れていた写真が出てきたんです。その中に、作家の宮尾登美子さんや佐藤愛子さんと一緒に撮影した写真があったんですけど、お二人に「あなたは書ける人だから、何か書きなさい」って言われたことを思い出したんです。なので、このショウが終わったら、ちょっと書いてみようかなって思っています。
デヴィッドは、いつも私の側にいます
- Y.F
- ヤッコさんと親交の深かったデヴィッド・ボウイが昨年他界しましたが、その時にご自身の人生について何か思うこと、考えることはありましたか?
- YACCO
- 私の中でとても大きな存在だったので、1ヶ月くらいはご飯がほとんど食べられませんでした。血は繋がってないけど、わかりあってる人だったので、ショックは大きかったです。
- Y.F
- デヴィッド・ボウイと親交があったヤッコさんと鋤田さんですが、この1月に同じタイミングでそれぞれの展覧会が開催されるんですよね。これも何かの縁なのかなって思っているんですが、ヤッコさんはいかがですか?
- YACCO
- デヴィッド・ボウイの展覧会は天王洲の寺田倉庫で行われてるんですが、そこからもほど近い品川の「キャノンギャラリーS」で鋤田さんの写真展も1月19日(木)から行われます。そして私は新宿の「Bギャラリー」でやらせていただくんですけど、そのすぐ近くにある「K’sシネマ」という映画館でデヴィッドが主演する映画『ジギー・スターダスト』が公開されるんです。しかも私のショウと同じ日。だからね、私は絶対にデヴィッドがいると思っているんです。昨年は本当に悲しかったんですけど、今は宇宙なのか、私の側なのかはわからないんですけど、デヴィッドは必ずいると思っています。
- M.Y
- 3つの展覧会をスタンプラリーじゃないけど、見回ったら凄い面白いと思うんですよね。デヴィッドの展覧会の後に鋤田さんの写真展に行って、その後ヤッコさんのショウに行って、また鋤田さんの所に戻って見返してみたりして。クリエイティブの三元中継的な感じで。色々な繋がりを発見して、絶対面白いと思いますよ。あとはさっきヤッコさんも言ってましたけど、まだまだ写真のストックがあるようなので、これを毎年やってもらいましょう。ワールドツアーなんていいんじゃないですか(笑)。
- YACCO
- 体力的なことと権利関係でそれは難しいかもしれません(笑)。でもこうやって過去の作品を見てるとクリエイティブな仕事ってつくづく面白いなぁって思います。ちょっとずつでいいから、もっと上手になりたいです。
- M.Y
- まだ上手になろうとされているのが凄い(笑)。でも、それがとってもヤッコさんらしいです。

(Stylist)
高橋靖子/1941年生まれ。茨城に育つ。早稲田大学政経学部卒業後、大手広告代理店でコピーライターとして働いたものの、原宿のセントラルアパートにあった広告制作会社に魅入られ転職、スタイリストに。毎週末、クリエーターたちが集まる大規模なパーティーを催し、「表参道のヤッコさん」として知られた。フリーランスのスタイリスト業として確定申告の登録第1号に。70年代からデヴィッド・ボウイの衣装を手掛け、その他にも、忌野清志郎、布袋寅泰、中村達也といった、多くのロック・ミュージシャンたちとともに時代を駆け抜ける。70代の現在も、現役として広告を中心に第一線で活躍を続けている。最近は北野武、山﨑努、リリー・フランキーらのスタイリングも担当した。著書に『表参道のヤッコさん』(河出書房新社)、『わたしに拍手!』(幻冬舎)、『小さな食卓』(講談社)『時をかけるヤッコさん』(文藝春秋)などがある。

(Creative Director)
箭内道彦/1964年 福島県郡山市生まれ。東京藝術大学美術学部卒業後、博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、2011年のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学美術学部デザイン科准教授。

(B GALLERY Curator)
藤木洋介/1978年生まれ。BEAMSが運営するBギャラリーのキュレーターとして展覧会の企画から運営を手掛ける傍ら、ギャラリーや美術館への企画持ち込み、国内外のアートフェア出展なども積極的に行っている。その他、福永一夫写真集『美術家 森村泰昌の舞台裏(発行:ビームス/2012)』企画、操上和美写真集『SELF PORTRAIT(発行:ビームス/2015)』の企画・編集などをつとめる。