
Feb. 15. 2017 / #REMAKE #FASHION
18 Koko Yamase <les Briqu’a braque> <MATRIOCHKA> Designer
& Yumi Sudo (BEAMS BOY Director)
Photography & Text : BEAMS
“リメイク”――今では当たり前のように耳にする言葉ですが、この言葉がまだ市民権を得ていなかった時代からリメイクのウエアを作り続けている女性がいます。山瀬公子さん。現在<les Briqu’a braque(レブリカブラック)>と<MATRIOCHKA(マトリョーシカ)>という2ブランドを手がける彼女は、ご自身の経験に裏打ちされた博学的な知識と審美眼を洋服に落とし込み、唯一無二の作品を手がけています。今回は山瀬さんを尊敬してやまない<BEAMS BOY>のディレクター、須藤由美とのスペシャルトーク。山瀬さんが考える洋服とは?リメイクとは?そしてBEAMSとは?
みんなが作らない物を作りたい。
天の邪鬼な性格なので…
- Yumi Sudo (以下、Y.S) :
- 公子さんがファッションに興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?
- Koko Yamase (以下、K.Y) :
- 小学生の頃ですね。元々両親や祖父が服好きということもあったのですが、きっかけは雑誌です。田舎に住んでいたので雑誌からしか情報を得られなかったということもありますが、近所の本屋さんで映画雑誌の『スクリーン』やメンズファッション雑誌の『メンズクラブ』などを取り寄せて、隅から隅までくまなく見ていました。
- Y.S:
- 小学生で、しかも田舎でとなるとかなり珍しかったんじゃないですか?
- K.Y:
- はい。当時私と同じような趣味の子は一人もいなかったんですけど、中学校に入ってようやく隣りのクラスに私と同じような子が一人現れました(笑)。色々な雑誌を読んでいたんですが、その中からアメリカやヨーロッパのファッションなどをチェックすることが好きでした。メンズレディスに関わらず。
- Y.S:
- 今のように情報が溢れていたわけではない頃ですし、貴重な情報源だったんですね。
- K.Y:
- そうですね。ちなみに当時の雑誌のファッションページって、ほとんどがイラストだったんです。で、色々なイラストレーターさんが活躍されていたんですが、その中でも長沢節先生のイラストが印象的でした。そこから徐々にファッションイラストレーターになりたいという思いが芽生えてきて。高校卒業後、上京して長沢節先生が創設したセツ・モードセミナーに入学したんです。ファッションやアートに触れる機会が多くなると、今度は本物に触れたくなるんですね。そこで海外に行こうと決心しました。ヨーロッパとアメリカで迷ったのですが、ヨーロッパは物価も高いし行くにもかなりのお金が必要だったので断念して、アメリカへ行こうと。ヒッピーだったらなんとか生活できるかなぁと短絡的な発想なんですけどね(笑)。
- Y.S:
- それはいつ頃のことですか?
- K.Y:
- 初めてアメリカへ行ったのは1976年です。BEAMSさんのオープンと同じ年ですね。
- Y.S:
- 今でこそ気軽にアメリカへ行けますが、当時はまだ海外へ行くことすら珍しかったと思います。渡米することに対して、危険や恐怖を感じませんでしたか?
- K.Y:
- 全く感じませんでしたよ。むしろもっと早く渡米したかったかな(笑)。本当のファッションを1日でも早く自分の目で見たいと思っていたので。そのまま15年程、アメリカで生活していました。
若い女性に着てもらったことで自信になりました
- Y.S:
- ’70年代や’80年代のアメリカのリアルなファッションをご自身の目で見られていたなんて本当に羨ましいです。公子さんが手がけられているブランド<les Briqu’a braque>は、帰国されてから始動されたということですかね?
- K.Y:
- はい。私が47歳の時に始めました。<BEAMS BOY>さんでお取り扱いしていただいたのは、今から10年位前ですよね?
- Y.S:
- はい、2006年だったと思います。当時私はまだ店舗スタッフだったんですが<les Briqu’a braque>が入荷してきた時に「凄い洋服がきた!」ってみんなで騒いだことを覚えています(笑)。
- K.Y:
- そうだったんですね。嬉しいです。私の場合、長年洋服に携わってはいるのですが、先程も言った通り、自分で洋服を作り始めたのは47歳と遅かったんです。なのでお客様も「年齢層は高めですね」と良い意味で言ってくださったりして。でも古着屋上がりということもありますが、ストリート感覚で着ていただくということを大事にしたかったんです。そんな時に<BEAMS BOY>さんでお取り扱いしていただけることになって、若い方だと10代の方も着てくださったことがとにかく嬉しかった。私の中で「いけるわ!」って自信がつきました(笑)。
- Y.S:
- 今でこそリメイクや再構築しているウエアってトレンドにもなり市民権を得ていますが、その当時はリメイクというと古着屋さんが古着をリサイズしたような物がほとんで、新品屋さんにリメイクの服が置かれているという感覚がとにかく衝撃でした。なので<BEAMS BOY>だけでなく、他のレーベルのスタッフも瞬く間に<les Briqu’a braque>のファンになっていましたね。
- K.Y:
- リメイクの難しいところは、材料となる古着をある程度集めないといけないことなんです。ご存知だと思いますが、最初のコレクションでは私が収集していた古いスカーフを使用しました。リメイクという感覚は一切なく、あくまで素材のひとつとして。スカーフって全体を見るととても綺麗なのに、実際は畳んで使うことが多いじゃないですか。色といい柄といい、素晴らしいデザインが沢山あるのにもったいないなぁって。なので、スカーフを開いて使って洋服を作ろうと思ったんです。そしたら予想以上に好評だったのでやめられなくなって…。だから洋服のデザイナーになるつもりなんて一切なかったんです(笑)。
- Y.S:
- スカーフシリーズは本当に名品ですよね。今シーズンもスカーフシリーズをオーダーさせていただいていて5月頃店頭に並ぶ予定なんですが、私自身とても楽しみにしています。初めて扱わせていただいてから10年近く経ち、ショップスタッフも当時を知らない若い子が多いので、そういうスタッフがこの<les Briqu’a braque>を見たらとても新鮮に感じると思うんですよね。時代を感じさせないデザイン性も<les Briqu’a braque>ならではなのかと。
- K.Y:
- 50年近くファッションに携わっているので、こういうトレンドがきたら次はこうなるんだろうなぁっていうのが、なんとなくですけどわかる気がします(笑)。ただ私の場合、天の邪鬼な性格なので、みんなが同じような物を作ろうとしたら、その対極にいきたくなっちゃうんですよね(笑)。みんなが作らない物を作りたいなぁって。そんなことをしていたら、20年も続けることが出来て、本当にありがたいことです。
- Y.S:
- だからこそ、公子さんのファンがたくさんいるんだと思います。ファッションって色々な考え方があると思っていて、みんなと同じコーディネートをすることに喜びを感じる人もいれば、オンリーワンのファッションを楽しみたいという人もいますよね。<les Briqu’a braque>を好きな方は後者だと思っていて、みんな特別な存在になりたいと思っているはずです。
- K.Y:
- そうかもしれませんね。特にパイオニア精神をお持ちのBEAMSさんには、そういうスタッフさんが多いですよね。だから毎シーズン、BEAMSさんの反応を見て、その時々の評価を実感しています。私の中では、良い意味でリトマス試験紙的な感じ(笑)。
BEAMS BOYのお店がオープンした時は、
かなり嫉妬しました(笑)
- Y.S:
- そうだったんですね(笑)。<BEAMS BOY>はご存知の通り、メンズのウエアをベースにして構築しているんですが、公子さんの作られる洋服はメンズの精神も持ちつつ、女性が着るということをしっかりと考えられているので、私自身とても勉強させてもらっています。メンズの洋服をただレディス用にリサイズするという安易な発想ではなく、メンズライクなアイテムをレディスのウエアとしてしっかりと落とし込まれていて、毎回感動しています。
- K.Y:
- そこまで褒めていただけるなんて(笑)。<les Briqu’a braque>を始めた頃、色々な人にコンセプトを聞かれたんです。ただ私自身が欲張りというか雑多というか、色んな物が好きなので“コレ”というコンセプトを設けてなかったんですね。特にポリシーもなかったので(笑)。
- Y.S:
- デザイナーさんによっては「着たい洋服がなかったから作りました」という方もいらっしゃいますが、公子さんは全くそういった感じではなかったんですね。
- K.Y:
- 真逆ですね(笑)。洋服を作っていても、いろんなブランドの洋服も着たいし割と雑種だと思います。
- Y.S:
- 私もディレクターという立場なので、シーズンごとにテーマを考えたりするんですが、コンセプチュアルなテーマにしないといけないと思って、自分で勝手にハードルを上げてしまい、凄く苦しんだりすることがよくあるんです。
- K.Y:
- こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど、私の場合、後づけでテーマを決めたこともありますよ(笑)。色々なサンプルができあがっていくうちに「あ、こんなテーマがいいかな」って(笑)。須藤さんと私とでは、組織や立場が違うので同じようにはできないと思いますけど、本末転倒にならない方がいいですよね。テーマのために洋服を作っているわけではないので。
- Y.S:
- おっしゃる通りですよね。ところで公子さんから見た<BEAMS BOY>ってどんなイメージですか?
- K.Y:
- 20年くらい前ですかね、<BEAMS BOY>のお店が原宿にオープンした時「やられた!」って思いました(笑)。私たちの世代ってヨーロッパやモードも含めて、色々なファッションを通ってきているんですが、やはり若い頃に受けたアメリカンファッションの洗礼がベースにあると思うんです。少なくとも私はそうだったんですね。なので<BEAMS BOY>のお店を見た時「私がやりたかったことってコレだったんだ」って気づかされました。しかもアメカジに属されるウエアをただそのまま着るのではなく、あくまでモチーフを提供することで自由にパーソナリティを表現してもらうというのが素晴らしいですよね。だからこそ10代から私のような年齢の女性にも対応できるキャパシティなのだな、と。
- Y.S:
- 昔から<BEAMS BOY>のターゲットは若年層の女性と思われがちなんですが、実際のお客様は、私くらいの年代の、俗にいう大人の女性が大半を占めていて、とにかく年齢層は幅広いんです。年齢に関係なく、同じアイテムをそれぞれが自由に着こなしているというのが現状です。
- K.Y:
- 同じアイテムでも、着る人はもちろんのこと、サイズが違うだけでも印象は変わりますよね。
- Y.S:
- はい。「<BEAMS BOY>の洋服はずっと着られるんじゃないかな」って思っていただけることが理想です。王道であり背景もしっかり見えるけど、その時々のトレンドにもちゃんとフィットして新鮮に感じさせてくれるウエアをセレクトできるようにいつも心がけています。5年後、10年後にクローゼットの奥から引っぱり出してまた着ていただけたりしたら、こんなに嬉しいことはないです。
- K.Y:
- 作り手側からしたらそれは嬉しいことですよね。
- Y.S:
- そうですね。ちなみに今日着ている<les Briqu’a braque>は、<BEAMS BOY>で初めて取り扱わせていただいた時に購入したものなんですが、周りの子達はみんな新しい商品と勘違いしていました。10年近く前に作られた洋服が今でも新鮮に感じられるというのは、やはり凄いことですよね。
- K.Y:
- そういえば「ビームス ジャパン」さんで今回ポップアップストアをやっていただくきっかけは、なんだったんですか?
- Y.S:
- 会社側から“「ビームス ジャパン」で女性の世界観を引き出せるようなブランドをやってほしい”と。「ビームス ジャパン」という名前の通り、日本にまつわるブランドで、という話になっていたんですが、その話を聞いて、私が真っ先に思いついたのが<les Briqu’a braque>だったんです。それなら「公子さんにお願いするしかない」と。さらに公子さんが手がけているもうひとつのブランド<MATRIOCHKA>も今回は扱わせていただきます。<MATRIOCHKA>は元々<Vermeerist BEAMS(フェルメリスト ビームス)>で展開させていただいてたんですよね。私自身、<MATRIOCHKA>も大好きなブランドですし、何より公子さんと<Vermeerist BEAMS>ディレクターの犬塚との繋がりやお二人に対する私の憧れや敬意などもふまえ「ぜひ2ブランドで」というオファーをさせていただきました。
- K.Y:
- ありがたいですね。お客様はもちろんなんですけど、スタッフの方に喜んでもらえるのってやっぱり嬉しいんですよね。
- Y.S:
- ちなみに<les Briqu’a braque>はうちだけではなく、他社でもお取り扱いがあると思うのですが、BEAMSと他社の違いって何か感じますか?
- K.Y:
- 洋服に対して熱い想いを持っている人が一番多い会社だと思っています。洋服の着こなし方もみんなしっかりとオリジナリティを持っていて、何よりもまず自分たちが洋服を好きで楽しんでいるのが伝わってくるんですよね。最近、お客様とショップスタッフの区別がつかない洋服屋さんが多くないですか?みんな同じような格好をしているから。でもBEAMSのスタッフさんは一目でわかります(笑)。やっぱりお店に立つ人はそうじゃないといけないと思うんです、プロなんだし。昔は販売員の方から色々教わったじゃないですか、それは知識だけでなく着こなしも含めて。
ミーハー精神はとっても大事。
私もスーパーミーハーですから
- Y.S:
- <les Briqu’a braque>と<MATRIOCHKA>について、今後の展望など何かお考えですか?
- K.Y:
- 仕事というか、生活においてはルーティンワークができるようになりたいと思ってます(笑)。規則正しい生活というのがどうもできなくて…。ブランドに関していえば、使用する材料が集められる限り、今のスタンスでやっていければと思っています。
- Y.S:
- この時代、量産しようと思えばいくらでも作ることができるのに、公子さんはアナログな製法を一貫されてますよね。以前ふとした時に私のお義母さんが編み物をやっているって何の気なしに言ったら「え、そしたらお願いしようかしら」って結構本気で言われていて(笑)。「でも素人ですよ」って言ったのに「多分できると思う」って(笑)。お義母さんも鵜呑みにしたら困るのであえて伝えませんでしたけど、あのエピソードは面白かったです。
- K.Y:
- できることなら近所の主婦の集団とかを束ねてニットの依頼とかできたらいいなぁって思ってるんです(笑)。もちろん工場さんにお願いすることもできるんですが、融通が利かないことも多いし、できることの制限もあるので、やっぱり一人ひとりに作り手の気持ちを伝えたいんですよね。
- Y.S:
- 私のようなお取り引きさせていただいている人間はもちろんですけど、公子さんのもとで働かれている人もすごい楽しそうですよね。
- K.Y:
- そう思ってくれてたら嬉しいですね。どんなことでもそうかもしれませんが、結局は人対人なので、やっぱり気持ちって重要じゃないですか。特に中心になる人って大事だと思うんです。その人がみんなを信頼すれば、みんなも信頼しますし、中心の人が困っていれば、みんなが助けようって思うし。だから今の<BEAMS BOY>のチームがまとまっているのは、須藤さんの人柄と、スタッフ全員が洋服好きであるからだと思いますよ。
- Y.S:
- 個性はバラバラだし、洋服の好みも人それぞれなんですが、確かにみんな洋服が大好きですね。そこはブレていないと思います。ま、好きというかミーハーというか(笑)。
- K.Y:
- いえ、ミーハー精神はとっても大事です。もちろん私もスーパーミーハーですから(笑)。

Koko Yamase
(les Briqu’a braque、MATRIOCHKA Designer)
(les Briqu’a braque、MATRIOCHKA Designer)
山瀬公子/秋田県生まれ。高校卒業後、セツ・モードセミナー入学のため上京。1976年に渡米し、アニメーターとして活躍。1982年青山にレディスのユーズドショップ「Par Avion(パラビオン)」をオープン。1991年に帰国し、ショップ経営のみならず映画のコスチュームデザインなど多岐にわたり活躍。1997年に自身のブランド<les Briqu’a braque>を始動。その後、クチュールラインの<MATRIOCHKA>もスタートさせる。主な著書に『かわいいクチュールリメーク』『かっこいいクチュールリメーク』(ともに文化出版局)。

Yumi Sudo
(BEAMS BOY Director)
(BEAMS BOY Director)
須藤由美/大阪府出身。1998年ビームスに入社し、「ビームス 梅田」時代はメンズカジュアルを担当。その後<BEAMS BOY>のスタッフとなり、レーベル専属のスタイリングディレクターとして、全国のショップスタッフにスタイリングの楽しさをレクチャー。2010年に東京勤務となり、2013年より<BEAMS BOY>のディレクターに就任。現在はオリジナル商品の企画からバイイングを担当し世界各国を飛び回る忙しい日々。
INSTAGRAM : www.instagram.com/sudo_yumi